第9話
ヒロトの家は小学校からすぐの場所にあるそうだ。通学時間が徒歩3分なのでギリギリまでテレビを観られて同級生に羨ましがられたらしい。無理もない。こんな田舎では、40分かけて歩いてくる生徒もいるはずだ。
「ちょっと待って、ここを通るの?」
俺たちがいるのは、農道というより林道だった。そして杉林の向こうに現れたのは古い隧道だ。高速道路でよく見られる黄色いクッションドラムが正面に置いてある。車が誤って侵入しないようにしているのだろう。
「県道以外の道なんて、ここくらいしかないよ」
そう。県道にはSDIRの連中が張っている。まだ見つかりたくはない。
「……なんか出そうじゃない?」
「瑠華、おまえがそれを言うか」
「倒せるんだからいいじゃん」
「出るのがヤツらとは限らないでしょ」
「ヤツらじゃなければなんなんだ」
「獣とかさぁ……」
「うーん。コウモリくらいならいるかもしれないけど」
「うげぇ」
「普段もっとエグいヤツ相手にしてるだろ」
「全然ちがうって。生のものはさ。動きとか匂いとか糞とかさ」
近づくにつれて、俺たちの声が隧道内に反響しているのが聞こえる。長さはさほどでもないようだ。隧道の形状を切り取ったような光が、向こう側に見える。
「閉鎖されたのはいつ頃だ?」
「わかんない。たぶん平成10年くらい? たまに肝試しのカップルが来たりしてるって噂だよ」
地面がひび割れたアスファルトからコンクリートへと変わる。杉の落ち葉が堆積しており、踏んだ感触が柔らかいのが妙な感じだ。いつの時代のものとも知れない駄菓子の袋に混じって、最近のコンビニコーヒーの容器が転がっている。
照明はついていない。消灯されているという意味ではなく、そもそも設置されていないのだ。
「ヒロトくん、どんどん行くねぇ。……怖くないの?」
「怖いけど。家が心配だから」
染み出す地下水が足元で澱んでいる。ちょうど隧道の半分の地点。
やはり、というべきか。それは現れた。
現れたという表現はあまり正確ではない。ヤツにとってみれば、現れたのは俺たちのほうだろう。ずっとそこに佇んでいたのだ。
サイズは大型車のタイヤぐらい。形状は、花弁の少ないキク科の植物のようだ。中心から伸びる鋭い花弁がおよそ十本ほど。中央の管状花のような部分は、よく見えない。茎にあたる部位はなく、花が地面から直に生えているようなものだ。そして全体が紫紺色。隧道の薄暗さに紛れて、気付いたときには接近してしまっていた。
「ヒロトくん。下がって」
先行していた少年を守るように、瑠華が前に出る。
俺はヒロトの襟首を掴んで、距離を取らせた。瑠華の右手はすでに巨大な爪が光っている。俺も鞭を握りなおした。
「邪魔しちゃってごめんね。ここはいいところだね」
瑠華がヤツに話しかける。
「日光が届かないから、ちょうどいいんだね」
ヤツがゆっくりと動いている。花弁にあたる部分が垂れ下がり、それぞれが順に地面に触れてゆく。それは脚だった。
紫紺の繊維で編まれた十本の脚が、一斉に動き出す。
速い。距離を一瞬にして詰めてきた。
瑠華はアルタートゥム・クラレを空中に振るい、その遠心力を利用して身体をひねった。ヤツは彼女の右を通過し、俺に向かって直進してきた。俺は慌ててノインシュヴァンツ・パイチェを繰り出すが、体重を乗せるいとまがない。威嚇にしかならないだろう。
案の定、ヤツは軽々と躱した。そのまま隧道の壁面を駆け上がり、天井を通過し、俺らの背後に回り込んだ。背筋が凍る。これではヒロトが狙わてしまう。
「どいて!」
瑠華はまるで風のように俺たちの脇を通過した。背後からアルタートゥム・クラレの三本の鉤爪が、壁面をえぐる音がする。振り返ったとき、彼女はすでに第二撃を繰り出していた。ヤツはそれも躱した。
「瑠華! 接近戦は不利だ!」
「じゃあ交代!」
俺は左脚を踏み込んで体重を乗せ、右腕を振るう。上腕のパワーを肘で収斂して前腕へ伝達。スピードに転換したのち手首でさらに加速。音速を超えた九尾の先端がヤツの脚元で炸裂した。
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