第15話

 一瞬手を止めた自衛官がいた。弾丸を放った張本人だろう。だが、彼は少年を一瞥しただけで戦闘に戻った。

「ヒロト!」

 瑠華が左手で少年を抱きしめる。

 俺も一歩踏み出したが、そこで動けなくなった。

 媒介者が空気を振動させたのだ。それは雄叫びそのものだった。

 下腹部のあたりから紫紺の繊維が急速に伸び、纏まり、繊維球を形成した。それは一瞬ごとに膨張し、球のなかに突起物や窪みができていった。数秒後には、それは顔としか表現しようのないものになった。外縁部は破断した繊維が海藻のように揺らめいている。まるで毛髪に囲まれた老者の顔面のようだ。

 顔面は動いた。その外見からは想像もつかない素早さだった。斜面を駆け上がると、口にあたる部分を大きく開いた。そこには穴が空いていた。暗い、闇よりも暗い穴だ。

 飲み込まれたのはヒロトを撃った隊員だった。そのとき彼は片膝をついて銃撃姿勢をとっていたが、そのまま上半身を失い、腰から下だけが残された。いや、飲み込まれたのはもうひとりいた。本来は助かる位置にいたはずの彼の相棒は、恐怖に勝てず迂闊にも立ち上がったため、頭部の半分を持って行かれてしまった。

 包囲の一角を崩した顔面は、しかしそこで停止した。

 ちょうど名取一佐の正面だ。

「撃て!」

 号令と同時にSDIRの全ての銃口が火を吹く。四方八方から白銀弾が撃ち込まれ、顔面が崩れていく。名取一佐もホルスターから拳銃を抜いている。彼のそれは通常弾だからまったく意味はないが、勇敢な指揮官を演じることには成功したと言えるだろう。

「上半分だ! 上に集めろ!」

 名取一佐の指示を受けて銃弾は顔面の上部に集中する。これはなかなか筋のいい判断だ。ヒロトの隣にいるはずの瑠華が見当たらないのは、名取一佐のつくった道を行ったからだろう。反応がはやい。

 アルタートゥム・クラレの横一線が裏側から切り裂き、顔面は失敗した達磨落としのように横に崩れた。

「撃ち方やめ!」

 音が止んではじめて、騒音の大きさを自覚できた。山腹が反射する最後の銃声が消えたとき、虫の音がようやく耳に届いた。


 左肩から血を流したまま、ヒロトは立ちすくんでいた。

「……いない」

 俺は隣に立ち、少年の視線の先を追った。

 大穴の中央から媒介者の姿が消えている。

「逃したのか?」

 いつの間にか、名取一佐が横にいた。

「俺たちが? まさか」

「どうだか。足を引っ張るのが得意分野だろ」

「さっき助けてもらったくせに、どの口が言うんだ」

「助けに来たのは我々だろう。忘れるんじゃない」

 お互いを罵れるくらいには静かな時間が流れているわけだ。これは一体どういうことだ。地中から這い出してきた黒い粉末が媒介者を定め、その媒介者の胎からヤツらが次々に生まれ落ちる。俺たちが知っているのはそこまでだ。その場から消えることなどなかったし、ましてや、身内を傷つけた者に復讐するかのような行動は、見られたためしがない。

「地中に潜ったんだ……」

 瑠華が、しゃがみこんで地面に左手を当てている。

「感じるのか?」

「うん。黒い粉末の強いところに潜ったのかも」

「それはつまり、補給ってことか?」

「わからない」

 あり得ないことではない。あの雄叫びは、これまでの媒介者には考えられない行動だ。俺の感じ取った怒りの感情がもし本物だとしたら、いままでの知見など役に立たないだろう。


 突然、一帯の虫の音が、止んだ。

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