嘘も魔法も星に願えば / 双月 意沙 作

名古屋市立大学文藝部

嘘も魔法も星に願えば

 小さな森のはずれに、これまた小さなそのおもちゃ屋は建っていた。丸太で造られた店の表と裏には窓があって、夜深くになっても暖かな光が漏れていた。そのうち、木立が生い茂る暗がりに面した裏側の窓、そこに抜き足差し足で近づく影がある。

 耳元で鳴った鳩時計の爆音にびっくりして、こそ泥は窓枠から転がり落ちてしまった。顔面をしたたかに棚にぶつけ、並べてあった積み木が床に散乱する。

 散らかった床に突っ伏してのびている泥棒に、一部始終を見ていたらしい初老の店主が言った。

「今日は、何をお探しかね」


 外の極寒とは打って変わり、淡い木の香りに包まれたログハウスの中には、大小さまざま、色とりどりのおもちゃが所狭しと並んでいる。棚三つ分離れた奥の暖炉からは、薪の燃える音と一緒にゆるやかな暖かさが寄せてくる。

 目にも止まらぬ速さで積み木が片付けられていくのを、泥棒は口を半開きにして見ていることしかできなかった。盗みに入られそうになったのに、店主はどういうわけか上機嫌だ。鼻歌まで唄っている。

 ぶつけた顔がひりひりするが、そのほかはたいした怪我もないようだった。右の腕も確認してみるが、どこにも新しい傷はなく安堵する。

 が、はじめて盗みに失敗し、しかも時計の音に驚いて転げ落ちる情けない姿をこの店主に見られてしまった。あまりの気まずさに逃げ出したくてたまらない。隙をついて窓から脱走を試みた瞬間、急に後ろからパチンと手を打つ音がした。

 またしても体勢を崩しそうになり、なんとか踏みとどまった後、おそるおそる振り返って見上げる。店主は相変わらず機嫌上々な笑顔をしていた。

「今、人形を作るのに難儀しているのさ。よかったら手伝ってくれないかい?」

「は?」

 かろうじて出た声はそれだけだった。この大人は頭がおかしいのではないかと改めて思い、それから、こんな店に盗みに入って間抜けな失敗をした自分も自分だから、どっこいどっこいじゃないかと考え直す。とはいえ、なぜこんな頼みをされるのか彼には予想もつかなかった。

 暖炉の傍にはこじんまりとした作業机が置かれている。店主はそこから作りかけの木人形らしき何かを手に取ると、「ほら」と両手で泥棒の前に差し出してみせた。丸い頭と胴体とがくっついていて、両足がひもでぶら下がっているが、手にあたる部分がない。

「腕のひもが通せないんだ」

 歳のせいかな、とたいした歳ではないくせに呟いたりしている。それを見た泥棒は、ちょっと考えた。

 自分の行いが今日の今日まで一度もばれなかったのは、単にこの店の警備がザルだからだと思っていた。店主はどこか間の抜けたやつで、商品にもさして愛着がないから、簡単に持ち出せてしまうのだと。

 しかし、ひょっとしたらこの男は最初から全てお見通しだったのではないかという考えが頭の中をよぎる。もしそうだった場合、誘いに乗れば今までの盗みを問い詰められるか、その代償として散々にこき使われるか、あるいはその両方だろうか。だからといって、断るのも黙って逃げるのも、なんというか不自然な感じで、気が引ける。泥棒は思考をみっともなくこねくり回して、やがて観念した。

