第37話

 目を開けると、見覚えのない天井が視界に広がる。

 どうやらベッドの上で眠っていたらしい。髪や服が少しだけ濡れていて心地が悪い。

 無機質な白いマットレスに硬めの枕、部屋に漂う薬品の匂い。

 ここは寮の一階にある医務室のようだ。


「どう? 少しは体温まった? もう一杯淹れようか?」

「ううん、もう十分温まったから」


 ベッドの周りを囲ったカーテンの向こうから、猿渡と桃乃の会話が聞こえてくる。


「そう。全く……こんな雨の日に無茶したら風邪引くかもしれないでしょ?」

「ごめんなさい」

「外で魔法の練習をしてたっていうは本当なんだね?」

「……うん」

「分かった。とりあえずは、そういうことにしといてあげる。学校でああいう事件も起きたし、さんごちゃん達も気を付けてね」

「ありがとう、麗香ちゃん」

「ちょっと彼の様子を確認してくるから」


 猿渡がこちらへ歩いてくる音が聞こえる。

 なんとなく話を盗み聞きしていたような気分になり、咄嗟に狸寝入りをしようと思ったが、それこそバレた時に盗み聞きをしていましたと白状するようなものだ。

 猿渡にカーテンを開けられ、とりあえず今しがた起きたような反応を取る。


「あ、いつから起きてたの?」

「えーっと……今です」

「ふ〜ん、まぁいっか。さんごちゃん! 掛橋くん起きてるよ!」


 そう声をかけると、桃乃がこちらへ急いで走ってくる。


「か、掛橋くん? 大丈夫?」


 眼前に近づいて来た桃乃の顔を見て、倒れる前のことを思い出す。


「桃乃も怪我はなさそうだな。ここまで俺を連れて来てくれたのか?」


 遠慮がちに桃乃が頷くと、猿渡が呆れた様子で口を開いた。


「二人ともずぶ濡れで、医務室に入って来たから本当にびっくりしたんだから。見たところ、二人とも覚醒魔法を使って副作用が出ているようだし、一体何をしていたんだか……」


 桃乃を改めて見てみると、確かに頬が紅潮しているのが分かる。

 俺をここまで運ぶために覚醒魔法で体力を向上させる必要があったのだろう。

 猿渡に頭を下げる桃乃に倣い、俺も半身を起こしてから謝る。


「色々とすみませんでした」

「箒から落ちたり、森の中で倒れたり、前の掛橋くんとはまるで別人だね」

「……そうですね」

「まぁいいや。さんごちゃんにはもう処方したから、掛橋くんもここに名前を書いて」


 猿渡から手渡された紙を見ると、そこには十数名の生徒の名前があった。


「これは何ですか?」

「睡眠薬を処方した生徒のリスト。さっきは覚醒魔法での能力上昇効果に体が耐えられずに倒れたのね? 今からは逆に交感神経が過敏になっていることで眠られなくなるから、薬を飲んで無理にでも体を休めてもらうの。さ、分かったら早く名前書いて」


 ペンを受け取り、名前を記入してから、紙を猿渡へと返す。

 猿渡は記入に問題がないことを確認すると、袋詰めされた粉薬を持って来た。


「じゃあ、これ後で飲んでね。私は職員会議があるから一旦抜けるけど、戻ってくるまでここで大人しく寝てること。さんごちゃんは掛橋くんが抜け出さないかの監視ね。二人とも分かった?」

