第17話

 五月十八日、木曜日。

 図書館での一件は生徒間での噂話として広まるのではなく、新飼から学校を通じて周知された。

 

『風野宮翔平のバッグから見つかった魔法紙は錯視魔法により作られたもので、実際はただの白い紙だった』と。

 

 午前中の授業は精神魔法学で、二年Bクラスの生徒達はその錯視魔法『オプティアーラ』の練習を行っていた。

 錯視魔法は、物体表面上の情報をエルファにより再構築し、人間の認識能力に錯誤を生じさせる魔法で、機密文書のやり取り、潜伏などの際に主に使われるらしい。

 物体の形状を変えることは出来ず、変えられるのは表面上のみ。

 例えば、一般的な正六面体のサイコロがあったとして、錯視魔法を使えば点の数を書き換えることも出来れば、点自体を消すことも出来る。

 ただ、正六面体という形自体は変えられないということだ。

 また、魔法紙にはすでに魔法効果が付与されているため、錯視魔法をかけることは出来ない。そのため、今朝の周知内容と反対に、犯人が錯視魔法を使って、魔法紙をただの白紙に変えて隠し持つということは不可能だ。

 目の前では生徒が皆、無地の真っ白なハンカチを錯視魔法の対象物として使っているが、エルファが視認出来ない俺にはハンカチの表面がどう変化したのかは分からない。


「桃乃、ちょっと」


 教室の隅に桃乃を呼び、確認のため持っていたハンカチを見せてもらう。


「どうしたの?」

「そのハンカチの見た目はすでに変わっているのか?」

「花柄になってるよ。やっぱり掛橋くんには見えないんだ」


 そういえば、と思い出す。

 屋上で出会った時、スカートの柄が変わったかどうか聞いてきたアレは錯視魔法だったのか。


「……な、何か付いてる?」


 俺がまじまじと見ていたせいか、慌てながらスカートの表面を払う桃乃。


「いや、そのスカートの柄はもう普通に戻っているんだよな?」

「え? あ、そういうことね。勿論、戻ってるよ。錯視魔法の効力は二十四時間だから。月曜日の朝は戻っていなかったから、別のスカートを履いたけどね」

「なるほど。錯視魔法を途中で解除することは出来ないのか?」

「うん。それだと錯視魔法の意味もなくなっちゃうから」


 確かにそうだ。

 機密文書のやり取りで使われるのなら、第三者に見られてはいけない文言などを錯視魔法で別の文言に変更するのだろう。それを誰でも解除出来てしまっては意味がない。


「今朝のタイミングで魔法紙の件が周知されたのは、そのタイミングで錯視魔法が解除されたから、ってことか」

「そういうことにされてるね。皆は信じてるみたい」


 桃乃も俺と同じことに気付いているのか声をより潜めた。

 俺も周囲に注意しながら続ける。


「学校側は嘘をついている」

「……掛橋くんが、昨日の魔法紙を魔法紙として認識出来たってことは錯視魔法で作られたものじゃないからね」


 俺の目には錯視魔法が作用しない。

 今朝の周知が真実なら、昨日の時点で俺には魔法紙が白い紙に見えていたはずだ。


「昨日の魔法紙の存在を学校側が容認しているなら、俺達が探している魔法紙と何か関係があるかもしれない」


 桃乃は二年Bクラスの生徒達を一瞥し、少しだけ力強く言う。


「うん。新飼さんの協力者をまずは見つけよ」




「昨日は、その……助かった。ありがとう」


 昼休み。テラス席に座り、竜魚のムニエルに今から箸をつけようというタイミングで俺は風野宮に声をかけられた。

 前に座っている桃乃は何故か微笑ましい顔をしている。


「別にいい。あれは本物の魔法紙じゃなかったんだろ? 俺が何もしなくてもお前は助かっていた」

「それだけじゃないんだ。ごめん! もう知っていると思うけど、一昨日、掛橋のミノタウロス丼に調合魔法をかけたのは俺だ」


