第14話 「ガタガタガタガタ……」

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 つい一昨日まで美味しかった仕事前の一服が、今日もまた美味しくない……


 イライラする…

 本当イライラする!


 もう本当なんなんだよ!


 結局昨日もぶぶちゃんは私が起きてる間には帰ってこなかった。

 最近いつもひとりぼっち。

 昨日だって本当は休みだったのに、何で無くなるのよ!

 仕事だって言ってもさ、こっち新婚だよ!

 新婚夫婦にはこんなすれ違い生活、死活問題だよ!


 しかも変な犬は来るしさ……


 なんなのコイツ……


 ぶぶちゃんは私との生活よりも、この変な犬との生活の方が大事みたい。

 だってこの前まで仕事に出るギリギリの時間まで寝てたくせに、この犬が来たら私が起きる時間よりちょっと遅いくらいで、朝ちゃんと早起きしてくる。

 だったら前からそうしてよ!

 話す時間も最近は無かったんだよ!


 あぁ……でも仕事が遅いのは事実だし、ちゃんと寝かせてあげたいとも思う。

 葛藤……マジで葛藤。


 本当にムカつくのはこの変な犬だ!

 今日だってぶぶちゃん早起きしてくれたのに、結局『散歩行ってくる!』って出掛けちゃうし!

 私たちの時間を奪わないで!


 はぁ……怒ってる間にもうこんな時間だ。


 そろそろ仕事に行かなきゃ。


 私はタバコの火を消して、家を出た。

 向かうのは自転車で五分の近所のスーパー。

 精肉部門。

 今の店はぶぶちゃんと結婚してから働いてるけど、結婚前に勤めてた別会社のスーパーと合わせると、もう六年もスーパーの精肉部門で働いてる。

 肉を触るのはもう飽きた。


 結婚前に働いてた船橋の店(今のところとは別会社)で私とぶぶちゃんは知り合った。三年も前になるな……


 私はパート、ぶぶちゃんは社員。

 ぶぶちゃんは青果で、私が精肉。


 でもその頃のぶぶちゃんは痩せてて、まだぶぶちゃんじゃなかったけど。

 あの頃のぶぶちゃんは毎日毎日仕事で、死にそうな顔してたな……

 だから逆に痩せてたのかな?


 一年ちょっと前にぶぶちゃんの会社でっていうのが起こって、やっとぶぶちゃんは休みをちゃんと取れるようになった。

 昔は朝から晩までの仕事だったけど、それも早番と遅番に分けられた。


 その後すぐ

『そろそろ籍入れようか』ってなった。

 私たちは

『さぁこれからはプライベートの時間も取れるし、どちらも充実させていこう!』

 って意気込んでたのに、結局また仕事にプライベートな時間取られてる感じ……


 定時には帰ってくるけど、その定時が遅いんじゃ!


 あぁ! もうっ!


 そんな事考えてたら値引きシール間違えて貼っちゃった!


 2割引のはずが3割になっちゃった……誰かさん、私のお陰であなたはお得な買い物出来ますよ!


 あー忙しい! あー忙しい!


 8時~13時までノンストップで働き続けてやっと終わった。

 でもまだ私の仕事は終わりじゃない。

 家事がある……クソが!

 昨日掃除機はかけたから今日は抜こう。

 ただ洗濯はしないと、ちょっと溜まっちゃってる。

 二人暮らしだから掃除機掛けも洗濯も一日置きではあるんだけど、やっぱストレスだよね。


 ゴロゴロしたいわ。


 さて、夕飯はどうしようかな?


 冷凍のチキンライスでオムライスで良いか!


 ぶぶちゃん好きだし。


 私は私服に着替え終えるとバックヤードから店内に出て、そのまま冷凍食品コーナーに行った。


 卵はあるし、買うのはチキンライスだけでOK。


 ぶぶちゃんも私もそんなに稼ぎが良い訳じゃないから、少なく収められる時は少なくしとかないと。


 自転車を走らせればすぐに家まで着いた。


 ガチャっと扉を開けた時、私は

『あぁそうだった……アイツが居るんだ』

 ってあの変な犬の事を思い出した。

 だってアイツのトイレシートが玄関に敷かれてるんだもん。

『昔もここだったからぁ!』ってぶぶちゃんが決めた。

 あぁもう汚いなぁ! 靴にかかったらどうすんだよ!


 私が家の中に入るとアイツは私たちの寝室で寝ていた。

 私たちの寝室は、玄関を上がってすぐの右手にあるんだけど、引き戸は開きっぱなしになっててすぐにアイツの姿が確認できた。


「はぁ……」


 私はため息を吐いた。

 私とぶぶちゃんの愛の巣に邪魔者がいる。


 この愛の巣、正直言うと私が引っ越してきた時の感想は

「古っ!!」

 だった。

 だって見た目だけなら築何十年? って感じだもん。


 でも中はリフォームされててキレイだった、

 お義母さんが元々この家を借りてたんだけど、家探しをしてる時に丁度リフォームしたばかりのこの家を見付けて即決したんだって。

『築年数が長い分少し家賃が割安なのに、中はキレイで住みやすいからって』

 実際船橋で私が父親とお祖母ちゃんと住んでた家とそんなに変わりはない感じ。


 最近じゃ気に入ってたくらいだよ。

 お義母さんが再婚して出て行ってから、ぶぶちゃんはこの家で一人暮らしだった。だから結婚後の引っ越しも、私の引っ越し費用くらいしか掛からないで

『簡単に愛の巣が手に入ったってラッキー』って思ってたんだけど……


 まさかこんな邪魔者が来るなんて……


 3人目は私たちの子供って思ってたのに、なんでこんなエクレアみたいな背中した変な犬なの!!


