柊の棘は甘すぎる

羽間慧

第1話 俺のヲタク友達は可愛い

 頼む。俺にはもう、後がないんだ。


 精神を落ち着けてから、プラスチックのふたを開ける。折りたたまれた紙片をめくり、ブツを確認した。


「うあああぁ~! 爆死したよぉ~!」


 無情にも引いたばかりのガチャガチャには、うりきれの文字が表示される。金ならまだ、両替で五千円溶かせるのに! どうして九分の一が出ないんだ!


 俺がしゅうに顔を向けると、パーカーに入れていたスマホが鳴った。


『おつおつ。骨は拾っておいてやろう( ÒㅅÓ)キリッ』


 新着メッセージを送ったのは、目の前にいる柊本人だ。


 ヲタクの俺と直接話すのが嫌すぎる訳ではないし、同担拒否でもない。その証拠に、彼の透明なスマホケースの中には、同じゲームのキャラクターであるナナカのステッカーが入っている。気合いの入りようは、スクールバッグを見れば明らかだ。保護カバーをつけた缶バッジで、一面が埋め尽くされている。柊も俺と同じぐらいヲタクを極めていた。


 柊にとって、面と向かって人と話すことは極度に緊張させるらしい。何を言えばいいのか悩んで強ばる顔が、不細工ではないか考え込んでしまうようだ。困り眉になっても可愛さは減らねーのに。顔の半分を前髪で覆った男子高生が、可愛い顔文字を使ってるんだぜ? これを萌えと呼ばないでどうするよ。


「しゅ~うっ! 天使かよ~! ごめんな、商店街の店を片っ端から巡らせちまって。引いたのがナナカなら、柊に譲れたのによぉ」

『気にしてないぞ。心配性を発動するの、雪の悪いとこだな ヨチ( * ´꒳`ノ(´^`° )ョチ︎』

「マジで柊の背中に羽が見える! バイト代入ったら、ぜーったい飯おごるからな! 俺の推し活に付き合ってくれるの、柊だけだよ。知り合いの女の子が嫁を自引きできなくて発狂するの、地獄絵図だろ。……なんか、自分で言ってて切なくなってくるわ」


 俺はプリーツスカートを見下ろした。笑い声の気味の悪さは、女子高生だろうが許されるはずがない。


『相変わらずのお豆腐メンタル(´∀`*)ヶラヶラ』

「おうよ。俺はこう見えて繊細なんだ」


 傍目から見れば、俺が一方的に話しているように見えるだろう。柊はスマホを凝視したまま、俺と目を合わせないのだから。さながら、金髪ギャルに絡まれている哀れな真面目学生の図だ。柊が画面上だけ饒舌になれることを、知っている人物は数少ない。家族か俺くらいのものだ。


 俺と柊が出会ったのは、高校ではなくSNSだ。チェキ交換希望のハッシュタグから、俺が見つけ出した。ナナカ推しのラギさんを。


 ローブを着た魔術師ユイリィの水着なんて、レア中のレア。水着バージョンが実装されるのは、ゲーム内投票で上位のキャラばかりだからだ。先にグッズとしてお目見えした嫁が五万円以上の高値で転売されるのを見て、何度も歯ぎしりしていた。


 インスタントカメラで撮影した体のカードは全七十種類、箱で買うとなると出費は痛い。全種類確定じゃねーし。だから、高校生の財布では入手不可だと思っていた。たまたま交換条件だったナナカの寝顔チェキを引いていた俺、すっげぇ強運じゃね?


 都内在住の場合は手渡し可能と書いてあったから、駅を待ち合わせ場所に指定した。もちろん、家や学校の最寄り駅ではない。さすがに特定されるのはまずいと思い、学校の創立記念日に私服で会った。


 リアルでもネットでも男っぽい俺が、実は女子だったなんて引くよな。そんな不安は、柊と会って消えた。


「なぁ。あんたがぶつかってきたから落としたんだけど。新しいの買って弁償しろよ」


 ガラの悪そうな男が学ランに絡んでいた。飲みかけらしいフラペチーノの容器は、半分以上減っている。飲もうとした直前に落としたのならともかく、大の大人が情けねーな。あれ。学ランくんのスクールバッグについてるの、全部ナナカのバッジだ! 交換相手のラギさんのアイコンと同じバッジもある。とりあえずカツアゲは見てらんねーから、早く助けてやらなきゃな。


 俺は喉の調子を確かめて二人に近づいた。


「お兄ちゃん待った? メイト行こ」


 一億年ぶりぐらいに出した地声は、幼馴染を起こしに来る正統派ヒロインに似ていた。


 家族だけは褒めてくれるが、普段は俺の性格に合わねーから封印しているんだよな。アニメグッズ専門店に行く兄妹がいるとは思えねーけど、中学生っぽく振る舞っとけば騙せそうだ。百五十もない身長と童顔が、たまには役に立つもんだな。


「はぁ? こんな冴えない奴に妹がいるのかよ。妹ちゃん、こいつ何もしゃべってくんないから、代わりに弁償してよ」


 俺の腕を掴もうとした男に、嫌な汗が背中をつたう。三次元のしつこい男は嫌いだーっ!


