第12話
魔法生物学は実技室でも講義室でもなく、魔法生物棟の横にある森で行われる。修楠学院高等学校のシンボルでもある大きな一本のクスノキはこちらの世界にもあり、それを入り口として等間隔にある奇妙な花を辿って行くと、草木が伐採され整えられた広場に出る。
広場の真ん中には銀灰色の大きな柱があり、数頭の魔法生物が柱から伸びた紐に繋がれていた。この授業では魔法生物との関わり方を学ぶらしい。
座学ではないが、二年生全員が集まっている。
よく見ると魔法生物は二種類だけで、それに伴い俺達は二つのグループに分けられた。
グループ1は『ユニコーン』、グループ2は『ペガサス』を扱うようで、俺はグループ1が集まっている場所へと移動した。桃乃はグループ2のようだ。
近くにいた今田に声をかけられる。
「この授業は見学じゃなくて大丈夫?」
「魔法は使わないみたいだからな。それに魔法生物がどういう生き物なのか気になる」
「そっか〜」
今田は両腕をぐっと上げ、伸びをしながら言った。
ちらっと見えた脇腹からすぐに目を逸らす。
「ところで掛橋くん。記憶喪失はどんな感じ? 何か思い出したことはある?」
「いや全然。集合写真を見て、この学校で生活していたんだな、って思ったくらいだ」
「ああ、あの写真ね! 少し前のことなのに、すごく懐かしく感じるよ」
「そういうものなのか。俺はそもそも、その時のことを覚えていないからな」
「……記憶を失うって、本当に大変なことなんだね」
「いずれは戻る。そんなに悲哀しなくて大丈夫だ」
この世界の俺が戻ってくれば、周りの人間は記憶が戻ったと思うだろう。俺がこの世界の俺として過ごした時間は、反対にこの世界の俺の記憶喪失として片付けて貰えばいい。この世界に俺がいたという事実は、それと共に無かったことになるだろう。
「あの……ちょっといい?」
チラチラと周りを気にしながら、今田は俺の裾を引き、耳元で囁いた。
「記憶喪失になったのって魔法紙が盗まれた事件に関係してる?」
横を向くと唇が触れるくらいの距離に今田の顔がある。
「最近、桃乃さんと一緒に事件のことについて調べているよね?」
「何の話だ?」
「図書館で、掛橋くんが絵梨香ちゃんと話しているのを聞いちゃったんだ。転生魔法関連の本を借りようとしてたみたいだから。それに、よく桃乃さんと二人きりで何か話してるみたいだし……」
「事件について調べているのは桃乃一人の意思だ。臨時の生徒会長として、他の生徒の身に危険が及ばないか心配らしい。俺は元生徒会長として、ただ手伝っているだけだ」
今田はハッとした様子で距離を取り、口角を上げて朗らかな表情を見せる。
「あ、ごめんね。別に何かを疑っているとかではないんだ。ただ私も力になりたいって思ったの。学級委員長として、掛橋くんの力になりたいからさ」
「ありがとう。何か困ったことがあれば、その時は頼るかもしれない」
「うん、何でも相談して! それじゃ戻るね」
同じグループだと勝手に思っていたが、今田はグループ2だったようだ。
ヘアゴムで結われたポニーテールが、左右に揺れながら遠ざかっていく。
「なにずっと見てんの」
ボイスチェンジャーを使ったとしても誰だか判別出来るその口調は、俺のすぐ後ろから聞こえた。
「見てたら悪いのか」
「友達がストーカー行為に遭っているのを見過ごすわけにはいかないでしょ」
振り向くと、木ノ内は気怠そうに首を回しながら立っていた。
「俺は向こうのグループの様子が気になるだけだ」
「ま、からかってみただけだから別にどうでもいいけど」
今田はグループ2に合流すると、数名の生徒と共にグループ2を更にいくつかのグループに分け始めた。
「あれは何をしているんだ?」
「あー愛亜李は飛行乗馬部だから、授業の手伝いをしてるの」
「飛行乗馬部? この学校には部活があるのか?」
「学校なんだから部活くらいあるでしょ。そんなことまで忘れたの?」
言われてみればそうだ。図書委員、栽培委員などの委員会があるなら、この世界の学校にも部活があったっておかしくはない。ペガサスは翼の生えた馬、飛行乗馬部というのは言葉の通りペガサスに乗って空を飛ぶ部活ということか。
「それならユニコーンに乗る部活もあるのか?」
「陸上乗馬部でしょ。ほら、今出てきた」