「うん、任せて」


 俺が返事するよりも先に桃乃が返事をする。

 猿渡は俺達に、にこっと微笑んでから医務室を出て行った。


「見た目は綺麗だけど、怒らせると怖そうな人だな」

「監視役の私にそんなこと言ってもいいの? 麗香ちゃんに報告するよ?」


 桃乃はベッド横に置かれた椅子に腰掛ける。


「その時はこの薬で夢の中へと逃避行する」

「残念だけど、その薬にそんな即効性はないよ。一時間は見た方がいいかな」


 口に手を当て、ふふっと笑う桃乃を見て俺は仕方なく黙る。

 しばらくの間を置いて、桃乃が再び口を開く。


「助けに来てくれて、ありがとね」

「いや、最終的には俺が桃乃に助けられたみたいだし、おあいこだな」

「おあいこじゃないよ。感謝の気持ちは形で比べられるものじゃないもん」

「じゃあ、俺の負けか」

「そうやって言うなら、私達は二人とも勝ちだよ」

「まあ……そうだな……」


 俺は再び黙り込み、天井を見上げた。

 起きたばかりで、まだ全身に気怠さが残っている。

 それ以上に、頭の中でぐるぐると入り乱れる思考のせいで気分が優れない。

 俺達は魔法紙を盗んだ犯人を突き止めることは出来たが、魔法紙を取り返すことが出来なかった。


「遠矢くんは掛橋くんが転生者だって知らない様子だったね」

「……ああ、あいつが恐れていたのは、魔法紙の隠し場所を知られることではなく、俺の記憶が戻り、自分が魔法紙を盗んだ犯人だと学校にバレることだった」


 遠矢は不自然なほど俺と関わらないようにしていた。

 転生者であることを知っていたなら、もう少し気丈に振る舞うことが出来ただろう。


 そう──遠矢は、俺をこの世界の俺と勘違いしていたのだ。


 桃乃もすでに気付いている様子で、俺が思っていたことを口にする。


「遠矢くんは魔法紙を持っていなかった。会長を襲って魔法紙を奪ったのは……また別の生徒ってことだね」

「そういうことになるな。一応聞くが、思い当たるような生徒はいるか?」

「さっきから考えてるんだけど、すぐに思いつくような生徒はいないかな……」

「そうだよな、悪い」


 思い当たる生徒がいなかったからこそ、俺達は情報を集めながら動いてきたのだ。

 ここへ来て、俺は焦っているのかもしれない。

 俺が持っていた最大の手掛かりは、事件の調査をしていたこの世界の俺の行動履歴だった。実際、記憶喪失の掛橋渉を装うことで多くの情報を得ることは出来た。

 だが事件を解決するには至っていない。

 何か見落としがあったのだろうか……?

 俺に残された猶予は、今日を含めてあと五日。

 それを過ぎてしまえば、俺は永久に元の世界に戻ることが出来なくなる──

 一点を見つめていた俺の視界に、桃乃の顔が映り込む。


「遠矢くんが最後に言ってたこと覚えてる?」

「最後……。いや、意識が朦朧としていたから、あまり覚えてない」

「リュクスを傷付けたのは僕じゃない、って言ってたの」

「ああ……そういえば、そんなことを言っていたような気がするな」


 自分が魔法紙を盗んだ犯人だと認めたのなら、遠矢がわざわざそんな嘘をつくとは思えない。リュクスの怪我を案じていたのも、演技ではなかったということだ。


「だったら、リュクスに攻撃魔法を使った別の生徒がいるってことだよね? その生徒が、会長を襲って魔法紙を奪ったっていう可能性は考えられないかな?」

「遠矢の共犯ってことか?」

「ううん。共犯だったなら、リュクスを傷付けることに遠矢くんが賛成しないと思う。それに遠矢くんは、リュクスが魔法紙を盗む手助けをしてくれたって勘違いしてるみたいだったし」


 桃乃の話を整理するなら、魔法紙を持ち去ったのは遠矢だが、南川とリュクスを襲ったのは別の生徒であり、その生徒こそが、この世界の俺を襲った真犯人ではないか、ということだ。


「それだと、真犯人は最初から遠矢に魔法紙を盗ませるつもりだったということになる」

「うん。だけど、最終的には会長から奪ってるんだよね……」


 それ以上の考えはないのか、桃乃は顔を曇らせる。

 俺にも真犯人の目的が見えてこない。

 共犯じゃないなら、遠矢から情報を引き出すことも不可能だろう。

 それに、この世界の俺の行動は遠矢から魔法紙を取り返したところで終わっており、今までのようにそこから先の行動を辿ることはもう出来ない。


「会長は、真犯人の存在に気付いていたのかな」


 桃乃は、ぼそっと独り言のようにこぼした。

 

「いや──」


 口にしようとして当たり前のことに気付く。

 真犯人の存在に気付いていたのなら、自分の部屋で魔法紙を奪われるという失態は犯さなかったはず。

 警戒をしていなかったからこそ、部屋に招き入れた後に襲われたのだ。


 俺が辿ってきた道の先には、そもそも真犯人がいなかった?

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