第21話

 五月二十日土曜日。

 土日でも図書館は午前中だけ利用が可能だ。

 午前九時、開館したばかりの図書館には図書委員以外の生徒の姿は見当たらない。

 入り口に桃乃を残し、俺は一人で中へ入った。

 真っ直ぐに足を進める俺の直線上には、貸し出しカウンターで庶務を行う琴羽絵梨香の姿がある。


「おはよう」

「また本を借りに来たんですか?」


 こちらに背を向けたまま作業を行なっているため、琴羽の表情は読めないが、初めて俺に向けての質問が返ってくる。


「いや、今日は琴羽と話がしたくて来た」

「話ですか」

「ああ」

「何でしょうか?」


 琴羽が振り向くと、長く伸びた金髪は横に流れ、代わりに黒い丸眼鏡が俺を捉えた。

 近くに他の図書委員がいないことを確認し、俺は琴羽と目を合わせる。


「風野宮のバッグに魔法紙を入れた理由を教えてくれ」


 琴羽は何も答えず、貸し出しカウンター奥の部屋──図書準備室の鍵を開けた。


「こちらへどうぞ。中で話しましょう」




 図書準備室というのは、雑多な書物や書類で埋め尽くされている部屋だと勝手に思っていたが、入ってみると物は少なく、むしろ小綺麗にされていた。

 あるのは部屋の奥に配置された大きな本棚と隅に置かれた観葉植物、そして中央に位置する司書教諭南川が使っていたと思われるテーブルだけだ。


「部屋の主が不在でも、掃除はしっかりとされているみたいだな」

「それも私が引き継いだ仕事の一つですから」


 この部屋には南川が使う椅子以外に座れるような場所はない。生徒を入れることは基本的にないのだろう。テーブルを挟んで俺達は立ったまま会話を続ける。


「先程の話ですが、私が魔法紙を入れるところを見た人が現れたのでしょうか?」

「いや、誰からもそういう話は聞いていない」


 協力者を見つけて、魔法紙が何かを探るというのが桃乃の動きだったが、一昨日の聞き込みでは有益な情報が手に入らなかった。


「それなら、どうして私だと思ったんですか?」

 

「風野宮のバッグに入れられた魔法紙が錯視魔法で作られたものではなく、授業で使われる魔法紙──言わばレプリカだと分かったからだ」

 

 桃乃とは逆で、魔法紙が何かを調べ、そこから協力者を見つけるというのが俺の動き。

 そして昨日の魔法史学の授業で俺は一つ不可解に思ったことがあった。

 教員が授業で使う魔法紙をバッグやケースに入れず、教科書と同じように脇に抱えて入って来たことだ。

 許可なく使えば死罪という禁術魔法の魔法紙が保管されている禁書庫。

 放課後、その禁書庫の見回りをする時は魔法生物という護衛を付けるにも関わらず、授業で持ち出す時はあまりにも不用心だと感じられた。

 そこで、教育上実物を見せているという体を取り、実際はただのレプリカを持ち出しているんじゃないのか、という考えに至った。

 誰でも疑問に思いそうなことではあるが、授業では本物の魔法紙が使われる、と先に説明がされれば多くの生徒がその魔法紙を本物だと思い込み、疑うことはしないだろう。


「授業で使っているものが本物ではないと気付いていたんですね」


 琴羽に焦った様子はなく、むしろ落ち着いているように見えた。


「昨日の魔法史学の授業後、教員が禁書庫ではなく、この部屋に入ったのを確認したんだ。ここが司書教諭の使う図書準備室だということは桃乃から聞いていた。レプリカの存在と管理場所を知り、かつ持ち出しが可能な人物は、業務を引き継いだ琴羽だけだ」

「そこまで分かっているなら、もう隠す必要はありません」


 琴羽は奥の本棚を指差し『ミロフォティア』と唱える。

 指先から出た小さな炎は本から本へと燃え移り、やがて本棚を包む大きな炎となると瞬く間に消えた。

 本も本棚もどういった代物かは分からないが、焼け跡は全く残っていない。見ると、綺麗に並べられていた数十冊の本は消え、本の形をした黒い木箱が十数個並んでいた。

 本の背に当たる部分には白い文字で禁術魔法名が記されている。

 部屋に生徒が入っても、バレないような仕組みが施されていたようだ。

 転生魔法と記された木箱から琴羽は魔法紙を取り出した。


「あなたの言う通り、風野宮くんのバッグに授業用の魔法紙を入れたのは私です」


 琴羽が持っている魔法紙は、水曜日に見たものと同じで、この世界の俺の血は付着していない。


「どうして、その魔法紙を風野宮のバッグに入れたんだ?」

「火曜日に新飼さんから指示されたんです。あなたが図書館に来たタイミングで、授業用の魔法紙を誰かのバッグに入れるように、と。風野宮くんは自らバッグを開けましたが、予定では新飼さんがバッグを開けるはずでした」


