第16話 「この世に強く強く生きている命だった」
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「ひゃぁぁぁ~~!!!」
引き戸を強引にこじ開けて、ラッピーは私の目の前に現れた。
ラッピーがこんな芸当を出来るなんて思ってなかった私は、モンスターへと変身するラッピーの幻覚に襲われ、30余年の人生の中でも最大級の叫び声をあげた。
このままじ殺される!
このままじゃ喰われる!!
……と、
そんな最大級の混乱状態にいる私の目を覚まそうとする様に、ある声が私の耳に響いた。
それは……
「ワウッ!!」
犬の声。
ラッピーの少し甲高く吠える声だ。
「へぇ?!」
「ワウッ!!」
ラッピーはもう一度吠えた。
私は目をこらした。
だって、ラッピーはモンスターに変身した筈。
なのに目の前にいるのは小さな体のいつものラッピーだ。
茶色と白と黒が混じったビーグル犬のラッピーだ。
「ワウッ!!」
ラッピーは尻餅をつく私の足に前足を一つ置いて、首を大きく揺らしてもう一度吠えた。
「ど……ど……どゆこと?」
私は混乱した。
モンスターじゃない普通のラッピー。
それは当たり前の事なのに、その事実を理解出来なかった。
だけど、その混乱はすぐにもう一つの混乱、モンスターへと変身したラッピーを打ち消してくれた。
「え……なに? ま……まぼろしだったの?」
そこでやっと私は自分自身が我を失い幻覚に怯えていた事に気が付いた。
「な……なに? なんだよ……なんだ……」
私はホッとしたのもそうだけど、有りもしない幻覚に……しかもこんな小さな犬に怯えていたという事実が余りにも馬鹿らしくて、自分自身が可笑しくなった。
「ハハハハハッ! なんだよ、なんだよ! もう本当やめてよね。私、アンタに食べられると思ったじゃない!」
「ワウッ!!」
そう私が話し掛けると返事をする様にラッピーはまた吠えた。
「ワウッ!! じゃないの、もう本当に驚かすのやめてよね」
私が笑いながらそう言うと、ラッピーは「ハァ、ハァ」と口を大きく開けて舌を出した。
私にはそれがラッピーが私に笑いかけてる様に思えた。
「な……何よアンタ! 馬鹿にしてんの!」
……と言いながらも、私の心の中でラッピーに対して初めての感情が芽生えていた。
口には出さないけど、確かに思った。
か……可愛いじゃん……コイツ
って……。
安堵も手伝ったのかも。
今まで小汚ないとしか思えなかったラッピーが、初めて可愛く思えた。
でも、私はそんな素直な人間じゃない。
もう私はぶぶちゃんに『犬は嫌いだ』と言っているんだ。
私は"犬が嫌いな人間"なんだ。
ラッピーなんか可愛くない!
そんなの認めない!!
私は自分が抱いた感情に反抗する様にラッピーに向かって
「べぇ~!」
っと舌を出した。
「あぁもう、アンタのせいで疲れちゃったじゃん! そうじゃなくても疲れてるのに。あっ! チキンライスが溶けちゃう!」
我ながら切り替えが早い、私は足元に落としてしまっていたエコバッグを取り上げると台所まで急いだ。
台所に入って右手にある食器棚の横に冷蔵庫はある。
もうさっき迄の事は過去の事って感じで、私は夕飯用に買ってきた冷凍のチキンライスを冷蔵室に入れる事に神経を集中させていた。
ガラガラっと冷蔵庫の下段にある冷蔵室を開けた時、なにやら気配を感じた。
「ん?」
私がパッと振り向いて台所の入り口を見ると、首を傾けながら台所を覗くラッピーの姿が見えた。
まだ舌を出してハァハァ言ってる。
「なんだよぉ! くっついてくんな!」
私がそう言ってもラッピーは言うことを聞かなかった。
その後も、私がチキンライスをしまって『次は一服をしよう!』と寝室に入ると、同じようにラッピーも寝室に入ってきた。
一服が終わって、『次は洗濯だ』……と脱衣場に行くと、またラッピーはついてきた。
「アンタねぇ……何考えてんの?」
と聞いても伝わる訳がない。
それから、洗濯を回してまた寝室に戻ると、またラッピーもついてきた。
私たちの寝室は和室で、畳まれた布団の近くに座椅子が置いてある。私は一服をする時はいつもその座椅子に座るんだけど、私がそこに座るとラッピーも私の横に座った。
