③姫路と俺

 どうせやるなら本気でやる。早く稲荷の体から出たいからな。

 稲荷が満足するまでやる――つまり、姫路を恋に落とす。


 そう決めた俺はお気に入りのコンビニに煙草を買いに行った。

 そこのコンビニのバイトは煙草を購入するときに年齢確認をしないことで有名で、うちの大学の未成年喫煙者の補給ポイントとなっていた。

『えっ、煙草ですか?』

 そういえば俺は四月の誕生日に二十歳になったのでもう違法ではないが、稲荷の体はまだ十八歳だ。

「まあ一本くらい問題ねえよ」

『ちょっと!』

 俺はうるさい稲荷をガン無視して煙草を買い、姫路にメッセージを送った。

 経済学部棟の前のベンチで適当に時間を潰すこと一時間。

 遠くからぴょこぴょこと近づいてくる影があった。


 ――姫路。


「やほ~稲荷ちゃん。珍しいね、連絡くれるなんて」

『姫路さん!』

 俺は心の中で稲荷に『うるせえ』と伝えてから小さく手を振った。

「ごめんね、急に誘って」

「ううん、私も稲荷ちゃんともっと仲良くなりたかったからさぁ~」

 姫路は俺(稲荷)の気も知らず手を取ってぶんぶんと振った。

『はわわわわ姫路さんがわたしの手を』

 うるさいな稲荷。童貞か?

