第15話
第三章
この場にいる第三者、誰もが目の前の光景に驚きを隠せなかっただろう。
魔法紙を盗んだ犯人は風野宮だったのか、と。
かくいう俺も目の前の光景を疑った。
何故なら、新飼の手にある魔法紙が教科書で見た「転生魔法の魔法紙」と全く同じ──血の付着していない綺麗な状態の魔法紙だったからだ。
「俺は知りません……バッグを開けたら何故か魔法紙が入っていたんです!」
「そんな都合のいいことを言われて、私が信じると思いますか? 今さっきあなたは逃げようとしていたんですよ」
「それは俺が疑われると思って……」
額から流れ出る汗を腕で拭いながら、風野宮は必死に弁明をしている。
新飼は顔色一つ変えず、手にしている魔法紙を掲げた。
「これは先週の水曜日に禁書庫から盗まれた転生魔法の魔法紙です。バッグから出てきた今の状況で、無罪を主張するだけの理由を並べる方が難しいですよ」
「そうだ……誰かが入れたんだ! 俺が見てない間に誰かがバッグに!」
「それを見た人はいますか? いるなら、ここで名乗り出て下さい」
風野宮に集まっていた視線は四方八方に散り、それは自らが無関係であることを暗に主張しているように見えた。
図書館、食堂、集合写真、教室。俺が見た風野宮はいつも一人だった。
この世界の風野宮には恐らく友達と呼べる存在がいない。目撃した生徒は本当にいないのかもしれないが、擁護しようとする姿勢すら見せないということは、犯人でもおかしくないような人物と普段から思われているのかもしれない。
だが、風野宮の言っていることは正しい。
風野宮が魔法紙を見つけたのはファスナーを開けた時。閉めたのが自分ならそのタイミングで魔法紙に気付くはずだ。誰かが魔法紙を入れ、ファスナーを閉めた。
俺が後ろを通った時、ファスナーは大きく開いており、バッグの中には財布、生徒手帳、小瓶が入っていただけで教科書、ノート等はなく、勿論魔法紙も入っていなかった。読み終わった六十二巻を戻し、六十三巻を風野宮が持ってくる間に誰かが入れたのだろう。
そして、そのままカウンターに行き、ファスナーを開いて魔法紙を見つけた。
「誰もいないようですね。それでは私と一緒に来てもらえますか?」
そもそも、あの魔法紙は一体何なのか、と考える。
盗まれた魔法紙ならすでに使用され、この世界の俺の血が付着しているはずだ。
「い、嫌だ! 本当に俺じゃないんだ! 誰も見てないのかよ!」
「抵抗するなら、それ相応の処置を取らせて頂きますよ」
取り乱す風野宮に向かって、新飼は右手をかざす。
「こいつは魔法紙を盗んだ犯人ではありません」
気付けば俺は新飼の腕を掴んでいた。
「……掛橋くんは、誰かがバッグに魔法紙を入れるところを見たんですか?」
「いえ」
「それなら『犯人ではない』と言い切れる根拠を教えて下さい」
「この図書館で風野宮のバッグを覗いた時、魔法紙は入っていませんでした」
「中を見たのが本当なら最初から入っていたわけではなく、誰かが入れたというのも納得出来ますが、それを信じるに足る証拠はありますか?」
「そのバッグの中には、虫の死骸が入った小瓶がありませんか?」
財布、生徒手帳などバッグの中に入っているのが当たり前のものを言ってもバッグを見た証拠にはなり得ない。俺は、特徴がある小瓶の存在を告げた。
再度、新飼はバッグを探り、そこから小瓶を手に取って風野宮に問う。
「これは何ですか?」
口を噤む風野宮。
前日の昼休み、ミノタウロス丼への調合魔法の素材に使ったとは流石に言えないだろう。
俺は助け舟を出す。
「僕が数十分前に悪ふざけでバッグに入れたんです」
風野宮は戸惑った表情をこちらに向けた。
だが、すぐに状況を理解したのか口裏を合わせる。
「そんな小瓶を入れられているとは知りませんでした……」
新飼はバッグを風野宮に戻し、俺へと向き直った。
「であれば、その小瓶を入れた時に、あなたが一緒に魔法紙を入れたという可能性も考えられますね」
「目撃者はいないと先程判明したばかりです。僕が魔法紙を入れたかどうかはあなたには確かめようがない。重要なのは風野宮が最初から魔法紙を持っていたわけではなく、誰かにハメられた可能性があるということじゃありませんか?」
俺の返答が想像の範疇だったかのように、一瞬だけ緩んだ新飼の口元からは余裕が感じ取られた。
「それもそうですね。確かに、今この場で誰が入れたかを明らかにするのは難しそうです。魔法紙は見つかりましたし、私は一旦この件を報告しに職員室に向かうことにします」
新飼は最後にこちらに向かって、丁寧な会釈をした。
「ご協力ありがとうございました」
俺が図書館を出ると、そこには桃乃が立っていた。どうやら俺を待っていたらしい。
話があるとのことで場所を俺の部屋へと移した。
「風野宮くん、大丈夫かな?」
「あいつはむしろ被害者だ。新飼がどうこうすることはない」
「それはそうだけど、他の生徒も見ていたから……」
「印象は良くないだろうな。ただ、それは今に始まったことじゃないだろ」
「……風野宮くんは悪戯好きで一年生の時から、よく問題を起こしていたからね。会長もよく注意してたし、掛橋くんへの態度は多分ちょっとしたやり返しだったんだと思う」
「虫の死骸を昼飯に混ぜるという発想も、その話を聞くと納得出来るな」
今、思い出しても気持ちが悪い。やはり俺に昆虫食というのは向いていないらしい。
