第3話

 目的地は山間の小さな街だ。街と呼ぶのも躊躇われるくらいの、いわゆる集落らしい。いまでこそ市域に組み込まれているが、合併したからといって住民が増えるわけでもなく、商店は小さなものがふたつあるだけの静かな土地だ。

 そこに至る道路は三本しかない。川に沿って東西に走る県道と、峠を北に抜ける旧村道。それらが交わるところが集落の中心地になっている。丁字路の交差点には村役場の跡地があり、盆踊りなどに使われていると聞く。そこから旧村道に入って少し登ったところに小さな神社があるらしい。


「このまま追い越すの?」

 助手席の瑠華の視線がこちらを向く。

「いや、悟られないように集落に入りたい。次の交差点で左へ折れる」

 アクセルをやや開く。背中で感じるGが心地よい。

 カマボコ型をした濃緑色の幌が近くなってきた。いすゞ自動車製73式大型トラック。東日本大震災では津波にさらされた他種が使用不能になる中、唯一稼働し続けたという耐久性の高さを誇る。それゆえ災害派遣時には輸送の主役となることが多い。今回も例外ではない。

「次の交差点って、あれじゃないよね」

 瑠華が前方を指差す。そこには黄信号が点滅している。

「あれだよ」

「え。左右に道ないよね?」

「道のない場所に交差点があるわけないだろ」

「じゃあなに、あれ、道なの?」

 俺はガードレールの途切れた隙間を狙って、ハンドルを切った。後輪がやや滑る。急な下り坂になっていたせいで、俺たちの体重は瞬間的に軽くなった。隣で瑠華が息を飲んだのがわかった。幹線道路より1mほど低い位置に道が続いている。かろうじて舗装されているが、これは農耕用の道だ。

「なにこれ……せま」

「だから農道を走るって言ったろ」

「こんな道であいつらに勝てるの?」

「このまま進んでも意味ない。もう一度右へ曲がらないとな。並走しないと追い越せないだろ」

 センターコンソールからナビゲーションを呼び出す。モーター音とともに、液晶モニターが姿を現した。もともとはカーナビとして搭載していたものだが、今はほかの役割を担ってもらっている。

「それ起動するの?」

「こんな煌々とライトを照らしてたら、バレちゃうだろ。隠密行動」

「こんなスピードで使ったことある?」

「ないよ」

「ちょっと待ってよ」

「おまえを安全に運ぶ。自衛隊よりも先に到着する。どちらもやらなければいけないのが、相棒の辛いところだよな」

 プジョー206のハロゲンライトを落とし、暗視ビジョンに移行する。瞬時に肉眼からあらゆる像が消えた。液晶モニターだけが、緑色の景色を闇のなかに浮かび上がらせている。

「ここだ」

 右へ急転回。さらに一段低く下がったその道は、もはや舗装されていない。膝丈くらいの雑草が生い茂り、耕運機のタイヤに踏みしめられた部分だけが、轍になって地面を露出させている。

「……ちょっと、うそでしょ」

 いつの間にか、瑠華は窓上のアシストグリップを両手で握りしめている。無理もない。モニターを見ていない彼女にとって、あたり一面は単なる闇だ。

「なんにも見えないんだけど!」

「見えなくていい。両サイドは水田だ。どうせ見えたところで不安になるだけだ」

 稲穂が風に揺れているのだろうか。カエルが合唱でもしているのだろうか。昼間に散歩すればさぞかし長閑な景色だろう。俺は幹線道路のほうを見遣った。

 自衛隊の車列が進んでいる。前をゆく車両の尻をライトで照らしつつ、寸分違わぬ車間距離を保って。

 俺はアクセルを踏み込んだ。畦道の草花を潰しながら、プジョーが加速する。隣からちょうどいいBGMが聞こえると思ったら、それは瑠華の悲鳴だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る