 人形の肩には左右に貫通する形で真っ直ぐな穴が開いていた。そこから、腕を通すらしい。

 右手を押さえにして、左の指先でひもの先端を掴み、慎重に穴に通す。すると、思いのほか簡単にひもは通った。

 店主はそれを見て感嘆した。

「君、すごいな。若いって羨ましい」

「簡単だよ」

 大袈裟だと思いつつ、ぶっきらぼうに答える。でも、少しだけ嬉しくもあった。

「君の右手は木なんだね。僕の人形と同じだ」

 店主は意外な方向に言葉を繋いだ。あまりにもあっさりと言うものだから、意味を飲み込みのが一瞬遅れた。え、と思わず声が漏れる。

「気持ち悪く、ないの」

「ううん。君の手は、素敵だよ。素敵な手をしてる」

 そう言って、歯を見せて笑うのだった。


 *


 その言葉に嘘はない。木工を生業なりわいとする店主の目から見ても、少年の義手は美しかった。

「片腕だけの子にしようか――うん、ありかもしれない」

 少年がひもを通した人形をいろんな方向から眺めて、独り言を漏らせば、「やめなよ」と彼が言った。

「腕がないのは、ヘンだ」

「うん? そうかい」

「そうだよ。どうせだったら完璧に作ってあげた方がいい」

「完璧か」

 手元の、作りかけの人形を見つめる。まだ外形だけのそれは、かつての自分の姿を思い起こさせた。

 素材に選んだのは、硬くて普段はめったに使わないカシの木。反面、小さくてもずっしりとした重みがあって、丁寧に磨き上げれば丈夫なおもちゃになる。

 頭は球体に近い形なのだが、綺麗な形に削るのには苦労した。ところどころにわずかな凹みがある。長年作り続けて少しは上達してきたものの、教えてくれた父には遠く及ばない。それでも、不思議な愛おしさがあった。

「何回も盗みに来てたこと、気づいてたんじゃないの」

 箱椅子にまたがっている少年が言った。俯いて表情を隠したまま、両足を所在なさげにぶらぶらさせている。

「気づいていたさ」

 答えると、緑がかった瞳がはじめてこちらを向いた。何を問いたいかはなんとなく分かる。

「でも、次に来るときには必ず返してくれていただろう? だからまあ、いいかなと思って」

 おどけたように笑ってみせる。少年が絶句した顔をしているのが、ますます可笑おかしかった。

 彼は、店を閉めた頃に時々こっそりやって来ては窓から忍び込み、そのたびに人形をひとつだけ盗んでいった。どういうわけか、人形以外のおもちゃには目もくれない。再び来ては別のを盗むと同時に、前に持ち出したものを元あった場所に律儀に戻していくのである。不自由な身体で、よくあれだけのことができるものだと思う。

 店主の男は少年のそんな行いに気づいても、あえて何も言わず、彼との人形を介した奇妙なやり取りを楽しんでいた。たまに、作業に没頭していたり眠っていたりして全く気づかないこともあるのだが。そんなときには、知らないうちに交換されている人形を見て、してやられたと嘆いてみるのだった。

 暖炉の中で廃材が弾ける音がする。せっかくだから手足も通してくれないかと頼むと、特に文句も言わず少年は引き受けてくれた。ブロック状に削った角材が四つ、それを人形の両手両足として使うのだ。

「おじさんはずっとひとりで店をやってるの?」

 器用な動きで作業をこなしながら、ふと少年が問うた。男は少年の目を一瞬見て、ええと、と間を置いて答えた。

「この店は元々父親がやってて、少しの間は手伝いをしていたんだけど、亡くなってからはずっとひとりかなあ。でも、町の子どもたちがよく遊びに来てくれるから、毎日楽しい」

 すっかり癖になってしまったように鼻を触りながら笑う。けれど、実際そうだ。自分は決して父のような職人気質かたぎではないけれど、生まれ育った森で子どもたちと触れ合いながらの生活は決して悪くないと思っていた。

「そっか。おじさんは、誰からも好かれてそうだもんね」

 少年は手を止めないまま、少し考え込んで言った。

「……みんな僕のことを人形の手だっていじめるんだ。いくら形が本物そっくりでも、所詮は作り物だから馬鹿にされるのかな」

 彼の呟きは、問いかけというよりは独り言のような感じだった。

「君の手は作り物なのかい?」

「だってそうじゃないか。おじさんだってさっき、僕の義手を人形と同じだって言ってただろ」

 机に置かれた彼の右手に視線を落とす。微小な傷が複数あり、かなり使い込まれていることが分かるが、作りは丁寧だ。材質はホワイトオークだろうか。小さなネジがいくつか見え隠れしているものの、一目では分からないくらい素肌の色味にうまく馴染んでいる。

