第18話

 午後の調合学はいつもの講義室ではなく、学校の庭園の横にある講義室で行われる。

 講義室内の至るところに魔草花の入った鉢が置かれており、壁や天井には不気味な黒いツタが伸びている。何も知らない人間なら、ここを植物園と間違うかもしれない。雨上がりの草木のような匂いが充満し、そのせいか部屋は少しジメジメとしている気がした。

 教壇に立ったのは猿渡麗香、医務室にいた教員だ。


「猿渡は調合学の教員もやっているんだな」

「医務室で使われる薬は全て調合魔法で作られたものなんだよ。調合学に精通しているから、医務室の担当もやっているって感じかな」


 右隣に座る桃乃は調合学の教科書を広げながら説明を始める。


「薬を作るには基本的に、魔法効果を持った『魔草花』が必要になってくるの。この授業では必要な組み合わせ、分量を座学で学んでるんだよ」

「自分達で実際に調合魔法を使って薬を作ったりはしないのか?」

「薬の生成は禁止されているから。薬草に魔草花を混ぜてハーブティーを作ったりは私達でもするけど」

「なるほどな」


 前では猿渡が調合魔法の準備をしている。

 教壇横にあった鉢から薄紫色の花びらを数枚ちぎり、緩い丸みを帯びた壺状のビーカーに落とす。ちぎられた箇所は再生し、元の形を取り戻す一方で、ビーカーに入れられた花びらはうねうねと悶え苦しんでいるように見える。

 調合の素材となるもう一つの花はこの講義室にはないらしいが、もうじき届くと説明が行われ、場を繋ぐための猿渡のどうでもいい雑談が始まった。


「麗香先生って本当に可愛いよな……」


 左隣に座る風野宮がうなだれながら、深いため息をつく。


「何で落ち込んでるんだよ」

「分からないのか? 教師と生徒である以上、俺達は結ばれない運命なんだ。だからこそ先生の眩しい笑顔が今の俺にはかえって辛いのさ」


 別人とはいえ、性格が似ているなら異性の好みも似てくるのだろうか。元の世界の風野宮も猿渡のようなタイプが好きだったような気がする。昨日の今日で恋煩いに頭を悩ませられるとは、この世界の風野宮も立ち直りが早いんだな。


「麗香ちゃん人気あるもんねー」


 話を聞いていたのか、うんうん、と頷く桃乃。


「そ、そういえば桃乃って、麗香先生と仲良しだったよな?」

「うん、よく話すよ」

「どういうタイプが好みとか知ってたら教えてくれよ」


 教師と生徒の垣根は越えられない的なことを言っておきながら、風野宮は食い気味に猿渡の情報を求める。


「真面目で勤勉な人って言ってたかな〜」

「……そうだったのか。よし、決めた。学期末の試験で俺は学年三十位以内に入る!」


 流石、生徒会長だ。桃乃の口車に乗せられた風野宮は意を決した様子で閉じていた教科書とノートをとりあえず開いた。一位ではなく三十位以内というところに真剣さが感じられる。猿渡に直接的なアピールにはならないだろうが、長い目で見れば生活態度を変えることは風野宮にとってプラスに働くだろう。


「頑張れ。陰ながら応援しとく」

「さんきゅー。掛橋もな」

「俺も?」


 風野宮が何かを耳打ちしようとした時、講義室の扉が開いた。

 数人の生徒が息を切らしながら立っている。


「遅くなってしまってすみません!」


 代表して声を上げたのは木ノ内で、手には紺碧色の花が握られていた。

 遅れて教室に入って来たのは栽培委員の生徒達で、どうやら魔草花を採取するのに手こずっていたらしい。見ると制服のあらゆる箇所に土が付いており、一筋縄でいかなかったことが窺える。

 猿渡が授業を再開すると、風野宮は食い入るようにビーカーの中を見つめた。調合魔法で紺碧と薄紫の魔草花が混ざり、素材が花とは思えない程蠢き合っている。

 数秒程度の轟音を立てた後、それは灰色の粉に変わった。

 工程を見たため毒薬のような印象を受けるが、猿渡の説明ではただの傷薬らしい。

 授業が終わると、猿渡の元へ向かう遠矢の姿が見えた。

 袋詰めされた傷薬を受け取っている。リュクスの手当てに使うのだろうか。

「遠矢は飼育委員なんだよな?」

 意欲に溢れた風野宮は猿渡の元へ授業の質問をしに行ったため、桃乃に尋ねる。


「うん。リュクスの担当をしてるよ」

「なら、今週末魔法生物棟の清掃に一緒に行かないか?」

「……どうして?」

「遠矢から、事件の前後で何か変わったことが起きなかったか、リュクスの詳しい話を聞きたいんだ。それに魔法生物棟に行けば、リュクスの傷の具合も確認出来る」


 清掃は生徒会が手伝う、と早稲田からは聞いている。

 桃乃からそういった話が出てこなかったので、とりあえず俺から参加の意思を示す意図で誘う形を取った。


「…………」


 桃乃は何も言わずに俯いたままだ。


「先週の日曜日、俺がこの世界に来た日は清掃に行ったのか?」

「私は行ってないの……。ごめんね、ちょっと考えさせてもらってもいい?」

「何か用事があるなら無理しなくても大丈夫だけど」


 桃乃は困ったように笑い、テーブルに広げた筆記用具をバッグに入れていく。


「ううん、違うの。これは私個人の問題だから。土曜日までには決めておくね」

「そうか、分かった」

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