 恋愛経験に乏しかったら女性でもこうなってしまうんだなっていうのは俺の中で一つの発見だった。

「姫路さんはこの後授業ないんだよね?」

「うん。今日はもうおしまい~稲荷ちゃんも?」

 俺は大きく頷いて、握られていた手を強く引っ張った。

「ね、デート行こうよ」

 半ば強引に腕を引っ張ったせいで、姫路の顔が数センチのところまで接近する。

 俺は彼女の目をじぃっと見つめて、「ごめんごめん」といたずらっぽく笑った。

 姫路は大きく目を見開いて、「い……今のはちょっとドキドキしたよ」と茶化す。


 でも嘘をつけない彼女の表情が、それが茶化しているのではなく本気で言っているのだと伝えてきていた。


『姫路さんって……そんな顔もするんだ。知らなかった』


 脳内ではずっと稲荷がぶつぶつとひとりごとを言っていた。


**


 駅から少しだけ歩いて上島珈琲に入る。

「ここは黒糖入りのコーヒーが美味しいんだ」

「へえ、稲荷ちゃんカフェとか好きなの?」

「うん。趣味はカフェ巡り!」

「マッチングアプリのプロフィールかぁ~?」

 俺は危うくコーヒーを吹き出しそうになった。

 どうして一女がマッチングアプリの女性あるある『趣味:カフェ巡り』に突っ込めるんだよ。

 『姫路さん……マッチングアプリとかやってるのかな』『別にやっててもいいだろ。そういう時代だよ』脳内で稲荷と会話をする。

 俺がガキの頃はまだ出会い系アプリと呼ばれて忌避されていたような気もするが、時代とは移り変わるものである。

 俺は姫路と他愛ない会話を続けた。

 できるだけ素の俺が出ないよう、それでも積極的に会話を続けた。

 それが功を奏したのか、”グイグイ押してくる稲荷”というギャップを感じさせることができていそうだった。

「姫路さんサカナクション好きなの!?」

「うん、そだよ~。エンドレスが好きなんだ」

 チョイスがいいな。

「わたしも好きなんだよね」

「あれ、ポルノグラフィティが好きって言ってなかった?」

 脳内で稲荷が『姫路さん! 覚えててくれたんだ』と喜びの声をあげる。俺はそれを無視して「ポルノも好きだけど、最近はサカナクションが好き」と答えた。

「じゃあさ稲荷ちゃん、今からカラオケ行かない?」

 俺は心の中でガッツポーズをとった。

 興味のあるなしがはっきりしている姫路から誘いを引き出すことができた。

 相当な好感触を感じる。

「もちろん」

 そのあと俺と姫路はカラオケに行き、四人掛けのテーブルでわざと隣同士に座って、くっつきながらデュエットを楽しんだ。


 半日姫路といて感じたことが二つある。


 ひとつは稲荷について。

 稲荷は基本的に喜んでいるようだったが、俺が押すことで姫路からいい反応を得ると少しだけ悲しそうな声を出す。

「その顔は見たことがない。わたしと一緒にいるときにその顔はしてくれない」と。

 俺はそれを基本的には無視をして、姫路にアプローチをかける。


 もうひとつは俺自身について。

 俺は姫路に対して恋愛感情を抱いたことがなかったし、これからもないという確信があった。

 だが、精神はある程度肉体に引っ張られるらしい。

 俺は、姫路の所作ひとつひとつにドキドキしてしまう自分を感じていた。

 稲荷の中にいる俺は、どうしようもなく姫路のことが恋愛的に好きらしかった。

 全く恋愛対象じゃなかった姫路に対してガンガンアプローチをかけられるのもそのせいである。


 カラオケで軽くご飯を食べて夜八時。

 俺は彼女を誘うことにした。女をホテルに誘うのには慣れていた。

 今の姫路だったら、半分はノリかもしれないが来るだろうという確信もあった。

 心の中で稲荷に問いかける。

 『なあ、姫路をホテルに誘うけどいいか?』『えっホテ……ええ!?』『落とすってそういうことだろ』『それは…………えっと』『俺は早くお前の中から出たいんだ。だからとりあえずヤる』『とりあえずってそんな軽い気持ちで』『どんな気持ちだろうが関係ないだろ。姫路の顔を見てみろ』


 俺はちょうど一曲歌い終わった姫路の肩を叩いて、振り向きざまにキスをした。


「むぐっ――」

「ん……」


 唇は離さずに頬に手を伸ばして、優しく撫でる。

 薄く目を開けると、恍惚とした表情で目を閉じた姫路の顔が見えた。ほんのりと赤くなった頬はきっと化粧のせいじゃない。

 ゆっくりと唇を離す。唾液が糸を引く。


「いな……稲荷ちゃん?」

「……ね、姫路さん。このあと、わたしについてきてよ」

 そういうと彼女はこくりと頷いた。

 『な、稲荷。これでホテルいかないのは嘘だろ?』『でも』『黙って見てろよ。これはお前が選んだ展開なんだからさ』


 ホテルに着いて、俺は煙草に火をつけた。

「あれ、稲荷ちゃん煙草なんて吸ってたっけ?」

「うん? 吸ってたよ。駄目かな」

「駄目じゃない。吸い方かっこいいね」

 姫路がとろんとした目で俺を見つめる。俺は肺に煙を入れて――

「ゲホッゲホッ!」

 ――盛大にむせた。

 そういえば、これは稲荷の綺麗な肺だった!

「あはは、吸いなれてないじゃん! かっこつけたの?」

 楽しそうに煽ってくる姫路が俺の情欲を掻き立ててきたので、返答の代わりに唇を塞いだ。

 なし崩し的に行為に及ぶ。

 柔らかい肌を重ね合わせた。


 行為に及んでいる最中、ずっと稲荷のすすり泣く声が聞こえていた。

 姫路は稲荷の体を抱いているが、その中身は俺だ。

 稲荷はそれが空しくなってしまったんだろう。

 もしかすると後悔すらしているかもしれない。

 自分の好きな人が、自分に抱かれている。

 でもそれは自分の意志ではないし、彼女が見ているのは自分ではないのだから。


 俺はその感情を無視して、最後までやり切った。

 ホテルから出て、電車に乗って、姫路と別れた瞬間、俺は自分の部屋で目が覚めた。


「――戻ってきたのか、自分の体に」

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