第39話
※※※
五月二十八日、日曜日。
私は部屋に戻るなり、すぐにハーブティーを淹れた。
鎮静作用のあるものを選んだけど、ハーブティーの薄いピンク色を見て、また沸々と怒りが込み上げてくる。
「やめやめ、もうどうでもいいし」
私は一口だけ口をつけたハーブティーを捨て、キッチン下からナイフを一本取り出した。
そのままリビングへ向かい、枕横にナイフを置いてから、ベッドに仰向けで寝転がる。
「明日で終わりかー」
今まで通り明日をやり過ごせば、あの転生者も、桃乃も為す術がなくなる。
魔法紙を盗んだ遠矢も私の存在には気が付いていない。
もう一度時間を巻き戻せるなら、次は私一人でやるだろう。
きっかけは、五月の初め頃だった。
私は、遠矢がリュクスに自分の悩みを相談しているところを目撃した。
学校で遠矢が誰かと話しているところはあまり見たことがない。
リュクスは言葉が話せないけど、遠矢にとっては唯一の話し相手だったのかも。
興味本位で耳を傾けてみたら、話の内容は桃乃に関するものだった。
傍目から見ていただけでは気が付かなかったから、私はそこで遠矢が桃乃に焦がれていることを知った。
別にそれ自体に大した感想はない。
無理だろうな、って人ごとに考えていたくらい。
でも、そこで遠矢は禁術魔法である「転生魔法」について触れた。
転生魔法を使い、この世界の桃乃を別世界の桃乃へ変えれば、自分の想いが実るかもしれない、と。
別の子が聞いていたなら遠矢を軽蔑したかもしれない。
でも、私は違う。
私は──応援したいと思った。
だって、それは私にとっても願ったり叶ったりだったから。
生徒会の副会長を務めている彼女は私にとって邪魔な存在でしかない。
そういう面では冴木にも腹が立つ。
あいつが生徒会の副会長を務めていれば、こんな思いはしなくて済んだのに。
思えば、昔の私に嫉妬という感情はなかった。
むしろ逆で、皆が私に対して嫉妬心を抱いていた。
それは仕方のないこと。
持っている人は、羨望の眼差しを浴びる代償として、妬みの感情も受け入れないといけないから。
持たざる人達の方が多いんだから、それは当たり前。
この高校でもそう。入学してすぐ話題になった掛橋くんのことを妬む生徒は多かった。
掛橋くんは、私が今まで会った誰よりも、たくさんのものを持っている人。
上級生を含めても、魔法の習熟度、知識量で掛橋くんを上回る生徒はいなかったし、学校内、学校外のあらゆる活動においてもそれは顕著だった。
冴木だけは対抗していたけど、他の生徒は皆、彼を特別視していた。
でも、私が掛橋くんに抱いた感情は別のもの。
憧憬から始まったそれは、気付けば恋になり、時間をかけて育んだら愛へと変わっていた。
そういえば、と思い出し、ローブのポケットから「愛欲」の魔草花の種を取り出す。
これは四月に頼んでおいたものだけど、今となってはもう必要ない。
種が花になるまで、私は待てなかった。
孤高の存在だった掛橋くんの近くに、桃乃という存在が現れたから。
桃乃の立場自体を羨んだわけじゃない。
見た目、学力、魔法の実力。そういった目に見えるものは、私も桃乃も持っている。
だけど、どうしてか──桃乃のことを悪く言う人は一人もいなかった。
それが桃乃が持っていて、私が持っていないもの。
桃乃の周囲にはいつも人が集まる。
私の周りにも友達はいる。でも、それと同じくらい敵もいる。
桃乃は違う。彼女に対して負の感情を向ける人間は見たことがない。
そのことに気付いた時、矛盾するように私の中に「妬み」という感情が芽生えたんだと思う。
私にないものを持っている桃乃が、掛橋くんの近くにいることが憎らしかった。
桃乃という存在のせいで、掛橋くんから離れていった人達が戻ってくるんじゃないか。
私だけが近付けると思っていた掛橋くんが皆のものになってしまうんじゃないか。
他の生徒と同じように、掛橋くんも桃乃のことを好きになる可能性があるんじゃないか。
だからこそ、遠矢が魔法紙を盗み出せるよう私は手を回した。
この世界の桃乃が消えてくれるなら何でもよかった。
転生魔法が解除されて、戻ってきたとしても桃乃は罪を問われ死罪になる。
面倒な手間をかけたのに、遠矢は結局何もせず、掛橋くんに魔法紙を取られてしまった。
悪いのは掛橋くんなんだよ。
「生徒会長」として魔法紙を取り返していたんだったら、こういう結果にはならなかったかもしれないのに。
チクタクチクタク。
部屋の時計を見たら、もう十四時近くになっている。
魔法生物棟の清掃後にシャワーを浴びたからか、いつもより時間が遅い。髪の毛からはシャンプーの香りがする。
良かった。排泄物の臭いは残っていない。
排泄物を皮袋に詰める作業中、スコップを使っていた桃乃が手元を狂わせ、飛散した排泄物の一部が私の頭にかかった。
本当は自分の部屋でシャワーを浴びたかったけど、すぐに落とさないと髪が溶けてしまう危険性があったからシャワー室を借りた。
「いつか絶対同じ目に遭わせてやる」
枕横に置いていたナイフを持ち、ベッドに突き刺す。
五時間後に私はまた魔法生物棟に向かわなければいけない。
気分は最悪だし、出かけるのも面倒だけど、幸せの代償だと思えば、心がぽかぽかと温かくなる。
結ったポニーテールから、白いリボンが付いたヘアゴムを外す。
膨らみのあるリボンにナイフを入れると、中から四つ折りにされた魔法紙が私の頬へと落ちてくる。
「掛橋くんはずっと私のものだからね」
魔法紙に滲んだ血の跡をなぞりながら、私は誰よりも彼を想った。
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