第23話
五月二十一日、日曜日。
「私、やっぱり今日の清掃には行けない。生徒会の件で校長先生から呼び出されたの。実栞ちゃんと会うのは十三時だったよね? その時間までには、掛橋くんの部屋に行くから。ごめんね」
数分前、桃乃が部屋を訪ねてきて、そう言った。
生徒会の件と言われてしまっては、俺が追及したところでどういった用事なのかは理解出来ない。水曜日の夜、校長室に同行した時も話の内容は全く頭に入ってこなかった。
「一人で行く」と桃乃に伝え、俺は準備を始めた。
そして、初歩的なミスをしたことに気付く。
魔法生物棟の清掃といっても、具体的なことを何も把握していない。持ち物、集合場所、所要時間。事件のための調査という目的が先行するあまり、当初の清掃に関する用意を怠っていた。一人の方が自由に動きやすいと思ったが、そもそも清掃に参加出来ないのでは意味がない。
俺は西棟の三階にある早稲田の部屋へ向かうことにした。
魔法生物棟は一風変わった外観をしている。
外壁は全て赤煉瓦、屋根部分に載っているドームは白い花崗岩で作られており、その上には黒い尖塔を有している。
西欧にある聖堂と形は似ているが、展望台や窓は一切なく、入り口は鉄扉が一つのみ。
魔法生物が出入りすることもあって扉は大きく、腕力で開けるのは難しそうに見える。
隣にいる早稲田が、エルファリングをはめた右手をかざすと扉は思ったよりも軽快に開いた。
「集合場所はこのエントランスホールだよ、間に合ったね」
「ありがとうございます」
中に入ってみると、平家造りで、天井が高く、それなりの解放感はある。
現在の時刻は午前十時。
丁度、清掃の始まる時間だ。俺と早稲田が合流したのは、十分程前。
幸い準備するものはなく、早稲田も誘いに快諾してくれたため、走って間に合った。
エントランスホールでは生徒が三列に整列しており、三人の教員が点呼を行なっている。
それぞれの列に、冴木と桜井、今田、遠矢がいることから、陸上乗馬部、飛行乗馬部、飼育委員の列であることが分かった。
「俺達はどこの列に並べばいいんですかね?」
「私達はお手伝いって立場だから、どこにも並ばなくて大丈夫」
「なるほど。分かりました」
「あの……桃乃さんは何か用事があったの?」
先日の発言を気にしているのか、早稲田は控えめに桃乃の名前を口にする。
「生徒会の件で校長から呼び出しがあったらしくて」
「え、呼び出し?」
「はい。どうかしましたか?」
「校長先生は事件についての報告をするために、新飼さんと一緒に昨日から魔法政府に行ってるはずだけど……」
清掃を断った理由は別にあると分かっていたが、校長からの呼び出しという嘘をついたということは、桃乃もこの事実を知らなかったということだ。
「早稲田さんはそれをどこで?」
「こ、校長先生に聞いたの」
「そうですか。情報の行き違いで、桃乃が何かを勘違いしたのかもしれないですね」
「……うん、確かにそうかもしれないね」
早稲田はまだ桃乃のことを疑っているのか、歯切れの悪い相槌をした。
「それより、今日は急に誘ってすみません。頼める人がいなくて」
「気にしないでいいよ。丁度、運動したい気分だったし」
俺の中には、清掃=運動という考えはない。
魔法生物棟の清掃はそれほど過酷なのだろうか、と一抹の不安を覚える。
しばらく経つと点呼は終わり、整列していた生徒達は移動を始めた。
エントランスホールのフロアは正七角形になっていて、その七つの頂点に当たる部分に扉がある。一つは出入り口の扉のため、この建物には部屋が六部屋あるということだ。
「部屋は魔法生物の種類で分けられているんですか?」
「そう。この学校には五種類の魔法生物がいるから」
この数日で耳に残っている魔法生物は五種類、確かに合致する。
ユニコーン、ペガサス、ドラゴン、ヒュドラー、ケルベロスだ。
「だとすると、一部屋余りませんか?」
