第10話

 老朽化したコンクリートが破砕され、隧道のなかに砂煙が舞い上がる。

 ヤツがさほどのダメージを受けていないことはわかっている。俺はその場で体重移動を繰り返しながら、鞭を繰り出し続けた。壁面、天井、地面を音速で叩きつける。ヤツはそれを丁寧に躱していく。だがしかし、これは我慢比べではない。

「ヒロトくん。走るよ」

 背後から瑠華の声が聞こえた。少年の手をとり、出口に向かって走り出したようだ。そう、それでいい。

 少しの間を置いてから、俺は手を緩めた。

 砂煙から現れたヤツが、俺の頭上を駆け抜ける。十本の脚が運ぶ管状花のような部分は黒い穴だった。隧道の暗さよりも暗い。そいつが走るふたりの背中を狙っている。

「……追いつかれる」

「振り返っちゃダメ! 走り続ける!」

 瑠華に手を引かれるヒロト。その頭上にヤツが到達するまでは数秒だった。

 ヤツは速度を下げることなく落下に転じた。脚の中心にある暗い穴。それがヒロトの後頭部を飲み込む。その一瞬前だ。

 ノインシュヴァンツ・パイチェの音速が、ヤツを縦真っ二つにした。

 左右に別れたそれぞれが、ヒロトの側頭部をかすめるようにして地面に転がる。脚はまだ走る意思があるのか、無秩序に動いているが、それも次第に鈍くなっていった。

「お見事」

 瑠華が俺に視線をあわせ、微笑む。

「なかなか、いいタイミングだった。間一髪だ」

 少年は呆然としている。

「ヒロトもよく頑張った」

「あ……ありがとう」

 礼を言うのはこちらのほうだ。俺たちは君を囮に使ったのだから。


 少年の家は、この集落のなかでは新しい部類に入るだろう。私道なのかガレージなのか判らないスペースに軽自動車が二台停まっている。玄関の周りだけがコンクリートで一段高くなっていて、表札の下に、NHKのマークと「犬」のシールが貼ってある。庇の向こうの樹はおそらく柿だろう。

「……ただいま」

 引き戸を滑らせる。俺と瑠華は身構えるが、上がり框の向こう側にはなにもいなかった。

 結果的に俺たちがヒロトの家で発見したのは、彼が望むものではなかった。居間の中心の床材が捲れ上がっており、そこに大穴が空いていた。そこから見えるはずの地表はなく、ただただ暗闇が口を開けているだけで底は窺い知れない。そして住人はどこにもいない。このような場合、俺たちの経験上おおよその想像はつくのだが、それはあまりにも残酷なので黙っていることにした。

「小学校に避難したのかもしれない」

 その可能性は低いと思ったが、俺たちはヒロトに付き合うことにした。私道を出て、砂利の多い舗装道路を歩く。角をひとつ曲がっただけで、校舎が目に入った。

 小学校は広域避難場所に指定されていた。だからヒロトの言うこともあながち的外れではない。災害が起これば、住民たちはここを目指すはずだからだ。

 しかし、彼の願いは届いていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る