第6話

「パンとおにぎり、どっちがいい?」

「おにぎりで」


 昼休みになり、俺と桃乃は食堂のテラス席に二人で座っていた。売店は生徒でひしめき合っており、どこの世界もそれは変わらないんだな、と思う。

 受け取ったおにぎりの味はソルト。ただの塩むずびだ。

 桃乃が食べようとしているパンの名前は「スコーパオン」と言い、名前の通りサソリの形をした気味の悪いパンである。


「ラインナップも聞いたことないやつばっかりだし、何で全部無駄に浮いてるんだ」


 売店では全ての商品が宙に浮いており、生徒達は指輪をつけた方の手でそれを引き寄せ手に取っている。

 この指輪は「エルファリング」という名称で、魔法を使うために必要な物らしい。


「陳列してると後ろの人が取れないから、あらかじめ浮遊魔法がかけられているの」

「そんなシステム使っても、人混みはちゃんと出来るんだな」

「それより、おにぎりで本当にいいの? 私の少し食べる? 見た目はアレだけど、甘くて美味しいよ」


 桃乃はハサミの部分をちぎって、俺に差し出してきた。

 断ろうとしたが、桃乃の眼力を感じ仕方なく受け取る。


「じゃあ……一口だけ」


 見た目はよくないが、桃乃の様子を見るからに味は美味しいのだろう。

 俺は差し出されたパンのように柔らかい頭に切り替えて、恐る恐るかじってみた。


「意外に美味いな」

「でしょ? このスコーパオンはね、実は昆虫なんだよ。不思議な生き物で死んだら体が軟化して、芳醇な香りを出してパンみたいになるの。気に入ったなら、こっちのハサミも食べる?」

「あ、いや……おにぎりもあるし、お腹いっぱいになりそうだから大丈夫」


 見た目がよろしくないだけのパンかと思いきや、そもそもパンではなかったらしい。

 口直しとして、自分のおにぎりを食べようとしたところで、背後から肩を叩かれる。


「食事中に失礼します。ちょっといいですか、掛橋くん」


 声をかけてきたのは、調査員の新飼渚沙だった。

 返事をする前に俺の横に座り、対面にいる桃乃は新飼を訝しむ。

 間近で見ると二度見してしまう程の美人だが、そんな感想はおくびにも出さず、冷静に振る舞う。


「僕に何の用ですか?」

「この学校の調査を始めるにあたって、生徒会長のあなたと話がしたかったんです」

「今の生徒会長は臨時で私、桃乃さんごが務めています。学校や生徒のことなら是非私に聞いて下さい」

「私が聞きたいのは、掛橋くんが記憶喪失になった話です。魔法紙が盗まれた件と何か関係があるのではないかと思いまして」


 新飼は凛とした佇まいで真っ直ぐ俺の顔を見た。全てを見透かしているような目に思わずたじろぎそうになる。


「僕もその事件のことは聞いたんですが、何も思い出せないんです。桃乃さんが目撃した話では、箒から落ちたらしくて……多分ただの事故だったんだと思います」


 俺のその説明に桃乃は補足をし、その時のことを詳しく伝えた。

 新飼は時折、相槌と一緒に質問を交え、事細かに状況を理解しようとしている。

 十分程度話した所で、新飼は少しだけ黙り、再び口を開いた。


「分かりました。最後に一つだけ質問させてもらっても大丈夫でしょうか?」

 俺が頷くと、新飼は確かめるように言った。


「あなたは転生者ですか?」


 視界の隅の桃乃が一瞬硬直する。

 このタイミングで記憶喪失になったことから、近い内に新飼が接触してくると思っていたが、この段階で事件の犯人ではなく転生者として疑いをかけられるのは想定外だった。


「すみません、本当に何も分からないんです」

「──そうですか。貴重なお昼休みにすみませんでした。それではまた」


 新飼は無駄のない会釈をし、テラスを後にした。

 姿が見えなくなったのを確認し、桃乃は息を吐く。 


「危なかったね。あそこまでストレートに聞いてくるとは思わなかったよ」

「試されたのかもな」

「え? どういうこと?」

「新飼としては、あそこで俺から否定の言葉を引き出したかったのかもしれない。記憶喪失であるなら、転生者ではないと言い切るのはおかしいからな」


 分からない、と答えたが、新飼の中で白になったわけではないだろう。

 以前の俺を知らない分、俺のことを念入りに調査するはずだ。


「そうだったんだ……。よく分かったね」

「相手が自分をどう見ているか、よく考えるんだ。元の世界にいた唯一の友達からは極度の自意識過剰って言われていたな」

「ナルシストってこと?」

「違う。それは冴木みたいな奴のことだ。俺は別に自分のことが好きでも嫌いでもない」

「ふふ、冗談だよ。私はまだよく知らないけど、掛橋くんは良い人だと思う」


「良い人」というのは「優しい人」と並んで、褒める所がない時に多用される言葉だと俺は思っている。相手の良心を素直に受け止めることが出来ないのは、俺が相手に対して同じような気持ちを持っていないからだろう。


「まあいい。ちょっとトイレに行ってくる」

「あ、少し待ってね」


 付いてこようと桃乃も立ち上がる。


「いや、一人で行けるから……」

「でも、大丈夫?」


 校内、寮内では基本的に一緒に行動するように桃乃から言われている。犯人が接触してくる可能性がある中、魔法が使えない状態で一人にするのは危ないとのことらしい。

 それは分かるが、トイレ前で待たれる時間によって、俺の大小を把握されるのは勘弁だ。


「男子トイレまでは入ってこられないだろ。ここで待っててくれ」

「生徒会長特権を使えば──」

「どんな特権だよ」


 くすっと笑う桃乃に軽く睨みを効かせ、俺はトイレへと急いだ。




「ねぇ、私との約束も覚えてないわけ?」


 食堂に面した廊下の奥にある男子トイレから出ると、一人の女子生徒が話しかけてきた。


「約束? そもそも、君が誰かも分からないんだけど」

「へぇ、記憶喪失ってマジなんだ……。私は木ノ内実栞きのうちみかん。あんたとは、そうね……ただの知り合いだった」


 オレンジ色のショートカットの髪先を指でくるくるといじりながら、木ノ内は面倒臭そうに名乗った。柑橘系の香水の爽やかな香りと小麦色の肌は、少し先の夏を感じさせる。


「木ノ内か……覚えてなくて悪い。約束っていうのは何の話だ?」

「今のあんたに言っても意味ないだろうからもういいよ。事故って聞いたし、あんたが悪いわけじゃないのは分かってるけどさ……。なんか私だけ損した気分」


 木ノ内はぷくっと頬を膨らまし、むくれた様子を見せる。


「記憶を取り戻す手掛かりになるかもしれないし、良かったら話してくれないか?」

「じゃ、あんたの部屋に今度行ってもいい? 話をするかどうかは、そこで決めるから」

「……何で俺の部屋に? 話なら別にここでもよくないか?」

「いいからいいから。それよりその口調と態度、別人みたいで調子狂うからやめてくんない?」

「別人か。木ノ内から見て、俺はどういう人間だったんだ?」

「堅物、無口、愛想なし」

「そうか……」


 話で聞くこの世界の俺が、正反対のタイプに見える木ノ内と、どうでもいい約束をしたとは思えない。事件に関するものかもしれない以上、ここは木ノ内の提案を断るべきではないだろう。


「じゃ、近いうちに部屋に行くからよろしく」


 くるんと向きを変え木ノ内は廊下を颯爽と走って行った。

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