第2話

 程なくして行き着いた先は俺の知らない部屋番号の扉の前だった。

 俺達の学校の寮は一階が一年生、二階が二年生、三階が三年生、西棟が女子、東棟が男子となっている。

 目の前にある番号はE205、二年生の男子の部屋だ。

 横を見ると、大した運動量ではなかったはずだが、桃乃の息はかなり上がっていた。


「それで? ここへ来た理由を教えてくれ」

「こ……ここ! ここが、誰の部屋か……分かりますか?」


 桃乃は息を必死に整えながら、真っ直ぐ俺の目を見て言葉を紡いだ。


「いや、ちょっと分からないな」


 分かりました、と桃乃は一度深呼吸しながら胸に手を当てた。気のせいかもしれないが、桃乃の手が少し震えているように見える。


「入ります……」


 鍵はかかっておらず、桃乃は扉をゆっくりと手前に引く。勝手に入るなよ、と制そうとした時、部屋の光景が目に入る。

 

「これは一体──」

 

 玄関前には、桃乃が着ているものと同じベージュの服が落ちていた。

 背中の辺りが破れており、そこを中心に床は赤く染まっている。

 鉄のような臭いが鼻をつく。

 

 ──人間の血。

 

 すとん、と膝から崩れ落ちそうになる桃乃の両肩を急いで支えた。


「だ、大丈夫か?」


 状況が理解出来ず、おびただしい量の血を目の前に俺も足が竦んでしまう。これも風野宮が仕組んだものなのだろうか。いや……そういった雰囲気は感じない。これは確かな事実だろう。

 なら、桃乃はなにか心当たりがあって俺をここへ連れてきたのか? 

 理由は気になるが、今はいい。この部屋の人物は今かなりの傷を負っているはずだ。最悪のことも考えられる。

 部屋の奥まで確認し、呼びかけてみるが、誰からの返事もない。


「とりあえず、今すぐ先生を呼んでこよう! 立てそうか?」


 桃乃は放心状態で、言葉が届いているのかも分からない。


「ここで待っててくれ。俺一人で行ってくる」

「ま、待って下さい。誰にも知らせてはいけません……」


 俺の腕を掴んだ桃乃は乱れた呼吸を整えながら、ゆっくりと立ち上がる。


「何言ってるんだよ、俺達だけでどうこう出来る問題じゃないだろ」

「……それに昨日から先生達はこの寮にも学校にもいません」

「は? いや、俺は今朝寮の前で何人かの先生を見かけて──」


「ここはあなたがいた世界ではないんです」


 遮るように言われた言葉の意味が分からず、俺は表情で聞き返す。自分自身にも言い聞かせるように、桃乃は真剣な物言いで続けた。


「この部屋は生徒会長の部屋……この世界のあなた『掛橋渉』くんの部屋です」

「この世界の……俺? 待ってくれ、本当に意味が分からない。この状況で、何を言ってるんだよ」


 表情を見れば、これが桃乃の冗談でないことは分かる。だからこそ俺は混乱していた。目が覚めてから不可解なことが多すぎやしないか。そんな俺をよそに桃乃は破れた血まみれの服をゆっくりと拾い上げた。


「その証拠をお見せします……。エパナフェーロ」


 桃乃は右手をかざし、またも聞き馴染みのない単語を口にする。すると、破れていた箇所が徐々に塞がり服は元の形状を取り戻した。


「な……なんだよ、それ」

「これは魔法です。会長……いえ、掛橋くんの世界にはありませんよね?」

「魔法?」


 魔法という概念や言葉は存在するが、そういう意味ではないだろう。

 ふと風野宮の表情が頭に浮かぶ。俺は今日、罰ゲームで桃乃に告白するつもりだった。だが、俺は気を失い、現れた桃乃は見たこともない服を着ていて、あれよあれよという間に事態は想像もしない方向へ進んだ。必死に思考を巡らせるが、返す言葉が思い浮かばない。

 今の時刻は十五時か。ふと部屋の時計に目がいく。

 それもそのはず。

 壁掛け時計と思っていた時計は、壁掛けではなく宙に浮いていたからだ。


「駄目だ、気持ち悪い」


 俺は再び意識を失った。

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