第30話

 魔法生物棟に入るのは先週の日曜日に続いて二度目だ。

 前回はエントランスを掃除するのみで、魔法生物の部屋に入ることはなかった。

 俺はペガサスの部屋の扉を開け、今田に先に入るよう促す。


「ありがとう」


 今田とペガサスが部屋に入ったのを確認し、俺も続く。

 中はいたってシンプルで想像よりは広い。

 部屋の右隅には、赤煉瓦で造られた小屋があり、扉が一つだけ付いていた。


「薬があるか、物置小屋に行って確認してくるね」


 小屋は物置として使われているらしい。今田はペガサスを部屋の中央にある柱に紐で繋ぎ、物置小屋へと向かうと、ローブから取り出した鍵を扉の鍵穴に差し込んだ。

 エントランスから入った、このペガサスの部屋とは違い、物置小屋には施錠がされてあるようだ。俺はその背中に声をかける。


「一緒に中に入らせてくれ」

「ん? いいけど、どうして?」 

「今後、同じことがあった時のために薬の収納場所を確認しておきたいんだ」

「そういうことね。うん、いいよ」


 今田が扉を開けると、目の前には山積みにされた乾草があった。恐らくペガサスの餌だろう。年季の入った収納棚は壁に沿うようにして数段重ねされており、床にはほつれたロープや誰の物か分からないタオルやコップが転がっている。

 物の散乱具合から、飛行乗馬部の部員が普段から出入りしていることが窺えた。


「この物置小屋は他の魔法生物の部屋にもあるのか?」

「うん。どの部屋も構造は同じだし。ここ物が多いから結構狭いよね。平気?」

「ああ。寮の部屋もこんなもんだしな」

「そうなの? もっと綺麗にしてるかと思った」

「いや、広さの話だ。こんなに散らかってるわけないだろ」

「なんだ。そうだよね、すごく綺麗にしてそうだもん。あ、あった!」


 棚の引き出しを開け閉めしていた今田は薬の入った小袋を見つけると嬉しそうに笑った。

 聞くと、先週の調合魔法の授業で取り扱った傷薬らしい。今田は近くにあった容器を水雫魔法で綺麗にし、再度水を注いだ。そこに薬を溶かし、ペガサスの元へと駆け寄る。


「待たせてごめんね、ゆっくり飲んで」


 ペガサスの背中をさすりながら、今田は安堵の息を漏らす。


「これで治るんだな」

「うん。傷は浅かったし、数日経てば今まで通り飛べるようになると思う」

「リュクスも同じ薬を飲んでいるのか? このペガサス以上に傷がひどかったんだろ?」

「どうだろう……。ドラゴンの皮膚は厚いから、この子みたいに血は出てなかったんだ。でも、まだ全身に擦り傷が残っているから、もしかしたら飲んでいるかもね。遠矢くんに聞いたら分かるんじゃないかな?」