 であれば、やはり新飼はあの場で俺に魔法紙を視認させたかったのだろう。

 気になるのは、何故俺のバッグに入れるという方法を取らなかったのか、ということだ。

 考えるべきことではあるが、今はいい。


「風野宮を選んだ理由は?」

「ありません。強いて言うなら、一番無防備だったからです。悪いとは思っているので、きちんと謝るつもりですよ。もういいですか?」

「別に俺は風野宮への謝罪を求めているわけじゃない」


 俺が琴羽の立場だったとしても、風野宮のバッグに魔法紙を入れていたかもしれない。

 次の日に魔法紙が偽物と分かるなら、生徒間で少し噂が流れる程度で済む。普段から良くない噂がある風野宮なら他の生徒も大して気にしない、と考えただろう。


「だったら、新飼さんの意図を知りたいんですか?」


 琴羽は図書委員としての事務的な返事をするように話す。


「意図は私にも分かりませんよ。調査の一環として、としか説明はなかったですから。その件以外で新飼さんと話したことも特にありません」


 今一度決意を固めて、琴羽の目を見る。


「俺は今日、琴羽と話をしに来た」

「話なら今してるじゃないですか。これ以上、何を話すことがあるんですか」


 テーブルを隔てた実際の距離以上に、俺と琴羽の距離は開いている。

 一人で来たのは、琴羽の本音を引き出すため。

 桃乃が、俺のことを知ろうとしてくれたように、俺も琴羽の考えを知りたい。

 それで何が得られるかは分からない。

 ただ、これを機に一歩ずつ踏み込んで行かなければ、この学校で起きた事件を解決することは出来ない。これはそういう事件だ。


「南川先生はどんな人なんだ?」

「──それはどういう意味ですか?」


 俺は伝えたいことを今一度頭でまとめる。


「新飼から指示を受けた、というのはただの事実に過ぎない。バッグに魔法紙を入れた理由は別にあると思っているんだ」


 琴羽はローブのポケット部分をぎゅっと握りしめた。

 表情から先程の余裕は感じられない。


「桃乃から聞いた。南川先生の業務を琴羽が引き継いだのは、琴羽本人からの強い要望があったからだって」


 琴羽の膨大な仕事量はここ数日で見て取れた。

 本来なら、臨時で別の教員が南川の業務を引き受ける予定だったらしい。図書委員としての責任感から引き受けたわけではないだろう。バッグに魔法紙を入れるという行為は図書委員としては失格だからだ。


「魔法紙を盗んだ犯人を、誰よりも許せなかったんだろ」


 俺の知らない個人的な感情が琴羽にはある。


「何も──話したくありません」


 絞り出された声からは怒りが伝わってくるが、俺を睨む目からは初めて会った時ほどの嫌悪を感じない。


「私はあなたをまだ信じていないんです」

「俺が犯人かどうか、記憶を失っている今の俺には分からない。それに、琴羽が俺に対して……いや、事件に対して何を考えているのか、襲われた先生や、リュクスが琴羽にとって、どういう存在だったのかも俺は分からない。別に話したくないなら、話さなくてもいい。ただ、俺は琴羽と同じように、この事件を誰よりも解決したいと思っているんだ」

「聞こえなかったんですか? 私はあなたと話したくないんです」


 琴羽は今朝と同じように背を向け、手にあった魔法紙を木箱に戻そうとする。


「結果として俺が犯人だったなら、その時は躊躇なく新飼に突き出せばいい。それで琴羽の目的は果たされるはずだ。俺が記憶をなくした原因が、この事件に関係しているかもしれない。だから……事件を解決するために俺に協力して欲しい」


 動かす手を止め、琴羽は大きく息を吸う。


「出て行ってください。そろそろ仕事に戻らないといけないので」


 顔は見えなかった。

 けれど、肩を震わせる後ろ姿からは琴羽の気持ちが感じ取れた。

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