「冷たいし、血が通ってないし、第一動かせないんだから。嫌だけど、なんか、みんなが言っていることの方が本当なのかも」

 店主は白の混じった顎髭をさする。そして、わずかばかりの沈黙の後、急に立ち上がった。少年の肩がびくっと反応する。

「じゃあ、おじさんに関する、とっておきの秘密を教えてあげよう」

 何かを読み上げる調子で、唐突に言い放った。

「え、何」

 少年は困惑した表情で見上げているが、男は構わない。遠くを見つめて、続く言葉を選んだ。

「実はね、僕は人形だったのさ」

「どういうこと」

 男は髭面に屈託のない微笑みを浮かべ、こう続ける。

「生まれ故郷はここのおもちゃ屋。一本の丸太が、ある日突然、体と命をもらって動けるようになった」

 少年は眉をひそめた。

「そんな嘘、信じるわけないよ」

「でも、これだけは本当なのさ。どんな物にも、命を吹き込む方法がある」

 作業台の下から缶入りの絵の具を取り出して、机の上にいくつも並べていく。少年はそれをいぶかしげに見ていた。

「願うことだよ」

「そんなわけ、」

 少年が弱々しく叫んだ。

 信じられなくても無理はない。実際、そんなに簡単にできることではないし、人形をただの物だと信じてきたのならなおさらだ。

 何にでも命が宿る。

 僕らが願えば。

 教えられたことはたったそれだけ。しかし、きっとそれは紛れもなく真実なのだろう。

「人形の形ができたら、最後は色を塗るんだ。どんな子になってほしいのか、ありったけの願望と、それから妄想をね」

「僕にできるかな」

「できるさ」

 男は力強く首肯した。

 絵の具の蓋を開け、木製のパレットにひとつずつ色を載せていく。男が持つ筆の動きを、少年はわずかに緊張した面持ちで眺めていた。

 絵筆が手渡されると、彼はそれと机に転がったままの人形を見比べ、少し考え込んでから頷いた。筆を左手に短く持ち、余った指で人形の丸い頭をすくい上げる。

「性格は……素直、それと、明るい」

 少年は赤い絵の具を筆に取って、大胆にも頭に塗りつける。

「赤い髪なんておかしいかな」

「いいや、かっこいいじゃないか」

 すると、少年は少しだけ良い気になったのか今度は黄色を取って胴体に筆を滑らせた。

「あとは、ほかのやつと仲いい」

「おお、いいね」

 色を混ぜてもいいのだと教えると、彼は少し考えた末に青と緑をパレットの上でかき混ぜはじめた。

「友達がいっぱいできて、みんなから大切にされてほしい」

 濃厚なエメラルドブルーを左の腕と、ちょっと迷って右の足にも塗る。

 塗れるところが残り少ないと思ったのか、少年はありとあらゆる色を思い切りよくブレンドした。なんとも形容しがたい色が木目の上に薄く広がっていく。彼は微妙な顔をしたが、気にしないことにしたらしい。左足と、それから右手にも色を載せる。

「幸せになって、周りも幸せにするんだ」

 そう言った少年の声は弾んでいた。

 出来上がった人形は眩しいほどに色彩豊かで、店主は思わず笑ってしまった。作者の方はといえば仕上がりにそこそこ満足しているようで、まだ絵の具の乾かない人形を早く触りたそうにしていた。

「上出来じゃないか」

 そう言って少年の背を何度も叩く。すると、少年は照れ臭く笑った。

「おじさんの言ってることまだ信じてないや。でも、なんとなく分かった気がする」

 箱椅子がリズムよくきしむ音を立てた。男は「そうだろう」と笑い返し、大袈裟にガッツポーズをしてみせる。

「ここからが最終段階だ。星に願いを込めよう」

「星に願いを?」

 今までなら馬鹿馬鹿しいと一蹴されそうなところだったが、少年はほんの少し目を輝かせた。うん、いい感じだ。

 心の中だけでそう呟き、男は表側の窓を力強く開け放った。冷たい風が猛烈な勢いで吹き込んでくる。店内に詰め込むように並べられた棚が一度に揺れ、色も大きさもさまざまのおもちゃたちが一斉に音を立てた。少年の方を振り返ると、彼は寒そうに身を縮めながらもゆっくりと歩いてきた。