気分を変えようと、俺は桃乃に断りを入れ、お茶を淹れることにした。
キッチンシンク下の収納からティーバッグが入った缶を取り出す。
この中には「魔草花」という植物を発酵させて作られたものが幾つか入っている。飲むと原料の魔草花の魔法効果が得られるという代物らしい。図書館の二階で手に取った本に魔草花の説明が載っていた。この世界の俺は紅茶が好きだったのか、いくつか種類がある。ただ、今の状況に合うようなものは特にない。俺は二つのマグカップにごく普通なジャスミンティーのティーバッグとお湯を入れ、テーブルへ置いた。
「ありがとう」
「それで、桃乃の話っていうのは? ここへ来るまでに少し聞いたが、ことの顛末は全て見ていたんだろ?」
桃乃はジャスミンティーを一口だけ静かに啜る。
「うん。私が図書館の入り口に着いたのは風野宮くんのバッグから魔法紙が出てくる十分ほど前だったから」
「十分? 何で中に入ってこなかったんだ?」
「それを話したかったんだけど、図書館の入り口横で新飼さんがずっと待機していたの」
暖を取るように両手でマグカップを包み、桃乃は続ける。
「風野宮くんのバッグに魔法紙が入っていることを、新飼さんは初めから知っていたんだと思う」
新飼とのやりとりの中で覚えた妙な違和感。
桃乃の話を踏まえ、頭を整理すると一つの仮説が出来上がる。
「……なるほど。確認なんだが、この学校では生徒、教員、全ての人間のエルファリングには制限がかけられているよな?」
「え? うん」
現在であればカリキュラムにある魔法が五種類、そしていつでも使える魔法四種類の合計九種類が使える仕様になっている。
「それは新飼も同じか?」
「同じ。私が校長に確認を取ったからそれは間違いないよ。この学校にいる限りは学校の安全面から魔法の濫用は出来ないようになっているから」
新飼がもし自由に魔法を行使出来るなら俺の知り得ない魔法で風野宮のバッグの中に魔法紙を仕込んだのかと思ったが、それはないらしい。
「俺も桃乃と同じ意見だ。今回の件が起きることを新飼は知っていた。いや、正確に言うなら今回の件を引き起こしたのは新飼だろう」
「自作自演……ってこと?」
「いや、それは少し違う」
俺は一度ジャスミンティーで喉を潤す。
「新飼一人じゃない。生徒の中に新飼の協力者がいる。バッグの中に魔法紙を入れたのは、その協力者だ」
妙な違和感は最初からあった。
新飼はバッグから魔法紙を見つけた時、大勢の前で風野宮を糾弾した。
調査員という立場の新飼が、バッグから出てきたという理由だけで風野宮を犯人と断定するだろうか。誰かが入れたという可能性を少しは考えるはずだ。
そして、考えたのなら、あの場で目撃者を募ったりはしない。
その証言もまた信じるには足らないものだからだ。
だからこそ、バッグの中を見た、という俺の証言で新飼があっさりと引き下がったことに疑問が残った。バッグの中に小瓶を入れるという行為は教室でも可能であり、図書館でバッグを見た証言としては不十分。それに人の証言が全て真実を語っているわけではない。調査員なら確かな証拠を欲するだろう。
その必要がなかったのは、誰がバッグに魔法紙を入れたか知っていたからだ。
「……確かに、順序立てて考えてみたら協力者がいるのかも。バッグに入れたのが誰かって考えると、真っ先に怪しいのは新飼さんだけど、図書館に調査員が入ってきたら他の生徒は目で追うだろうし、魔法紙をバッグに入れたとは考えにくいよね」
「そうだな。桃乃が言っていたように、新飼はここで何が起きるかを知って図書館前で待機をしていた。魔法紙を盗んだ犯人を突き止めることが目的なら、その現場を抑えようと違うアプローチをしたはずだ」
「そこまでする新飼さんの目的は何だったんだろう」
俺は今一度さっきの場面を振り返る。
魔法紙を掲げたり、風野宮に魔法を使おうとした行為は全て仰々しい演技だった。
それが俺に向けてのものだったとしても目的は今一つ見えてこない。
「……今は分からないな。新飼は俺を疑っている。魔法紙を見せて俺の反応を試したのかもしれないが、そもそもあの魔法紙が何だったのかすら分からない」
「盗まれた魔法紙とは別に、もう一枚転生魔法の魔法紙があったとは考えにくいかな?」
「もう一枚あったとして、そんな危ないものを学生に託して、その上バッグの中に入れるよう指示を出すとは思えない……。仮にもう一枚あったのなら、それこそ厳重に保管するはずだ」
「うーん……」
桃乃は腕を組み、考えを巡らせているのかテーブルの隅にある小さな傷を見つめている。
「そもそもだけどさ、協力者の生徒はどうしてそんなことをしたんだろう」
「俺達からしたら新飼は厄介な存在だが、他の生徒からしたら協力する理由はいくらでもあるんじゃないか?」
「風野宮くんを巻き込んでまですることなのかな……」
「その生徒自身の能動的な理由もあったのかもしれないな」
「…………」
黙り込んだ桃乃を前に、何かマズいことでも言っただろうかと今の会話を頭の中で反芻するが、特に問題はなかったように思える。
それは俺の思い過ごしだったのか、突如として桃乃はジャスミンティーを一気に飲み干し、勢いよく立ち上がった。
「掛橋くん、夜の散歩に行かない?」
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