そして、私が立ち上がると、ラッピーもまた立ち上がる。
それの繰り返し。
昨日までの私なら多分、怒鳴ってた。
でも今日の私はなんだか嫌じゃない。
洗濯機を回してそろそろ50分くらい、もう終わるだろう。
脱衣場に入ると、やっぱりそうだった。
洗濯機は止まっていた。
洗った物をカゴに入れ玄関の前にある階段で二階に上がった。
洗濯物は二階のベランダで干さないと太陽の日が当たらないから。
階段を上がる時、途中で下を見下ろしたらラッピーは階段の下で私の顔を見上げていた。
昔の家だもん、階段は急だ。
私でさえ上るの大変なのに、ラッピーになんか上れる訳ない。
「ついてこれるモンならついてきなぁ!」
私はそう言ってラッピーに「べぇ~」と舌を出すと、二階に向かった。
二階はリビングにしてる部屋。
ここも畳み敷きだからリビングって言うのは違うかもしれないけど、そんな感じ。
元々お義母さんがこの部屋を使ってた。
寝室に比べるとこの部屋は倍くらいデカイ。
リビングを真っ直ぐに突っ切って、私はベランダの扉を開けた。
今日は良い天気、絶好の洗濯物日和。
私はカゴに入れてきた洗濯物を手当たり次第に干していった。
一枚、二枚、三枚、四枚……
私は洗濯おねぇさん♪
やる前は面倒くさいけど、やっちゃえば洗濯ってけっこー楽しいよね!
最近良い柔軟剤を見つけたしもっとだ!
最後の一枚も干し終わって、
「さぁ昼飯でも食おう! お腹空いた! お腹空いたぁ!!」
ってテンション上がって一人で喋っていた私が後ろを振り向くと、
今日何度目になるんだろう? 自分でも疑問……。
私はまたまた叫び声をあげる事になった。
「ひゃっ!!」
だってしょうがないじゃないか……
「ハァ、ハァ」と大きな舌を見せたラッピーがそこに居たんだから。
「な……なんでアンタここに居るのよ!」
私は心臓を押さえながらラッピーに向かって言った。
といっても、実はさっきまでと違ってラッピーが居ること自体は嫌じゃない
『ひゃっ!!』って叫んだのも純粋に驚いたんだ。
「アンタ……あの階段上ってきたの?」
私は階段の方を指差した。
でもラッピーは首を傾げて「ハァ、ハァ」言ってるだけ。
「飛べるわけないもんね、やっぱ上ったの? どんだけ身体能力高いの、 アンタ?……」
さっきもちょっと言ったけど、この家の階段は私でさえ疲れてる時は億劫になるくらいの急な階段。
多分ラッピーが後ろ足で立ったとしても胴体半分くらいの高さはある。
何段あるかは数えてないから分からないけど、多分十段以上はある。
そんな所を上ってきたの?
『人間だったらSASUKEに出れる逸材だ……』と私は思った。
「私についてきたかったの?」
ラッピーは私の言葉に答えない、ただ「ハァ、ハァ」と息をするだけ。
そしてよく見るとラッピーの足元には黒ずんだ汚いぬいぐるみがあった。
「アンタ、これって……」
私はラッピーにまたまた問い掛けた。
このぬいぐるみには見覚えがあったから。
ぶぶちゃんが
『ラッピーが好きだったぬいぐるみ、よく噛んでたヤツ』
って言って、大事そうに寝室の窓際に飾ってたヤツ。
多分、形的にウサギのぬいぐるみなんだろうけど、ラッピーが噛んで取っちゃったのかな? 目も鼻も無くてのっぺらぼうだ。
大きく伸びた耳が無ければウサギって分からなかったと思う。
そういえば今日はいつもの場所に置いてなかったかも。
きっとぶぶちゃんがラッピーに渡してたんだ。
「下から持ってきたの?」
「ワウッ!!」
私の言葉にやっとラッピーは答えた。
そしてアクビをする時みたいに前足を前に出してお尻を上げ、もう一度
「ワウッ!!」
「え……?」
私は首を傾げた。
なんかこの動作の意味を知ってる気がした。
「えと……えと……確か、ぶぶちゃんが前に話してたような」
記憶力の良くない私、でもぶぶちゃんが何度も話してくれた内容は流石に少しくらい覚えてる。
記憶力の良くない私にピッタシなぶぶちゃんの癖がある。それは何度も同じ話をするという癖。
この動作の意味も、ぶぶちゃんはしつこいくらいに何度も私に話した。
そんな気がする……