 私は心の中で叫んだ。

 すると、私の心の声が聞こえたのか、アイツはムクッと首を上げた。

 アイツと私、目が合った。

 目が合ったかと思うとアイツは、二回まばたきをして、今度はお尻を上げて前足を前に伸ばして大きな口でアクビをかいた。


「ちょっと……こっち来ないでよね」


 私はボソッと呟いた。

 嫌な予感がした。

 そのアクビがアイツが動き出す合図に思えたんだ。


 その予感は当たった。

 アイツはアクビを終えると、舌舐めずりしながら私に向かってノロノロとした足取りで近付いてきた。


「なんだよ……こっち来んなってぇ!」


 私が叫んだ。

 私、本当言うとマジで犬なんか嫌いなんだ。

 臭そうだし、ヨダレたらたらで汚いし、毛で服も家も汚されそうだし。

 近付いてなんかほしくない!


 でもアイツは怯みもしない。


「こないで! こ・な・い・で!!」


 意味が分かってないのかと思って、ゆっくりと子供に言い聞かせるみたいに言ってみた。


 でもダメ……アイツ、何を思ったのか眉毛と耳をピクッて上に動かすと小走りになりやがった。


 私に向かって走り出した。


 私の頭は一瞬にしてパニックになった。


「ちょっ……もうやめてって!!」


 バンッ!


 私は慌てて引き戸を閉めた。


 引き戸はラッピーの鼻先寸前で閉まった。


 かなり強い力で閉めたから、もし挟んじゃってたら怪我させちゃってたかも知れない。


 焦りすぎて先の事を考える事が出来なくなってた自分に気付いた。


 ラッピーを嫌がる気持ちが一瞬消えて、申し訳ない気持ちに襲われた。


「ご……ごめんね。だい……じょうぶ?」


 私は恐る恐る引き戸の向こうのラッピーに声をかけた。

 恐る恐る……の理由は、私の頭の中に、鼻からタラリと血を垂らしてるラッピーの姿が浮かだから……


 私が声をかけると引き戸はガタッと音を立てて揺れた。


「ひぃっ!」


 背の低いラッピーに囁くように、私は体を屈めて引き戸に顔を近付けていたから、目の前で突然揺れた引き戸とその音に驚いて私は思わず声をあげてしまった。

 そして、驚き過ぎて、私は後ろに手を着く形で尻餅をついてしまった。


「び……びっくりしたぁ……」


 私はラッピーが引き戸にぶつかっただけだと思った。

 音も揺れもそのせいだと思った。

「痛てて……」

 っと立ち上がろうとした時、一瞬止まっていた戸の揺れは、


 ガタガタガタガタガタガタ……


 と再び揺れた。


「ひゃぁっ!」


 私は再び尻餅をついてしまった。


 ガタガタガタガタガタガタ……


「な……なに……なんなの……」


 私はただ事じゃない事に気が付いた。


 なんなの……なにが起こってるの……


 この揺れは一体何なのよ……


 私は少しでも目の前の戸から離れようと足で床を蹴りながら後ろに逃げた。

 でも私たちの愛の巣はそんなに広くない。

 すぐに、壁に背中がついてしまった。


 ガタガタガタガタ……


 ガタガタガタガタ……


 私の目の前の戸は尚も揺れ続ける。


 私はラッピーをなめていた。

『ただの犬だって……』

 変だよね……だってラッピーは一度死んでいるだから"普通"な訳がない。

 馬鹿だ……

 私は馬鹿だ……


 あぁ……昔、こんな光景をどこかで見たことがある気がする。

 あ、そうか……お祖父ちゃんと見たホラー映画だ。


『この後目の前の戸はモンスターによって壊されて、私は殺される……』


 そんな妄想が頭の中を駆け巡った。


 鼻から血を垂らしていたはずのラッピーのイメージは一変して、私を食べようと牙を剥く狼の姿に変わっていた。


 あぁ……怒ってる……怒っているんだ……


 ラッピーは怒ってるんだ……


 私は心の中で、ラッピーに謝った。


 ごめんね……


 ごめんね……


「ごめ……」


 心の中の呟きを言葉にしようとした時、引き戸はガタガタと揺れながら


 ………横に動いた。


「あ………」


 私の目は大きく開かれ、唇が動かしたくも無いのにわなわなと小刻みに震えた。


 ほんの数cm開いた隙間から見えたのは、茶色と白が混じった狼の手。


 その手は私を八つ裂きにしようとしているのか、上下に大きく動いていて、その動きと同様に引き戸もガタガタと揺れた。


 ガタガタ……

 ガタガタガタガタ……


 私はもう声を出す事が出来なくなっていた。

 震える口から、カチカチと歯と歯がぶつかる音が漏れるだけ。


 ガタガタガタガタ……


 私の目の前の戸は、徐々に大きく開いていった。


 人間は本当に恐怖を感じると、逆に冷静なるのかもしれない。

 この時の私がそうだった。


 私は徐々に開いていく戸をただ見ていた。

 何も考えてない。

 ただ開いていくのを見ているだけ。

 もう慌てない。

 ただ見ているだけ。

 ただそれだけ……それだけ……


 ガタガタガタガタ……


 最後の揺れが聞こえた時、私の前に、目をギロリとひん剥き、尖る牙を剥き出しにした狂暴な野獣が現れた。

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