第32話
「ああ、魔法紙を盗んだ犯人は『遠矢蓮』だ」
「遠矢くん……だったんだね」
校長から第一発見者が遠矢であることを聞かされた時と同じような表情をして、桃乃は弱々しく言葉を吐いた。
「図書委員から聞いた話では、リュクスは魔法生物棟で餌を貰った後、閉館の十九時頃に遠矢が図書館に連れてくるとのことだった。南川と一緒に見回りを行い、それが全て終わるのが二十時頃。ここから先は俺の推論だ。遠矢は南川にリュクスを預けた後、図書館外で待機し、南川達が禁書庫に降りていったタイミングで背後から襲った。そこで南川から禁書庫の鍵を奪い、魔法紙を盗んだ。リュクスの性格や特徴を掴んでいる飼育委員の遠矢なら、不意をつくのは容易だったのかもしれない。威力の弱いマギフェスの『斬撃』をリュクスに使ったのは世話係としての情けと考えれば筋も通る。そして、第一発見者として校長に名乗り出てリュクスを保護することで、自分から疑いの目を逸らそうとした」
俺は、遠矢が犯人であるという事実から逆説的に考えたものを伝えた。
最後に、桃乃自身が気にかけていることを改めて口にする。
「遠矢がこの事件を起こしたのは、桃乃、お前に転生魔法を使うためだ」
「私に使うため……。これも掛橋くんが集めた情報?」
「いや、これはこの世界の俺の考えだ」
「会長の?」
「ああ、だから遠矢との間に何があったのか、俺に教えて欲しい」
今、振り返ってみれば、桃乃は常に遠矢を避けて行動していた。
ただ、それは桃乃の個人的な感情で、実際事件に関する話を遠矢に聞こうとしなかったのは魔法紙を盗んだ犯人として疑っていなかったからだろう。
桃乃は胸に手を当てて、ゆっくりと話し出した。
「一年生の夏頃から……かな。遠矢くんから好意を寄せられてて、何度か告白されてるんだ。でも、話したことは一度もなくて、告白はいつも手紙。大体、一ヶ月に一通くらい届いてて、最初の内は断りの手紙を書いてたの。だけど、今はもうどうすればいいか分からなくて……」
「そうか……そういうことがあったんだな」
やはり遠矢は桃乃に対して特別な感情を抱いていたようだ。
だが、別世界の桃乃をこの世界に呼んで何をするつもりだったのかは遠矢に聞かなければ分からない。
「──ごめんね」
桃乃は下を向いて呟いた。
「二人で協力しようって言い出したのは私の方なのに……何も力になれなくてごめん。掛橋くんばかりに負担をかけてる」
「俺が情報を集められたのは、この世界の俺として記憶喪失のフリをしていたからだ。桃乃は自分に出来ることを十分やってくれていた」
「それだけじゃない。この世界に来て、掛橋くんはきっと不安な気持ちで一杯だったのに何の相談にも乗ってあげられなかった……。掛橋くんを事件に巻き込んでしまったのも、会長が襲われたのも、南川先生やリュクスが襲われたのも全部……全部、私のせいなのに何も気付けなくて……何も出来なくて本当にごめん」
俺が何を言っても、桃乃は自分で抱え込んだ罪悪感を手放すことはないだろう。
それを分かって、俺は桃乃にありきたりな言葉をかける。
「事件を起こしたのは桃乃じゃない。桃乃が責任を感じる必要は──」
「わたしはっ!」
桃乃は苦しそうに自分のローブの胸元をぎゅっと掴んだ。
「会長が一人で事件の調査をしていることに気付いてた……。でも、何も協力しなかった、会長なら一人で大丈夫だろう、私に手伝えることはないだろうって。掛橋くん、言ったよね。遠矢くんの目的が私だ、っていうのは会長の言葉だって。今になって分かった。会長は私が遠矢くんのことで悩んでいることに気付いてたから、一人で行動したんだよ……。会長は私の考えをしっかりと見ていたのに、私は会長が考えていたことを何も知らなかった。会長は何でも出来るから、会長なら何でも解決出来るから、って理解した気になって、いつも一歩引いて……」
呼吸を乱しながらも、桃乃は懸命に続ける。