私は頭を捻った。捻って捻ってゾウキンみたい。
「あっ!! そうだ……『遊ぼう』だ!!」
私はやっとこさ頭の中の引き出しからぶぶちゃんの話を引っ張り出した。
「『遊ぼう』って意味だソレ! そうだよ! そうでしょ? ラッピー!!」
私は思い出せた嬉しさでラッピーに向かって満面の笑みを見せてしまった。
「ワウッ!!」
そんな私に答える様にラッピーはまたお尻を上げて吠えた。
そして足元に置いたぬいぐるみを一噛みしたかと思うと、ブンッて私に向かって投げた。
「あっなにすんの!」
人形は私の胸に当たって落っこちた。
「こらーー!」
私は落ちたぬいぐるみを拾ってラッピーに向けて振り上げた。
すると、ラッピーはぬいぐるみを『くれ!くれ!』と言っているのかピョンピョン、ピョンピョンとジャンプした。
テレビで見たことがある、飼い主が投げたぬいぐるみを走って取ってくる犬を。
やってみようかな。
私は思った。
「ほら、取ってこい!」
私はぬいぐるみを軽くヒョイっと投げた。
ラッピーはもう一度私に向かって
「ワウッ!!」
と吠えると、クルっと回ってぬいぐるみに向かって走り出した。
ラッピーは走る勢いそのままにぬいぐるみにガブッと噛みつくと、またクルっと踵を返して私の下へ走り寄ってきた。
「ハァ、ハァ」
ラッピーはポトリと私の足元にぬいぐるみを落とした。
「ハハ! もしかして、まだやってほしいの? 良しッ……ほら!!」
私はぬいぐるみを拾い上げるとまた部屋に向かって投げた。
「ワウッ!!」
ラッピーはまたまた元気の良いひと吠えをあげるとぬいぐるみに向かって走り出した。
楽しい!
ナニコレ楽しい!!
「ほら、もいっかいだ!」
「よぉし、よし、よしっ! 良い子、良い子! ほれぇ~」
「ラッピーあったま良いね! まだやる? まだやりたい? よぉ~し、ほれぇ!!」
「ハハハハハ! ラッピー天才! ヨッシャ行け!」
「ハハ! グッボーイ! グッボグッボグッボーイ!!」
「ハハハハハ……ふぅ~! ちょっと待って、ちょっと待ってねぇ……私ちょっと疲れちゃった。ハァ……ハァ……あ、そうだよ今何時かなぁ?」
私はポケットからスマホを取り出して時間を見た。
「あ……ヤバッ! もうこんな時間!」
気が付けば私はラッピーと一時間近くも遊んでいた。
「ごめんラッピー、そろそろ私夕飯作らないと……」
私は申し訳ない顔でラッピーに詫びた。
それが分かったのか、ラッピーは
「くぅ~ん」
と鼻を鳴らした。
「ほら、下りるよ!」
ただぬいぐるみを投げてるだけだったけど、テンションが上がっていたからか結構疲れた。
後半は息も絶え絶えだった。
「ほら、来なさい」
私はラッピーに先行して階段を下り始めた。
でも、ついてくる気配が無い……
不審に思って後ろを振り向くと、ラッピーは階段を見下ろしながら、眉を八の字に曲げて私に向かって何かを"お願い"する感じの顔をしていた。
もしや……
「もしかして……ラッピー、上ることしか出来ない?」
「くぅ~ん」
言葉が通じない筈の相手でも、相手の表情を見れば意思の疎通は出来るのかもしれない。
ぬいぐるみで遊んでいる時から、私はそう思い始めていた。
ラッピーは『そうだよ。下ろしてくれぇ』って言っている。
「どうやらそうみたいだね。ハァ……じゃあ分かったよ」
私は階段を上り直してラッピーに近付いた。
「特別大サービスだからね! よいしょぉ~!」
私はラッピーの脇腹の下に両手を入れて、力いっぱい持ち上げた。
「重っ……」
ズシッときた。
胸の辺りまで持ち上げると両手をスライドさせて、落ちないようにギュッと抱いた。
ラッピーのお腹は他と違って毛が薄くて、ラッピーの肌を感じた。
ドクン……ドクン……と心臓の動きが伝わってきた。
ラッピーが確かに生きている事を私に教えてくれた。
汚いと思っていた……
ラッピーの事を。
でも、今は違う。
ラッピーは、
あったかくて……
太陽みたいな良い香りがして……
寂しい私を元気にしてくれて……
そして、この世に強く強く生きている命だった。
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