第3話 青蜻蛉

血の混じった痰が、喉にゴボゴボと絡まっているのがわかった。


話せない代わりに、彼女は目で訴えていた。


彼女の瞳の中は、澄んだ空のような色に染まっていた。


私はその時、初めて彼女と目が合った気がした。



蜻蛉の眼が赤いのは『夕焼け雲を飛んだから』


それが本当なら、彼女は雲ひとつない、青い空を飛んだのだろうか。


いや、外出することも自由にできない彼女の目が、空色に染まるわけがなかった。




彼女はもう、立っていることさえできそうにない様子だった。


男は彼女を背負うと、駆け寄ってきた店員の手に金貨を握らせ、ドアの風鈴を鳴らして行ってしまった。


テーブルには、彼女の赤い涙が小さな水溜まりになって残っていた。


目の前の蜻蛉は羽根を残して消えた。


彼女はまだ16だった。



オレンジジュースが少し染み込んだコースターの裏に、折り畳まれた手紙が置いてあった。


私はそれを読んで、喫茶店を出た。




≪真姫へ


ひどい目に遭わせてしまってごめんなさい。


私の力不足で、あなたを生かすには影武者として雇うしか方法がなかったの。


危険な目に何度も遭わせてしまったことを、今でも後悔しています。


これからは自分の道を歩んで下さい


姉より≫




外に出ると、湿った草木の匂いが鼻を抜けた。


いつの間にか雨が降り、いつの間にか止んでいた。


水溜まりを大股でまたぐと、季節外れの蝉の声が聞こえた。




彼女が私の双子の姉であったということは、手紙で初めて知らされたことだった。


当時は双子が忌み嫌われるのは仕方のないことだったし、私自身、それなりに理解しているつもりだったが、やはり一緒に暮らしたかった。


それが本音だった。



今日は彼女の命日だ。


彼女が亡くなってから、私はその度にこの喫茶店を訪れることにしている。


風鈴を鳴らして中に入ると、懐かしい香りがした。



しばらくして、ウエイトレスが颯爽とやって来た。


黒塗りのお盆にはオレンジジュースが2つ乗っている。


私は1つを隣に置き、もう1つに口をつけた。


酸味と苦味の強いオレンジジュースに、私はまだ慣れていない。



口をすぼめる私に、


「青のワンピース似合ってるよ」


と、隣に座る彼女が、そう言ってくれた気がした。

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【オレンジジュース】 小麦子 @amanokomugi

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