「残りの一部屋はシャワー室だから」
「シャワー室……なるほど」
やはり魔法生物棟の清掃は、汗をかくのが必然のようだ。
部屋の説明を受けていると、陸上乗馬部、飛行乗馬部の生徒達がそれぞれ一つの部屋に入って行くのが見えた。ユニコーンの部屋、ペガサスの部屋だろう。
「ユニコーン、ペガサスは部員が基本的に世話をしていて、その他の魔法生物には担当の飼育委員がついてる。だから、人が足りない時以外は基本的にエントランスホールの掃除をするよ」
「ドラゴンの部屋は一人で足りるんですか?」
ヒュドラー、ケルベロスの部屋には、飼育委員の生徒が複数で入って行くところが確認出来たが、ドラゴンの部屋に入ったのは遠矢一人だけであった。
「他の種類の魔法生物は数頭いるけど、ドラゴンは一頭しかいないからね」
遠矢一人だけなら都合が良い。
今日ここへ来たのは、リュクスの状態を確認し、遠矢と話すため。
事件の前後でリュクスに何か異変がなかったか聞き出す必要がある。
リュクスから直接聞き出せればいいのだが、それは不可能だ。
魔法生物なら言語も扱えるのでは、と思い桃乃に聞いたことがあったが、話せたら楽しそうだよね、とやんわり否定されたことを思い出す。
「少し待っていて下さい」
早稲田にそう告げ、遠矢が入って行った部屋の前へと移動する。
扉に手をかけ、そのまま中に入ろうと思ったが、許可なく入るのもどうかと思い、三回ノックをした。
「はい」
扉から半身を出した遠矢は、あからさまに怪訝な表情をした。
ここからでは部屋の中は確認出来ない。
「中に入ってもいいか?」
「今から掃除をするんだけど」
「一人じゃ大変そうだから、手伝おうと思って」
「いつも一人でやってるからいい──」
扉を閉められそうになり、場を繋ぐための質問が口を衝いて出る。
「ド、ドラゴンって普段何を食べるんだ?」
遠矢は部屋に戻り、微かに開いた扉の隙間から声だけが返って来た。
「猛禽類だけど。それが何?」
「その……魔法生物に興味があって、リュクスのことを遠矢に教えてもらおうと思ったんだ。それに生徒会として、リュクスの怪我の具合も一度確認しておきたくて」
「ここに来たのは校長の指示? それとも桃乃さんの指示?」
「ん? いや、俺個人の意思だけど」
「……そう。とりあえず、僕から話すことは何もないから」
ガチャ、と音を立て、扉が完全に閉まる。
鍵は付いていないようで、その気になれば部屋に入ること自体は可能そうだ。
もっとも、そんなことをして遠矢が話をしてくれるとは思わないが。
「……大丈夫?」
遠くから一部始終を見ていた早稲田がこちらに歩み寄ってくる。
「どうやら俺は嫌われ者みたいですね」
「生徒会長は矢面に立つことも多いし、仕方ないよ」
励ましの声と共に、早稲田から掃除用の箒を受け取る。
「同じ生徒会長でも、早稲田さんは誰にも嫌われていなかったと思います」
「ううん、私は仕事が出来なくて周りにたくさん迷惑をかけたから」
エントランスホールのフロアは魔法生物が外から持って来た土や小石で汚れており、早稲田はそれらを一箇所にまとめようと隅へと移動した。
「身を案じて助言してくれたり、休みの日に私用に付き添ってくれたりする先輩は俺にはいませんでした。だから、他の人もきっと早稲田さんには色々と感謝していたんじゃないでしょうか」
何の気なしに喋ったが、これは記憶喪失の掛橋渉としてではなく、元の世界の俺としての言葉だ。不自然に思われていないか、と早稲田を確認するが、そういった様子はない。
「……とりあえず、掃除を始めよっか」
早稲田はどこか申し訳なさそうに言った。
今すぐ遠矢と話をしたいが、まずは掃除を終わらせることが先だろう。
「分かりました。さっさと終わらせましょう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます