第2話 友達にあげるチョコ

 月曜日の一限はだるいが、まったく寝つけなかった俺の体はいつも以上に重かった。悩みの種はもちろんバレンタインだ。


 友チョコや感謝チョコだって分かっていても、男子は嬉しいよな。さすがに、テキトーに選ぶのはまずいか。でも、何をあげたら柊は喜んでくれるんだ? バレンタインで定番なのは、ブラウニーとかガトーショコラだよな。両方美味いから、どう違うのか分からねーけど。


 俺はシャーペンで頭をつついた。


 おしゃれ女子が好きそうなカップケーキ型のチョコレート。くしゃみしたらココアパウダーが飛び散りそうな生チョコレート。パンダやウサギをかたどったアソートメントも、可愛いもの好きな柊に喜んでもらえそうだよなー。だけど来月は、新刊の漫画を三冊買う予定がある。俺の財布的には、コンビニで買えるアーモンドチョコレートや、プリッツにチョコレートをコーティングしたお菓子にしときたい。ただ、小腹が空いたときに柊がいつも食うやつなんだよな。特別感がねえ。


 手作りは論外だ。生卵をそのまま電子レンジに入れた日から、一人でキッチンに入ることを禁じられた。


「いっそのこと新刊は自腹で買うのあきらめて、親父用のチョコを奮発してやるか? そうなると親父の分も考え直しだな。やっべ。頭いてぇー」


 俺が突っ伏していると、机の端でノックされた。誰だよ、うっせーなー。


「有本さん、具合悪い? 保健室行く?」


 あっぶねー! 担任に噛みつく半歩手前だったわ。

 俺は苛立ちを引っ込める。


「雨降ってるんで、偏頭痛っぽいだけです。無理そうなら保健室行きます」


 頭痛の原因がバレンタインなんてバレてみろ。あの有本にも春がやって来たと、クラスメイトから笑われるわ。


「そう? 無理になる手前で保健室に行っていいからね。今日の授業は、テスト対策の問題を解いてもらうだけだし」


 担任が見せたプリントは、授業でやった覚えのない文字が並んでいた。この間まで劉邦りゅうほうに怒る項羽こううをやってたはずなのに、項荘こうそう項伯こうはくも出てきている。紛らわしい名前で無意識に意識を失っていたのか……? 後で友達にノートを見せてもらわねーと。


 俺を気遣う先生の優しさが刺さる。席移動オッケーになると、女友達の席へすぐ行った。


 ゲームや漫画に疎そうな委員長は、私や柊と違ってグッズを普段使いにすることはない。だが、勉強に疲れたときは蛍光ペンを握り、推しカプのカラーで癒されていた。一般人に擬態するタイプのヲタクである。


「もみじぃー。この線って印刷ミスか?」

「な訳ないじゃない。翼と蔽の字を熟語にしたいから、ハイフンで繋いでいるの。一年生の漢文で基礎を教えてもらったでしょ」

「レ点と一二点しか記憶ねーわ」

「覚えているものもあるじゃない。それならこの機会に再読文字を覚えられそうね。記憶力がまったくないんじゃないんだし」

「それとこれとは話が別」


 俺が首を振ると、紅葉がプリントに書き始めた。


『ユイリィのスリーサイズは暗記できるんだから、これくらい覚えなさいよ。変態』

「誰が変態だよ。嫁のプロフィールは暗唱できるほど覚えるもんだぞ。文句があっても俺に言うんじゃない。ユイリィの個人情報を世界中に公開した、公式が悪いんだからな。あの情報のせいでユイリィの絵を描く虫が大量発生しやがったんだ」

『あっ……(察し)』


 腐女子はタグに腐注意とか書いてくれるのに、バズるためなら何をしてもいいと思う連中は嫌いだ。全年齢対象でも顔は表情されるんだよ。白目剥かせんじゃねぇっつーの!


 気づけば頭の痛みは消えていた。俺は語句の読みと意味の問題を解き終わる。


 なーんだ。意外と楽勝じゃん。これなら余裕で補習回避できそうだ。


「ちょっと雪! また同じ間違いしてるじゃない。否定の助動詞は、ずーざるざれって活用するの。その読み方は『ず』じゃなくて『ざる』よ。しからざんばじゃなくて、然らずんば。使役の助動詞は漢字じゃなくて、ひらがなの『しむ』に直す! 一学期の朝三暮四でもやった。『令』も同じ使役の助動詞! 肘置きになってる『漢文必携』を有効活用しなさい!」

「……おぉ」


 怒り出す紅葉は、小さな先生みたいだ。そんなに動いたらツインテールが俺に当たるからやめろ。


「雪みたいな生徒ばかりだったら、ストレスで先生死んじゃいそう。心配されて声をかけてもらえるうちが華だからね。仮病で保健室に逃げ込もうとしていたら許さない」

「ひでー言い方。仮病だと決めつけるのはどうかと思うぞ」

「雪は怠惰なだけでしょうが。まさか、ほんとに偏頭痛なの?」

「痛さはそれに近いかもな。こういう事情があってよ」


 俺はプリントの端に理由を書いた。紅葉なら、クラス全体に聞こえるように話すことはない。読み終えた紅葉の手からシャーペンが落ちた。


「黙っていたらユイリィに劣らない雪に、とうとう春が……!」


 やっぱりこういう反応されるか。今まで三次元の恋愛に興味持てなかった奴が、急にバレンタインを意識しちゃってんだもんな。


「紅葉。勝手に盛り上がってるとこ悪いが、ユイリィに失礼だ。俺は可愛くもなければ綺麗でもない。ユイリィと同じ髪型をしても、足元にも及ばねーよ。ユイリィはいるだけで天国なんだ。キラキラお目目と八重歯がマジ天使。真面目なのに何もないところで転んで詠唱失敗するの、マジで可愛すぎんだよ。それと柊は脈ありじゃねぇから。一緒にメイト行って、グッズの感想をリアルタイムで語れる貴重な友達ってだけだ。あいつの嫁は俺なんかと違っておしとやかだし、無表情でも笑ったときも可愛いしよ」


 俺の熱弁に紅葉は俯いた。大きな溜息が怖い。


「それを春と呼ぶの。素直すぎる主のために暗躍する范増はんぞう。敵とは言え恩人の顔を立てるために、命を賭してかばう項伯。彼らの関係と同じぐらいのときめきだわ。お礼に知恵を授けてあげる」


 紅葉は俺のプリントの端に、チョコレートの渡し方を書き込んでいく。参謀みたいでかっこいいな。十パターンくらい書く勢いだ。


 ふおぉーと唸っていた俺は、大切なことを思い出す。


「なぁ紅葉。肝心のチョコレートはアドバイスくれねーの?」

「それは自分で選びなさい。かれこれ一年近く付き合ってきたヲタク友達の好みなら、雪以上に分かっている人はいないもの」


 分かんねーから悩んでんだろ。そう言い返そうとした俺に、天啓が舞い降りた。


 柊が何を好きなのか、ずっと前から知ってるじゃねーか!

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