 元の世界の風野宮とは一度も喧嘩をしたことはない。

 真剣な顔で謝られると妙にむず痒い。


「あ、私これだけじゃ足りないかも。ちょっと売店行ってくる!」


 謎の機転を利かせた桃乃はそそくさとテラス席を離れ、食堂の中に入っていく。

 二人にしないでくれ、という俺のアイコンタクトは華麗にスルーされたようだ。


「冴木が教えてくれなかったら、ミノタウロス丼は虫の死骸の味がするのか、と思いながら我慢して食べていただろうな」

「本当に悪かった! いつも掛橋に注意されてばかりで、仕返しをするなら今しかないと思って……」

「あの日、俺はお腹を壊して一晩中トイレに篭る羽目になったんだぞ」

「そ、そうだったのか……。なら、俺も同じ目に遭うべきだな。これでおあいこっていうのは虫が良すぎるかもしれないが、償わせてくれ!」


 風野宮はローブのポケットから小瓶を取り出した。中身は言うまでもない。


「これを今から……一気飲みする!」

「しなくていい」


 小瓶を取り上げ、俺は中身をテラス外の草むらへと還す。


「いや……でも」

「お腹を壊したのは嘘だ」

「え? 嘘?」

「何でまだこんなもの持ってるんだよ。気持ち悪いな」

「自分への戒めとして……」


 風野宮の背中を押し、座るように促す。


「嘘をついたのは、もう少しだけ罪悪感を味わってもらおうと思っただけ。要するに、ささやかな仕返しだ」

「そういうことか……。掛橋がこんな嘘つくなんて意外だよ」

「だから調合魔法の件も別に気にしてない。そんなに謝らなくて大丈夫だ」

「なら、これは借りだ! なにか困ったことがあったら、いつでも俺に言ってくれ。出来ることなら何でも手助けする」

「借りか。分かった」


 元の世界の風野宮とも同じような話をしたことを思い出す。ある日の宿題を忘れた風野宮が、名前順で前の席に座っていた俺に助けを求めた。仕方なく手伝った俺に、風野宮は「借りが出来てしまったな」と大層に言ったが、借りは返されることもなく、そこから毎日くだらない勝負や罰ゲームに付き合わされる日々が始まったのだ。

 その日々をまとめて「借り」としていたのだろうか。

 内実は風野宮のみぞ知るが、元の世界に戻ったら、あいつに昼飯でも奢ってもらおう。


「俺もここで昼飯食べていい?」


 風野宮は小瓶が入っていたポケットからパンを取り出した。

 袋詰めされているとはいえ、同じ場所に入れるとは……。


「じゃあ、俺も食べるか」


 竜魚のムニエルはメニューの一番隅にかなり小さな文字で載っていたもので、なんとなく興味を惹かれ注文をしてみた。

 見た目は鰆のようで、分厚い切り身に脂が乗っており、食欲をそそられる。

 箸で身をほぐし、そのままご飯と一緒に口へ運ぶ。


「うっ」


 美食家なら怒り狂うであろう至極の不味さが口の中に広がった。鼻から抜けていく匂いに卒倒しそうになるのを堪えながら、なんとか飲み込み、水で口の中を洗浄する。

 飲んだ水がそのまま体から噴き出るように全身から一気に発汗した。


「だ、大丈夫か?」


 風野宮は俺の身を案ずるように声をかけてきたたが、どこかきな臭い。


「おい、お前また変なもの混ぜただろ」

「それは元から腐ったミルクの味なんだ」


 言われてみるとそんな味だ。こんなものを学校の食堂で提供していいものだろうか。


「知ってたのか……食べる前に言えよ」

「ちょっと反応が見てみたくて。体には良いらしいから、そんなに怖い顔するなって」


 笑いを堪える風野宮に手が出そうになったタイミングで、桃乃が戻ってくる。


「何だか楽しそうだね!」

「どこがだよ」

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