第21話 エピローグ

 プジョー206のハンドルを握り、俺は不本意なほどの安全運転で幹線道路を走らせている。SDIRの流れ弾がフロントガラスを傷つけていたのだ。

「ちょっと。このペースじゃいつ帰れんのよ」

 助手席の瑠華がダッシュボードに足を乗せて毒づいている。

「仕方ないだろ。風圧でヒビが広がったら困る。割れでもしたら運転できなくなるだろうが」

「ボロいし、遅い」

「うるさい。遅くてもそのうち着く」

「そのうちじゃ困るんだって。もう試験当日なの」

「知るか。留年しろ」

「うわー。最低」

「だから恵子さんがなんとかしてくれるって言ってるだろ。理事長だろうが」

「なんかそれって、ズルいからイヤなんだって」

 道路は北に向かってまっすぐ伸びている。早朝のこの時間は、交通量が少ないから助かる。渋滞の起点になるのはごめんだ。

「私は実力で勝負したいの」

 不貞腐れて腕組みをする瑠華。

「だいたい、良い成績をとったって進路に影響するわけじゃないだろ」

「なんでよ」

「家業があるだろうがよ」

「だからってズルして良いって理屈にはならないでしょうよ。ねぇ、ヒロトくん」

 少年は乗車してからずっと黙ったままだった。無理もない、たった一晩で身寄りを失い、住む土地を失い、そして人ではないヤツらをたくさん見てしまったのだ。

「俺さ」

 その声は、思いのほか覇気がこもっていた。

「ん?」

「俺。決めた」

「なにを?」

「弟子入りする!」

「はぁ?」「なに?」

 俺たちは同時に素っ頓狂な声を発した。

「誰に?」

「誰って。ふたりに」

「ふたりに? なんで?」

「なんでって……」

 少年はバックミラーの中で、ちょっとだけ考え込むような仕草を見せた。前方に見える信号が、ちょうど良いタイミングで青に変わる。

「格好いい……から?」

 俺と瑠華は顔を見合わせた。

「ちょっと待てヒロト。お前の人生はまだまだ長い。昨日あんなことがあって動転しているから今はそう思うだけで、普通の人生を生きたいはずなんだ。身寄りがなくなったといっても、なにかあるだろ。親戚とか、知り合いとか。名取一佐に頼んだら、うまいこと取り繕って、暮らせるように手配してくれるから、そうしろ」

「親戚と暮らすなんてイヤだよ。それに、これから貞観期みたいに、全国あちこちで同じことが起きるんでしょ。どこに住んだって同じだよ。それに」

 少年は深呼吸した。

「もう戦えないのはイヤだ。なにもできないって辛いんだ。それはもうイヤだ……」

「いいと思うよ。ヒロトくん」

「おい瑠華、ちょっと待て。適当なこと言うな」

「巽ちゃんだって、お母さんの元に来たとき中二だったんでしょ。似たようなもんじゃない」

「ぐっ」

 確かにその通りだ。恵子さんに弟子入りを志願したのが中二のときだ。俺もそのとき、身近な人たちを大勢失っていた。そして恵子さんは相棒を失っていた。

「お母さんに連絡しとかなきゃ。将来の相棒ができたって」

 瑠華はからかうように俺に微笑みかける。ミディアムボブがさらりと揺れた。

「なんだよ、将来って」

「巽ちゃんが死んだあと」

「おまえな」

「まぁ、私らのほうが人間より若干寿命ながいわけだし。若い弟子はとっておくべきだよ。うん」

 東の窓から、低い光線が差し込んでくる。景色が少しだけ金色がかって見えた。瑠華は呑気にスマホを触りはじめた。

「瑠華さん。そのカッコいい人だれ?」

 ヒロトがシートに抱きつくようにして、彼女の手元を見ている。

「やっぱり? カッコいいでしょ。もっといい写真あるよ」

 瑠華はスマホを持ち上げて少年に見せた。ちょっと嫌な予感がする。

「彼氏?」

「うん。彼氏」

 俺は右足を踏んでしまった。急制動がかかり、それぞれのシートベルトが体重を受け止める。後続車がいなかったのはラッキーだった。フロントガラスのヒビが、少しだけ広がったような気がしなくもない。

「ちょっと! 危ないなぁ」

「おおおおおまえ」

「なに?」

「彼氏とかいるのか!」

「いいでしょ、別に」

「おおおおまえ。だって、おまえ」

 ヒロトは呆れた目で俺を見ている。

「彼氏いるくらい別に普通じゃん。俺の姉ちゃんだって中学生の頃から家に彼氏連れてきてたし」

「そういう問題じゃないんだ、ヒロト。そういう問題じゃないんだ」

 どう説明していいかわからないが、とにかく微笑ましいとか、応援したいとか、そういう次元の話ではないのだ。

 問題はその特殊な繁殖形態にある。異性と交配することで次世代を産むというところまでは、人間と変わらない。だがこの家系は女児しか産まれないため、常に交配相手を人間の男から選ぶということになるわけだ。そして、繁殖のための交配に成功したとき、本能に支配され、本来の姿に戻る。要するに、受精した直後に相手の男を捕食するのだ。そして100%の確率で女児が産まれてくる。生涯に出産は一度だけだ。

「恋愛のこと追求してくるとか、キモいからやめて」

「いやいやいや。恋愛というか」

 背後から軽トラックが迫っている。運転手が道路に痰を吐くのが見えた。俺はアクセルを踏んだが、またも少し踏みすぎた。

「軽く恋愛するくらいいいじゃん。本当の相手選びは慎重にしなきゃいけないんだし」

 瑠華はアームレストに肘を乗せて、頬杖をついた。こちらからは黒髪だけが見える。

「それにもう転校だから、どうせお別れでしょ」

「瑠華さん、転校するの?」

「この土地の災害は終わったから、次の予測地に引っ越すんだよ。そうやって日本中を転々としているの、私たちは」

 恵子さんの学校法人は全国の主要都市に展開しているから、そこが受け入れ先になる。令和が貞観期の再来になると見越して、娘のために事業展開したのだから、その慧眼とビジネスセンスには恐れ入る。

「ヒロトもこれからそういう生活だよ」

「いいよ。楽しいかもしれない。次はどこなの?」

 発生予測地について、実は恵子さんから連絡が来ていた。それを見た瞬間、あまりの厄介さに頭を掻きむしってしまった。これまで山村やら温泉地やらが多かったので油断していたのだ。だが、確かにそうだろう。いつかこういう日が来る。

「巽ちゃん。次はどこだって?」

「京都だ。二年以内。発生誤差は半径20キロ」

「やった! 京都いいじゃん!」

「え? 俺たち京都に住むの? やったぁ!」

「おまえらなぁ」

 太陽がずいぶん力強くなった。

 もうすっかり目覚めた街の幹線道路を、俺たちは北上する。

 ひとまずは家に帰ろう。これからまた忙しくなるのだから。



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カササギは薄明に謡う 城戸圭一郎 @keiichiro_kido

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