「そのせいで会長は襲われた。私がもっと会長を知ろうとしていたら、こうはならなかったかもしれないのに。遠矢くんのことだってそう……私がちゃんと向き合っていたら……私が自分一人で解決出来ていたら………!」
今だけじゃない。
最初から桃乃は、この世界の俺に協力出来なかったことを後悔し、責任を感じていた。
その責任から、この世界に来たばかりの俺にも気を遣い、桃乃はいつも明るく振る舞おうと無理に笑顔を作っていた。
気付いていても、俺は何も言わなかった。
過度に踏み込むべきではない、大事なのは事件の解決をすることだと思っていたから。
だが、それでは三年前の俺と何も変わっていない。
「その罪悪感と同じくらい、桃乃は事件の調査をすることも辛かったんじゃないか」
「……え」
「俺は別世界から来た人間だ。ここに俺が築いてきた関係は一つもない。でも、桃乃は違う。集合写真で見た桃乃は友達に囲まれ楽しそうに笑っていた。桃乃の周りにはそれだけ大切な関係がある。犯人を探すなら、その一つ一つの繋がりに、疑いの目を向けなければいけない。桃乃にとって、それはかなり心苦しかったはずだ」
「……でも、そんなの私が事件の調査をしなくていい理由にはならない」
冷静さを取り戻そうと、桃乃は震える声で言い返す。
転生魔法の対象が自分だと分かっても、桃乃は怖がりもせず、自分を責めた。桃乃は自分一人では抱え切れないほどの罪悪感に今押しつぶされそうになっている。
それは、桃乃が誰よりも相手のことを考えられる人間だからだ。
「慣れない世界で、桃乃はたくさんのことを俺に教えてくれた。俺達が交わした会話は事件に関するものばかりだったけど、その中で桃乃は常に俺を気遣ってくれた。不安な気持ちで一杯だったのは俺じゃない……罪悪感を抱え、友達を疑い、誰にも頼れなかったのは桃乃だろ」
「違う、私が全部──」
言葉を詰まらせた桃乃の瞳からは幾筋の涙が溢れてくる。
三年前、俺の友達が求めていたのは犯人の究明ではなく、寄り添ってくれる友達だったんだと思う。事件を解決することが全てじゃない。犯人が明らかになろうと、事件に関わった人の傷が癒えることはないからだ。
桃乃の思いを知った今なら、俺も自分自身の言葉を紡ぎ出せる。
「責任を感じているならそれでいい。無理しなくていいとも思わない。それが桃乃だから。ただ、抱えている感情が一杯一杯なら、俺が一緒に担うことで、少しでも心にゆとりを作ってあげたい。それは俺達が協力関係を結んだからじゃない。桃乃が──俺の大切な友達だからだ」
「……っ」
堰を切ったように泣き出した桃乃は、頬に流れる涙を抑え込もうと両手で顔を覆った。
「起きたことは変えられない。でも、問題に向き合うことなら出来る。桃乃がいなかったら、俺はこうやって事件の調査をすることは出来なかった。犯人が分かったのは、俺達が向き合い続けた結果だと思う。後は魔法紙を取り返すだけだが、その方法がまだ思いついていない。俺には……桃乃の助けが必要だ」
気の利いた言葉をかけられはしなかったが、俺は自分が思っていることを嘘偽りなく桃乃に伝えられた。
桃乃はローブの袖口で涙を拭い、深呼吸してから口を開く。
「……ごめんね。友達って言い出したのは私なのに、私の方が支え合う意識が持ててなかった。しっかりしなきゃ、しっかりしなきゃ、って思えば思うほど、自分で自分を苦しめてたのかもしれない。私も……掛橋くんに支えられてたんだね」
「まあ……微々たるものだったかもしれないけどな」
桃乃は自分の頬を軽く二回叩いて、真っ直ぐと俺を見た。
「ううん、ありがとう。もう大丈夫。私も最後まで頑張るつもり、二人で一緒に」
桃乃は、はにかんだような澄んだ笑顔を見せ、目元の残った雫がきらりと光った。
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