「てめーに使う時間はねーわ! さっさと失せやがれ」

「ひゃいぃ~! 絡んですみませんでした!」


 他愛ねぇな。


 退散する男に鼻を鳴らすと、学ランは俺の袖を遠慮がちに引っ張った。学ランに促されるまま、スマホの画面を見る。


『ありがとうございます(߹ㅁ߹) 💦 怖くて声が出せなかったので、お姉さんに助けられました( *^^人)♬*°』


 くっそかわえぇ~っ!


 小動物かよ。ポーカーフェイスなのに、この顔文字のセンスはずりーだろ! 嫁以外に尊死しちまうじゃねぇか。


有本ありもと雪って言います。絡まれて怖かったですよね。誰かと待ち合わせしていたんですか?」

『はい。本当はすぐに逃げたかったんですけど、ダブったグッズを人と交換するために来てて。初めて会う方との約束なので、何が何でも遅れる訳にいかないじゃないですか( +,,ÒㅅÓ,,)=3フンス!」


 どこで見つけてくるんだ? 俺が使うとしたら、こういう奴だぞ(`・ω・´)フンスッ!


 こっちも可愛いけどよ、つぶらな瞳はずりーよな。


『自己紹介忘れていました。貴崎きさき柊です。俺の名前(ᐢ' 'ᐢ)ᐢ, ,ᐢ)』


 可愛いが大渋滞してやがる。俺はふにょんと溶けかけた唇を、どうにかして動かした。


「俺もグッズの交換で来たんですよ。ツブヤイターのアカウントは、スノーって名前にしてて」

『スノーさん? ユイリィ推しの? こんなにかっこいいお姉さんだったんですね.。.:*・'(*°∇°*)'・*:.。.』

「がっかりしたんじゃねーの?」

『まさか。ヒーローだと思いましたよ ドキ(✱°⌂°✱)ドキ』


 だから顔文字が可愛すぎるんだって!


 ラギさんもとい柊と会った日、俺は三次元でも推しができるのだと思い知らされたのだった。


 柊が同じ歳と知ってから、休日はほぼ一緒にグッズを集めるようになった。今日はガチャガチャの缶バッチとラバーストラップで運試しをしていた。


『ユイリィ以外揃ったの、逆に奇跡じゃない? ここまで揃ったら痛バにすればどうかな:.゚٩(>ω<)۶:.。』

「ああ言うのはセンスが問われるんだよ。何時間も試行錯誤した結果、穴だらけのカバンが残るんだ。柊みたいにセンスよく飾れるのスゲーよ。引き出しに飾るとしても、入り切るかな」


 全部引いても嫁が出ないのは、割に合わない。お年玉を全部つぎ込んだのに。


『雪、お年玉を使い切ったの?』


 ぎく。心の声が全部漏れていたのか?


『今日買ったもの、ちょっと貸してくれないかな。次に会うとき、ロゼットにして渡すから(๑•̀ㅁ•́ฅ✧』

「ロゼットって何だ?」


 首を傾げる俺に、柊は自身のスクールバッグを指差した。プリーツ状にしたリボンで飾られたバッジがある。ペリドット色のリボンは、ナナカの瞳の色に合わせていた。それだけでも華やかだが、Nのイニシャルのチャームやフリルに使っていたリボンと近い色の薔薇も目を引く。


 そいつ、ロゼットって名前だったのか。あと、柊のロゼットは手作りだったんだな。こんな綺麗なものを作れるなんて、柊は天才じゃね?


 俺は目を輝かせた。


「すげぇよ、柊! 費用は全部払うから、レシートを残しといてくれ」

「別にいらないよ。俺と雪の仲じゃん」

「それもそうだな! 恩に着るぞ、柊」


 柊とハイタッチしようとした手は、直前で止まる。さっきの低音イケボの主はまさか?


『自引きしたそうだから黙っていたけど、ユイリィの新作缶バッチとラバスト持ってんだよね。雪の普段使いする用と、雪が鑑賞する用*.(´꒳`b).*』


 さっき初めて聞いた柊の声が、脳内で再生される。可愛い顔文字なのに、かっこよく聞こえる。


『雪はどうしたい?』


 声がよすぎる。いつも見る画面越しの会話なのに、破壊力がやばすぎるんだが!


「お恵みください、柊様!」


 半ばヤケクソになる俺に、柊はブイサインを送った。弄ばれている感は腹が立つけど、俺が離れたら柊がぼっちになるからな。俺は大人だから我慢してやらぁ!


『来週はお互いテスト週間なんだよね。テスト明け最初の週は、録りためたアニメ鑑賞に使う?』

「そうだな。さすがに禁断症状が出そうだし。その次の日曜でよくね?」

『りょーかいっฅ(*´꒳`*ฅニャ』


 柊と別れた後で、俺はスマホのカレンダーを開いた。テスト明けの日曜は何日だったっけ。


「げ。バレンタインデー当日じゃねーか!」


 ヲタク友達とはいえ、柊にチョコをあげるべきなのか? でも、柊から指定されたってことは、俺がチョコ渡すかもって少しは期待してるんじゃねーのか? わっかんねー!


 バレンタインデーは、チョコレートをあげたキャラの限定ボイスに悶える時期だと思っていた。縁のなさすぎるイベントに、俺はどうしたものかと頭を抱えたのだった。

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