②稲荷と俺

 違和感。


 けたたましいアラームにたたき起こされた瞬間、ものすごい違和感が俺を包んだ。

 寝ぼけ眼でアラームの発信源を探して、すぐに違和感の正体に気が付く。

 アラームの音がいつもと違う。

 俺は毎朝サカナクションの『アイデンティティ』という楽曲で目覚めている。ドラムの入りが最高にイカしているので、すぐに飛び起きることができる。

 しかし今日流れてきたのは特徴的なタム系のドラム音ではなく、金物系が混ざったドラムだった。スマホはすぐに独特な声で「君の手で切り裂いて」と歌い出す。『メリッサ』だった。

「んん……」

 寝返りを打ってスマホを探す。


 スマホに向かって手を伸ばす。

 違和感。


 スマホを手に取る。

 違和感。


「――――はぁ!?」


 俺を包む世界のすべてがおかしいことに気が付いた瞬間、思わず叫んだ。


 アラームが違う。

 ベッドの色が違う。

 スマホが違う。

 伸ばした手が、俺の手じゃない。


「なんなんだ!」

 俺は両手の手のひらをじっくり眺めた。

 色白で華奢な手。それは明らかに男の手ではなかった。

 ピンク色の袖を捲る。スベスベの腕。

 視線を落とす。少しだけ膨らんだ胸。

 手櫛で髪をとかす。無造作に伸ばした俺の髪ではない、サラサラのショートボブ。

「はぁ」

 大きく深呼吸をしてから、スマホのインカメラを起動した。


 そこに映っていたのは新入生の女子生徒、稲荷いなりだった。


「まあ……言っておくか」

 俺は頭を掻きながら、数年前に観たアニメ映画を思い出て、叫んだ。


「もしかして俺たち、入れ替わってる~~~~~~?」


 しかしその時、脳内に女性の声が響いてきた。

『いや、入れ替わってはないです』

「あぁ?」

『だから、入れ替わったわけじゃないんです』

 その鼻にかかるような特徴的な声には聞き覚えがあった。

「その声は、稲荷か?」

『はい』

「なるほど」

 別になるほどではなかったのだが、俺はとりあえず納得をした。

「入れ替わってないのなら、これは何なんだ?」

『うーん……憑依? とはちょっと違いますよね。わたしに肉体の主導権はないので』

「お前体動かせないの?」

『ええ。肉体の主導権は完全に草野さんにあります』


 つまり、俺の精神が稲荷の体に宿り、稲荷の精神は俺の後ろに引っ込んだということらしい。

「なんだこれ。お前の超能力か?」

『いえ、こんなのは初めてです……』

「ふぅん」

 俺はそこで重要なことに思い至った。

「ちょっと待て。俺の体は今どうなってんだ?」

『……』

「おい!」

『わ……わかんないです』

「チッ」

『ひぃ……』

 まずは家に帰ろう。

「稲荷んちってどこだ? 一人暮らしだよな」

『西門の近くです……』

「了解。俺んちまで五分くらいだな」

 俺はベッドから立ち上がって部屋の中を見渡した。

『あの……あんまりジロジロ』

「見ねえよ」

『変なところさわったりも』

「しねえよ」

 今さら女体にどきまぎしねえよ。

 洗面台で顔を洗って適当に髪を梳かす。タンスから適当な下着と洋服を取って着た後にマスクをして家を出ようとした。

『草野さん……あの、すっぴん』

「ちょっと俺んちに帰って俺の様子を見るだけだ。マスクしてるし許せ」

『でも、草野さん。草野さんって家の鍵かけないタイプですか?』

「……ああ、クソが。そうだな」

 家に入れない。

 俺はいったん家に帰るのは諦めた。幸い俺も一人暮らしなので、俺を心配する人はいないだろう。精神がいない間に肉体が腐敗とかしてたらどうしよう。


 気を取り直して、彼女に根本的な質問を浴びせることにする。

「じゃあ稲荷。改めて聞くけど、これはなんだ?」

『……わか、わかりません』

「今言い淀んだな? なんか心当たりあるんだろ」

『……』

「おい」

 俺が問い詰めると稲荷は小さな声で恥ずかしそうに言った。

『か、関係あるかないか……わからないんですけど……わたし……』

「なんでもいいよ、言ってみ」


『草野さんになりたいって願ったんです』


 唖然とした。

 数秒間フリーズした俺は、気を取り直すように咳払いをして問いかけた。

「なんで俺になりたいんだよ」

 稲荷は俺になりたいらしい。それがこの現象に関係があるかはわからないが、まあ主の原因な気がする。

『それは……姫路さんと仲いいから』

「あぁ?」

 反射的に凄んでしまったが、稲荷の言う通りはたから見たら俺たちは仲良く見えるのだろう。姫路のことを好いている稲荷が俺を羨んでしまうのも納得はできた。

「俺たちは別に恋愛関係じゃないぜ。アイツにそういう気持ちはわかねえし」

『でも距離近いじゃないですか』

「なんか懐かれたからな」

『じゃあ少なくとも姫路さんは草野さんのことをプラスに思っているということですよね!』

「……」

 プラスには思ってくれていると思うが、彼女も俺に恋愛感情を抱いているわけではないだろう。しかし奥手で恋愛経験に乏しい稲荷にはその差がわからないのかもしれない。

「そんなに姫路のこと好きなのか?」

『……はい。できれば付き合いたいです』

 照れたような声で稲荷は言った。正確には音声として出ているわけではなく、俺の脳に直接聞こえてきている。

 果たしてあのサイコバニーのどこに惚れたのか全然理解できなかったが、好みは人それぞれだし、惚れてしまったものは仕方がない。

「どういうところが好きなんだ」

『……話してて楽しいし、会話も遊びもリードしてくれる。それでいて掴めそうで掴めないところ』

「掴めそうで掴めない? それってマイナスポイントじゃねえの」

『うーん……その理解不能な感じを好きになってしまったんです』

「そんなもんか」

 俺からすれば姫路ほど感情がわかりやすい人間もいなかったのだが、確かに行動の理解不能感はすごい。稲荷はその奔放さに焼かれてしまったのだろう。


「まあ、お前が姫路を好いていることと、そんな姫路と仲のいい俺になりたいと願ったことはよくわかった。それで、お前は俺にどうしてほしいんだ?」

『……草野さん』

 稲荷は改まった声色で俺の名を呼んだ。俺も思わず身構える。


『わたしの体で、姫路さんと仲良くなってくれませんか』

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