十一月二日
「藤原夫人が生みし皇子を、皇太子とする」
大君の言葉は太政官だけでなく、朝廷に仕える全ての者達に衝撃と大いなる疑問でもって受け入れられた。中には受け入れられぬ者もいたが、大君はそれらの者を許すとも許さぬとも言わず、而れども有無を言わさず、問答無用で認めさせた。
「太上天皇は一体何を黙っていらっしゃるのか」
太政官の長たる長屋王は太上天皇宮にて彼女を糾していた。これは太政官の総意である。私は憂慮している。これまで皇太子とは、成人しており天皇の政を補佐することが可能である人物こそがなる事が出来たものである。その地位を、産まれたての赤子に託すなど。前代未聞も甚だしい事だ。国を憂う心でもって不敬を承知で奏上していた。
一方の太上天皇はかの大臣の言葉に耳を傾けつつもほんの少し前の甥との会話を思い出していた。
「朕が伯母上の望み通りにするとして、伯母上は朕の望みを聞き届けて下さいますか?」
「一体なんです?大君の望みとは」
「いいえ?言いません。ここでは、まだ。ただ、これより先朕がやろうとする事に、決して反対をしないという事だけ、お約束頂きたい。さすれば朕はなんなりと伯母上のお言葉に従いましょう」
朕は伯母上のお導きが無ければこの位には居れませんから。そんな風に穏やかな笑みを浮かべて言う甥を見て、あぁ、また嘘が上手になった事だと感心した。そうだ。首よ、それで良い。我らは間違いがあってはならんのだ。その暗い瞳に後ろめたさを感じるなど、私には許されぬ事……。
「陛下!聞いておられますか」
「聞いておる。だがな長屋、どうか今回ばかりは甥に」
「しかし……」
「いつかは必ずあの子が皇太子となる日が来るのだ。いつなっても良いでは無いか。私はあの子の喜びと望みに応えてあげたい」
異聞・長屋王の変 木春 @tsubakinohana12
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