第3話 青蜻蛉
血の混じった痰が、喉にゴボゴボと絡まっているのがわかった。
話せない代わりに、彼女は目で訴えていた。
彼女の瞳の中は、澄んだ空のような色に染まっていた。
私はその時、初めて彼女と目が合った気がした。
蜻蛉の眼が赤いのは『夕焼け雲を飛んだから』
それが本当なら、彼女は雲ひとつない、青い空を飛んだのだろうか。
いや、外出することも自由にできない彼女の目が、空色に染まるわけがなかった。
彼女はもう、立っていることさえできそうにない様子だった。
男は彼女を背負うと、駆け寄ってきた店員の手に銭を握らせ、ドアの風鈴を鳴らして行ってしまった。
テーブルには、彼女の赤い涙が小さな水溜まりになって残っていた。
目の前の蜻蛉は羽根を残して消えた。
彼女はまだ16だった。
オレンジジュースが少し染み込んだコースターの裏に、折り畳まれた手紙が置いてあった。
私はそれを読んで、喫茶店を出た。
≪真姫へ
ひどい目に遭わせてしまってごめんなさい。
私の力不足で、あなたを生かすには影武者として雇うしか方法がなかったの。
危険な目に何度も遭わせてしまったことを、今でも後悔しています。
これからは自分の道を歩んで下さい
姉より≫
外に出ると、湿った草木の匂いが鼻を抜けた。
いつの間にか雨が降り、いつの間にか止んでいた。
水溜まりを大股でまたぐと、季節外れの蝉の声が聞こえた。
彼女が私の双子の姉であったということは、手紙で初めて知らされたことだった。
当時は双子が忌み嫌われるのは仕方のないことだったし、私自身、それなりに理解しているつもりだったが、やはり一緒に暮らしたかった。
それが本音だった。
◇
今日は彼女の命日だ。
彼女が亡くなってから、私はその度にこの喫茶店を訪れることにしている。
風鈴を鳴らして中に入ると、懐かしい香りがした。
しばらくして、ウエイトレスが颯爽とやって来た。
黒塗りのお盆にはオレンジジュースが2つ乗っている。
私は1つを隣に置き、もう1つに口をつけた。
酸味と苦味の強いオレンジジュースに、私はまだ慣れていない。
口をすぼめる私に、
「青のワンピース似合ってるよ」
と、隣に座る彼女が、そう言ってくれた気がした。
【オレンジジュース】 天野小麦 @amanokomugi
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