第4話

 翌日。

 五月十五日、月曜日。


「そうだね〜、目立った外傷はないけど、さんごちゃんは掛橋くんが箒から落ちる所を本当に見たんだよね?」

「あ、うん! た、多分打ち所が悪かったんだよ」

「そっかー。掛橋くん、本当にここがどこで、自分が誰だか分からない?」

「分かりません。それに、魔法? が何かも全く思い出せないんです。そこの桃乃さんごさんに教えてもらったんですけど、さっぱりで」


 翌日の月曜日の朝、俺と桃乃は寮の一階にある医務室に来ていた。担当は猿渡麗香さるわたりれいかという教員一人のみ。ぱっと見の印象は女子大学生。この世界にヘアアイロンはないはずだが、長い髪の毛先はしっかりと巻かれている。桃乃と仲が良いのか友達のような距離感だ。

 俺と桃乃はここで、ある口実を作りに来た。


「おっけい! じゃあ確認するから私の前に立ってもらえるかな?」

「この辺りでいいですか?」


 前に立つと、猿渡は右手の人差し指で俺の額を差した。


「ちょ、ちょっと麗香ちゃん!」

「さんごちゃんはそこで見てるだけで何もしないでね?」


 制された桃乃は一歩下がって、固唾を呑んでこちらを見守る。

 

「じゃあ、いくね? マギフェス!」

 

「……終わりですか?」


 恐らくマギフェスというのは魔法だろうが、特に何かが起きた様子はない。

 桃乃は口に両手を当て、目を見開いている。


「どうやら記憶喪失っていうのは本当みたいだね。先生達には朝会議で私の方からちゃんと伝えておくから安心して。意識ははっきりしているようだし一時的なものかもしれないから、しばらくは様子見かな」

「そ、そっか! じゃあ、また何かあったら相談しに来るね」

「しっかり掛橋くんをサポートしてあげて。この状況なら、今はさんごちゃんが代理で生徒会長だからね?」

「うん、任せて!」


 桃乃に袖をくいっと引っ張られたので、とりあえず俺も一礼してから医務室を出た。

 学校に行く準備をするため、桃乃の部屋へ一旦場所を移す。


「はぁ〜、怖かった」


 リビングに入ると、桃乃はその場にへたり込んだ。


「あの人のどこが怖いんだ? 俺には仲が良さそうに見えたが」

「そうじゃないよ。発動は流石にしてなかったけど、麗香ちゃんが唱えたマギフェスっていう魔法覚えてる?」

「ああ、なんか言ってたな。どういう魔法なんだ?」

「あれは攻撃魔法で、あの指の形は『貫通』。麗香ちゃんが意思を込めて本気で唱えてたら、掛橋くんの額に穴が空いてたんだよ?」


 額を触って、穴が空いてないことを一応確認する。


「いや……医務室の先生がすることじゃないだろ」

「魔法の記憶が本当にないか確かめたんだろうね。普通なら怖がって動いてしまうから」


 元いた世界で考えるなら拳銃を突き付けられ、引き金を引かれる感覚だろうか。

 確かに何かしらの反応はしてしまいそうだ。


「桃乃から先に魔法の説明を聞いてなくて助かったな……」

「あはは……本当によかったよ。演技も初めてやってみたけど、バレなくて一安心だね」

「ああ、問題はこの先だ」

「うん……一緒に頑張ろ。ちょっと向こうで支度してくるね」


 桃乃はそう言うと洗面台のあるバスルームへ向かう。

 一息つくと、部屋に漂うフローラルな香りが鼻腔をくすぐった。

 周囲を見渡すと、毎日掃除をしているのかフローリングには塵の一つも落ちておらず、デッドスペースは細長い収納棚で有効活用されており、小物や教科書などが上手く整理整頓されていた。開かれたクローゼットには色相ごとに服が分けられており、桃乃の性格が垣間見える。

 普段なら他人の部屋に入ることなんてないだろうが、状況が状況だ。


「掛橋くんは、もうそのまま学校行ける?」


 桃乃は、バスルームから顔だけこちらに覗かせ、様子を確かめてくる。


「多分、大丈夫だ。言われた教科書ならバッグに入れてきたし、ローブもしっかり羽織ってきた」

「うん! よく似合ってるね!」

「……そりゃどうも」


 グーサインをかまされ、反応に困る。

 似合うも何もこの世界の俺が着ていたものなんだからサイズが合って当たり前だ。


「ところで、何で急にタメ口になったんだ?」

「あ、駄目だった?」

「いや全然いいんだけど、昨日は敬語だったから」

「昨日は初対面だったからね。今はもう掛橋くんのことを友達だと思っているよ」

「……そうか」


 屋上で会った時、桃乃は俺を生徒会長と思い話しかけた。

 その時は確敬語を使っていたが、ここで「この世界の俺は友達じゃないのか?」と聞くのは流石に野暮だ。

 それに俺のことを本当に友達だと思っているわけでもないだろう。


「よし。それじゃあ、行こっか」

「行くか」


 今から俺達は協力関係を結ぶ。

 俺は元の世界に戻るため、桃乃はこの世界の俺を助けるため。

 そのためには、この世界の俺の血が付着した、転生魔法の魔法紙を見つける必要がある。


 桃乃から聞いた話では、事の発端は先週の水曜日、五月十日に遡る。

 学校の図書館にある禁書庫から、転生魔法の魔法紙が盗まれるという事件が起きた。

 この学校の図書館には授業で使うための資料が置かれている。

 禁術魔法の魔法紙は、魔法史学という授業で主に使われるらしく、普段から禁書庫に保管されていた。

 禁書庫の鍵は司書教諭が持ち歩いており、毎日放課後に図書館の見回りをする時は、用心のため魔法生物という生き物を一匹連れ歩いていたようだ。

 事件が起きた時、禁書庫の前には胸から血を流して倒れている司書教諭と傷だらけの魔法生物が横たわっていたらしい。

 禁書庫の扉は開けられ、使われた鍵はその場に置かれていた。

 犯人は放課後、誰もいなくなった図書館に入って、司書教諭と魔法生物を襲い、鍵を使って禁書庫から転生魔法の魔法紙を盗んだ。

 これが先週の水曜日に起きた事件だ。

 加えて桃乃が言うには、この世界の俺は生徒会長として一人で事件の犯人を探していたらしい。

 そして昨日、魔法紙盗難事件の事情聴取として学校の全教員が政府に呼び出されている時、この世界の俺は襲われた。


 つまり──犯人はこの学校の「生徒」の中にいる。


 分かっているのはそれだけだ。

 これから先、俺が転生者とバレた時点で、この世界の俺は死罪となる。

 俺は生徒会長の掛橋渉のフリをしながら、犯人を探さなければならない。

 この世界の俺との相違を埋めるために、記憶喪失になったという口実も作った。

 『転生魔法を解除出来る期限は発動から十五日間』

 五月二十九日の月曜日を過ぎてしまえば、俺は永遠に元の世界に戻ることは出来ない。

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