見るとグループ2同様に数名の生徒が前に出てきて、グループ分けを始めた。その中心には冴木の姿があり、頭を垂れたユニコーンの角を撫でながら誇らしげな顔で口を開く。
「ユニコーンは伝説の生き物。人間に心を許すことは滅多にないが、俺をみれば分かるように打ち解けることも可能だ。五月の半ば、この授業も残すところあと数回となった。分からないことがあれば何でも俺に聞いてくれ。遠慮はいらない」
周りの部員達は冴木の話を聞き流しながら、てきぱきと作業を始めている。これが陸上乗馬部の通常運転なのだろう。
「この授業では実際に何をするんだ?」
興味なさそうに横で欠伸をしている木ノ内に問いかける。
「何で私に聞くの。冴木に聞けば? 遠慮はいらないみたいだし」
「あいつに一聞くと十返ってきそうで面倒だからな」
逆に木ノ内は〇・五くらいしか返しそうにないが、他に教えてくれそうな人物も特にいない。
「あ、二人とも一緒にいるね。丁度よかった。第六班は木ノ内さん、掛橋くん、遠矢くん、私の四人ね」
陸上乗馬部の部員と思われる小柄な女子は遠矢を連れて、俺達の間に入ってきた。名前は桜井というらしい。気付けば班のメンバーはすでに決まっていたようで、それぞれ固まりだしている。二班ごとに順番で、ユニコーンに乗るようだ。
「口で教えるより体験した方が早いから」
木ノ内はそう言うと、桜井と談笑を始めた。桜井は柔らかい雰囲気の生徒で、木ノ内の話に笑顔で相槌を打っている。
横にいる遠矢は俺と目を合わせようとはせず、順番が来るまでひたすらに沈黙を貫いた。
「何で僕が掛橋くんとペアなのかな?」
遠矢は不満を滲ませながら、桜井と木ノ内に言った。
「乗り方も魔法の使い方も忘れている掛橋くんを一人で乗せるわけにはいかないから……。ごめんね」
「そうそう。それに、女の子にしがみ付くのもマズいでしょ」
桜井と木ノ内はそれぞれ別々のユニコーンに跨っており、俺と遠矢は一頭のユニコーンに一緒に跨っていた。気の利いた一言でも言えたらいいのだが、何を言っても遠矢の気に障るような予感がして、俺は何も気にしていない様子を装った。
「……分かったよ」
「ありがとう。私と木ノ内さんが先導するから、遠矢くんは殿でお願い。いくね!」
桜井の合図を皮切りに、三頭のユニコーンは綺麗な列をなし森の奥へと進み出した。元いた世界でも乗馬の経験はない。地形に合わせて踏み込んでいくユニコーンの一歩一歩の振動が全身に伝わり、生き物に乗っているのだと新鮮な気分を味わう。
俺は前に座る遠矢に話しかける。
「ちょっといいか?」
「……なに? 乗馬に集中しているから、あまり話したくはないんだけど」
「桜井は何をしているんだ?」
先頭を走る桜井は片手で手綱を握り、時折周囲に向けて攻撃魔法を唱えようと指の形を『貫通』にしていた。一見すると、馬に跨り的に向かって弓を放つ流鏑馬のように見えるが、魔法が古来から存在するこの世界には恐らく武家社会というものは存在しないだろう。それに森の中に的のようなものは確認出来ない。
「『狩り』のイメージをしてるだけでしょ」
「狩り? どういうことだ?」
遠矢は大きな溜息をつくと、事務的に説明を始めた。
「この学校では数種類の魔法生物が飼育されている。必要な餌は全て僕達生徒で調達する決まり。と言っても誰にでも出来ることじゃない。その役目は陸上乗馬部、飛行乗馬部の部員にある。授業で狩りは行わないから、桜井さんはただイメージトレーニングをしているだけ」
「そういうことか。この森で餌用に獲られる動物は何がいるんだ?」
「兎と猪」
乗馬する前に木ノ内がユニコーンに乾草を与えていたことから、元の世界同様に馬であるユニコーン、ペガサスは草食だと分かる。であれば、兎や猪は別の魔法生物の餌だ。
「その餌は、どういった魔法生物の──」
「ヒュドラー、ケルベロス」
「……随分詳しいんだな。リュクスの世話もしているようだし、遠矢は何かの委員会に属しているのか?」
「もういいかな? 授業中にあまり私語はしたくないんだけど」
「そうか……。悪かったな」
遠矢はそれ以上何も言わずに、ただ前だけを見つめた。
その背中が強張っているように見えたのは、俺の気のせいだろう。
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