 今田はそう言うと、薬と一緒に持ってきた包帯を翼に巻き始めた。


「そうだな。遠矢に詳しく聞いてみるよ。俺にも少し貸してくれ」

「あ、ありがと」


 今田から包帯を半分受け取り、二人で丁寧に巻いていく。

 時折、互いの手が触れるが、気にすることなくただ目の前の作業に集中する。

 しばらくすると、今田が口火を切った。


「何も聞かないんだね」

「何がだ?」

「昨日の夜のことだよ」

「人間、誰でも嘘の一つや二つはつくだろ」

「やっぱり気付いてたんだ。いつからそんな意地悪になったの?」

「記憶喪失になって性格が変わったのかもしれない」

「本当だよ。掛橋くんはそんな口調じゃなかったもん。でも、付いて来てくれてありがと。丁度、二人で話がしたかったんだ」


 微笑を浮かべていた今田は動かす手を止め、俺に頭を下げた。


「昨日は嘘ついてごめんね。実は新飼さんと会ってたの」

「学級委員長も夜遅くまで大変なんだな」

「それは関係ないよ。私はね、掛橋くんの近況を新飼さんに報告してたんだ。先週からずっと」


 驚きはしなかった。新飼は琴羽や早稲田にも接触している。それならば、俺と同じ二年B組の生徒の誰かにも接触していることは十分に考えられた。

 それに誰と繋がっていようと、俺が取る行動にさほど影響はない。

 俺にとっては、学校にいる人間全員が、正体を隠さなければいけない対象だからだ。


「俺の行動を見張るよう新飼さんに指示されたのか?」

「少し違うかな。確かに、新飼さんからは掛橋くんの動向を報告するように言われたけど、それを行動に移したのは私の意志だから」

「今田の意志?」

「うん、私の意志」


 俺から視線を外すと、今田は手に持っていた包帯を再び翼に巻き始める。


「前、掛橋くんに感謝してる、って言ったの覚えてる?」

「ああ、確か図書館で」

「私が今、学級委員長をやっているのは掛橋くんのおかげなの」

「……でも、俺と今田は大して仲が良いわけではなかったんだろ?」

「直接何かをしてもらったとかそういうことじゃないよ」


 俺達の横に立つペガサスは薬が早速効いてきたのか、それとも傷口を包帯で巻かれることが心地いいのか、甘えるような鳴き声を出した。今田はその背中を優しく撫でながら、動かす手のリズムに沿うようにゆっくりと話す。


「この学校に入学した時から、掛橋くんは凄かったんだよ。魔法の才能があるだけじゃなくて、授業に誰よりも真面目に取り組んで、常に皆の手本になってた。それで私も皆を引っ張っていけるような存在になりたいと思って、学級委員長を務めることにしたの」

「俺はそういう人間だったんだな」

「そんな掛橋くんが魔法紙を盗むなんて考えられないんだよね。私は掛橋くんが怪しくないってことを証明するために、毎日新飼さんに正しい情報だけを報告してたんだ」


 この世界の俺は他の生徒から敬遠されていた、と何度か聞いていたが、周囲に良い影響も与えていたようだ。


「ありがとう。ただ、何でこのタイミングで俺に話したんだ?」


 今田が正しいと思って取った行動なら、そこに罪悪感はなかったはず。

 それなら俺に打ち明ける必要性はないように感じられる。


「……昨日の夜に聞いた話があってね」


 今田は部屋に俺達以外誰もいないことを改めて確認し、声を潜めた。


「来週の月曜日に新飼さんは政府に戻るらしくて、その時までに犯人を見つけられなかったら、掛橋くんを政府に連れていくって」

「それは……俺を犯人として連れていくってことか?」

「ごめん、意図は分からない……。いつも新飼さんは重要なことは話してくれないから」


 俺を拘束すれば、魔法が使えない、見えない体であることから転生者だとすぐに分かるだろう。転生魔法の解除期限である十五日を過ぎてしまえば、自ずと俺の正体もバレるということか。

 琴羽、早稲田、今田。

 新飼は協力を依頼するだけで、何故か誰にも自分の考えを話していない。


「私がやってきたことは、新飼さんにとって、あまり意味がなかった。だから、掛橋くんから直接新飼さんに犯人じゃないって言って欲しい! もう、それくらいしか──」


 部屋の外から、ペガサス、ユニコーンを戻しに来た生徒達の声が聞こえてきて、今田は口をつぐんだ。


「記憶喪失の俺が言ったところで意味はない。だが、この情報が知れたのは、今田が新飼さんと接点を持っていたおかげだ。ありがとう、後は自分で解決する」


 部屋の扉が開き、飛行乗馬部の生徒数名がペガサスの怪我を気にかけた様子で入ってくる。今田は俺をしばらく見つめた後、一度だけ頷き、いつも通りの笑顔で他の生徒達に応えた。怪我が軽傷で済んだことを伝えられ、他の部員達は胸を撫で下ろす。

 俺は余った包帯を物置小屋に戻し、先に教室に戻ることを今田に告げてから、その場を後にした。

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