第2話
いつ災害が発生するかの明確な予測は立てられない。しかし、次の発生地がどこなのかはおおよそ見当がつく。それは俺たちのような稼業が蓄積してきた知見に他ならないが、まとめ上げ、予知システム化したのは恵子さんの功績だ。
今回の災害をそのシステムが予測したのは10ヶ月ほど前だ。だから俺も瑠華も、九州のこの地に移り住んだのは去年の秋。俺は錆の目立つ小屋をみつけてそこを借り、事務所兼住居にした。瑠華のほうは大変だ。転校しなければならないし、一人暮らしを強いられる。もっとも、中学生のころからこんな生活を続けているから、慣れてしまったのだろうが。
多少の信号無視は大目に見てもらいたくなるくらい、空いている幹線道路は走りやすい。
「ちょっと寒くない?」
助手席で、二の腕をさすりながら瑠華が言う。
「そうか?」
「暖房入れてよ」
「七月だぞ。梅雨明け前とはいえ、大げさな」
「けっこうさ、朝晩は冷えるよね」
「年寄りみたいなこと言うな」
「いいじゃん。薄着で来ちゃったんだから」
「エアコン調子悪いんだよ。冷房しか入らなくてな」
そのとき瑠華が見せた表情は、小学生のころ、紫陽花の根元にナメクジを見つけたときと同じ顔だった。
「でもさ、私えらくない?」
「なにが?」
「ちゃんと持ってきたんだよ。羽織るやつ」
後部座席に上半身を伸ばして、アディダスのスポーツバッグをまさぐる。ライトグレーのロングカーディガンが出てきた。
「前に帰省したときにお母さんにもらったんだ。お守りになるかなと思って詰め込んだんだけど、むしろ本来の用途で活躍するとは」
袖を通しながら、早口でつぶやく。
暗くて気づかなかったが、たしかに瑠華は薄着だ。白地のTシャツに、カーキ色のベルテッドショートパンツ。ももが半分隠れるくらいの短さだ。それに底の厚いスニーカー。そして。
「お……おまえ。それ」
「え? なに? へん? 似合わない?」
「そうじゃない。そうじゃなくて」
「丈が長いのはそういうつくりだからだよ」
「いやいやいや、カーディガンの話じゃなくて、髪だよ髪!」
俺は途端に忙しくなった。瑠華の顔を見て、進行方向を見て、視線がひとつでは足りない。おまけに会話が噛み合わないから脳の電気信号が右往左往している。
「ああ。これ?」
瑠華は呑気に毛先を手のひらで弾ませている。心なしか頬が上気しているように見えるのは、気のせいだと思いたい。
「気づくの遅くない?」
「切ったのか……」
「切ったよ。どう?」
まっすぐに揃えられた後ろ髪を、撫ぜるように指を動かす。
「おまえ……なに考えて……」
「ミディアムボブだから大丈夫だよ。ギリ見えないでしょ」
「ギリ見えなきゃいいってもんじゃ……」
俺は慌ててハンドルを切った。いつの間にかセンターラインを跨いで走行していたのだ。対向車がなかったのは幸いだった。
「気分くらい変えたかったんだもん。いいじゃん別に」
「恵子さんは知っているのか?」
「知らないんじゃない? 言ってないから」
「おまえな……」
彼女の家系には代々女児しか生まれない。そしてすべからく麗しい黒髪を持つ美女に成長する。しかし重要なのは髪そのものではない。
瑠華の首には、黒いベルトが巻いてある。何も知らない者が見れば、単なるファッションアイテムにしか見えない。いわゆるチョーカーだ。しかし彼女の母親もそれを身につけていたし、祖母も、似たような首飾りを手放さなかった。もちろん時代によってその形状は変化する。古くは勾玉を用いていたようだ。
「お役目は果たしたい。オシャレもしたい。どちらも守らなきゃいけないのが、女子高生の辛いところですよね」
短くなった髪がいっせいに揺れる。俺はもう見ないことにした。いまさら考えても仕方のないことだったし、それにもう雑談している暇はなくなった。前方に濃緑色の幌が見えてきたからだ。
「あ、追いついたみたいだね」
そのとおりだ。あのカマボコ型は73式トラックに違いない。
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