第11話

桃乃が俺の部屋を出て行ってしばらく経った後、扉をノックする音が聞こえた。


「掛橋くん、いる?」

「前生徒会長ですか?」


 扉を隔てているため顔は見えないが、昨日と同じ時間帯に訪ねてきたことと、か細い声で誰かはすぐ分かった。


「う、うん。前生徒会長ってなんか恥ずかしいから、普通に名前で呼んでくれないかな。彩でも、早稲田でもいいから」

「じゃあ……早稲田さんで」


 名を先に口にしたことから、『彩』と呼ばれることの方が多いのだろう。女子に限らず、人を下の名前で呼ぶことには若干の抵抗がある。名前の呼び方というのは、人との距離を測る見えない物差しなのだ。


「それで昨日の話なんだけど……明日の放課後はどうかな?」

「大丈夫です。どこに何時に行けばいいですか?」

「魔法生物棟は分かる? そこの前に十六時半でもいい?」


 まだ行ったことはないが、魔法生物棟というのは魔法生物が収容されている施設だ。


「はい、問題ないです」

「ありがとう……。それじゃ、おやすみ」


 この二日間を通して、この世界の俺には深い関係を持つ生徒はいないということが分かった。だが、生徒会繋がりで、早稲田と俺には何かしらの関係性があったはずだ。

 であれば、記憶喪失という事実に対してもう少し興味を示すのが普通ではないだろうか。

 


 五月十七日、水曜日。

 午前中は体術魔法の授業から始まった。

 使用する魔法は覚醒魔法『イプニシア』

 空気中に存在するエルファを体内に取り込み、一時的に体力を向上させる魔法らしい。

 実技室に集められた俺達二年Bクラスはまず、体力測定を行った。

 計測は魔法が付与された器具で行うようだが、項目は馴染みのあるもので、握力、反復横跳び、五十メートル走、立ち幅跳びの合計四つ。

 計測が終わったら、覚醒魔法を唱えて同じ体力測定を行い、その記録の伸び率=魔法の作用具合として評価を行う形式を取っているようだ。

 昨日と同じように見学しながら考えに耽ろうと思っていたのだが、何故か一般的な体力測定には参加を強要され、俺は今、乱れた呼吸を整えながら己の体力の無さを嘆いている。

 一回目の体力測定で息を切らしていた生徒は他には誰もいなかった。二回目の体力測定では、魔法の効果もあり、多くの生徒が一回目の記録を大幅に超える数値を目の前で叩き出している。

 俺はこの世界を、この学校しか知らない。

 魔法の授業は俺が受けてきた授業より実用的に思える。一歩外に出れば、魔法で自分の身を守らなければ暮らしていけないような危険な世界なのかもしれない。禁術魔法を使えば『死罪』、その理由が少しだけ分かったような気がした。


「以上で午前中の授業は終了とする。体調が優れなくなった者は、医務室に行くように」


 簡単なフィードバックを行い教員は教室を出て行った。少しだけ汗をかいた桃乃が俺の横に座る。シャンプーの匂いがふわっと香った。


「きつそうだね。どこか体調でも悪いの?」

「皮肉か」

「やっぱり元気そうだね」

「俺は帰宅部だからな。体力は最低限あれば問題ないんだ」

「帰宅部? 何する部活なの?」


 真顔で聞かれ、ここは別世界なのだと実感する。


「家に真っ直ぐ帰る部活だ」

「え? どういうこと?」

「……そんなことはどうでもいい。それより、さっき教員が言っていた『体調が優れなくなった者』ってどういうことだ?」


 俺のように運動して疲れた者ということではないだろう。優れない、ではなく、優れなくなったという点が重要だ。


「イプニシアで空気中のエルファを必要以上に体内に取り込みすぎると、長時間に渡って魔法が全身に作用してしまうの。そしたら、頭は冴えて眠れなくなるんだけど、体は徐々に動かしづらくなってくるんだ。だから、その兆候が出てきたら医務室に行くようにってこと」


 ドーピングにはそれ相応のリスクがあるように、魔法も使い方にはよっては本人を苦しめてしまうということか。


「そうか。体に取り込んで体力が向上するのは分かったが、魔法はどうなんだ? 魔法の威力が上がったりはしないのか?」

「威力は変わらないけど、体内のエルファが増えるから魔法を使える回数は増えるよ」

「なるほどな……」

「それが、どうかしたの?」


 あごに手を添えていたせいか、考えに耽っていたのを桃乃に悟られる。


「いや、事件には関係ないことだ。教室に戻ろう」

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