 少年に合わせて、男も夜空を見上げる。どこまでも上へと続く暗闇には、天球を覆い尽くすかのようなたくさんの星が光っていた。

「願ってごらん」

「え」

 何でもいいんだよ、と促せば、数秒の思案ののちに少年は目を閉じる。

 そのまま数秒が経った。

 窓から再び猛烈な風が吹き込み、おもちゃを残らず床の上に散らした。あっ、と少年の悲痛な叫びが上がる。

 間もなく暴風が吹き止んだ。しかし、散らばったおもちゃはどれも細かく揺れ動き続けている。見ているとそのリズムは次第に揃っていき、やがて完全に同期した。

 少年が目を見開いて、異様な光景に釘付けになっている。男はその様子を何も言わず穏やかに眺めていた。

 作業机の色鮮やかな人形が、立ち上がって歩き出した。そして机から跳び降り、カーペットの上で軽やかにステップを踏んだ。刻まれるリズムに合わせてくるくる回り、華麗なダンスを見せる。

 それに続いて、ほかの人形たちも動き出した。兵隊が太鼓を叩き、ドレスを着た女の子が歌う。三角帽子のノームたちはめいめいに騒ぎ立て、木彫りの大きな熊は近くにあった木琴を器用に奏ではじめた。

「すごい――」

 少年は立ち尽くしたまま、動くはずのない人形が思い思いに躍動しているさまに呆然と目を奪われていた。

 その肩から垂れ下がった木目のある手の指先を、わずかにしわの入った大きな手の指先が引っかけて、するりと持ち上げた。振り返った少年の瞳がさらに見開かれる。信じられない、と。

 掲げたまま、男は少年の義手を握りしめた。少年は思い切り握り返して、それから、弾けるような笑顔を解き放った。

 男は調子に乗って、無造作に体をくねらせて踊った。ひょうきんな動きに、少年が思わず声を出して笑う。

「すごい。動く、動くよ!」

 興奮を抑えきれない様子で、肘を、手首を、指先を少年は自在に操ってみせた。男もそれに微笑んで頷きを返し、呼応して踊り続ける。

 人形たちが奏でる音楽に乗せて、不慣れなステップを踏み出す。白い義手が、まるで血が通ったかのようにしなやかに伸びて、指揮棒みたいな動きで何度も大きく空を切った。男は負けじと大きく手を振って、滅茶苦茶なダンスを続けた。

 踊りに疲れると、ふたりで人形たちの話し声にそっと耳を傾けてみたり、おもちゃの楽器で演奏に加わってみたりした。太鼓、ギターに、カリンバ。明るく素朴な音が、絶え間なく楽し気に飛び交う。そして、またどちらからともなく踊り出す。

「楽しいだろう?」

 息を切らしたのをできるだけ悟られないように言った。

「うん。でも……」

 少年は伸ばした右手を一瞥いちべつして、それから答える。

「やっぱ、ちょっと気持ち悪いかも」

 と、控えめに笑った。


 *


 小さな森を覆う空で、星明かりが一段と鮮明になる。長い夜が深まっていた。

 窓を閉めた店内は暖炉の熱でほのかに暖かく、賑やかな音もいつしか止んで、ふんわりとした静寂に変わっていた。

 窓際の鳩時計が鳴る。

 そのとき、彼は思い出したように古びたズボンのポケットから小さな人形を取り出し、店主に手渡した。

「あの、これ、勝手に持ってってごめんなさい」

 それは、ちょうど店から姿を消していた木の実の指人形だった。はじめて直接返してもらえたことを思い、男はなんだか感慨を覚える。

「おお、これはまた丁寧に」

 差し出された左手に両手を重ねて受け取れば、本当にごめんなさい、と少年がもう一度詫びた。

 男は人形を元あった棚に戻しに行く。少年もひとつ息をついて、椅子から立ち上がる。

「おじさん、また来ていい?」

 男の背に向けて、少年は呼びかけた。

「いつでも」

 男は振り返って答えた。できれば、今度は表から堂々と入ってきてくれればいいな、と思いながら。

 静寂の訪れた店内に、暖炉の弾ける音がやけに大きく聞こえた。閉まった扉の方を男はしばらく眺めて、それから、いつもより遅い店じまいに取り掛かった。

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