第12話「レイニー・シーズン(終)」


「あ、あいつ……」


 静寂に包まれた観客席の中、はじめに口を開いたのは烈火であった。

 彼女は涙ぐみ、震える拳を握りしめ、隣の縦ロールに振り向く。


「おいっ!見ろよ!!さゆの奴やったんだ!!勝ったんだよ!!」


「……ええ。彼女は確かに勝利したわ。あの電光掲示板に狂いはない」


 縦ロールはどこか呆然とした様子で答える。彼女でさえも、さゆが瞬間的に発した”お嬢様パワー”には驚いたのである。


 さゆがティーポットを片手に立ち上がる瞬間、彼女の中にあるお嬢様パワーが不可解なほど膨れ上がり、西園寺らに仕組まれた睡眠剤などの血中に流れる毒を、まるで時速300kmで爆走する超巨大機関車が蟻塚を刎ねるがごとく蹴散らしたのだ。


 少し遅れて、ようやく状況を呑み込んだ観客たちが沸き立ち始める。


 なにせ、大盤狂わせだ!


「さゆって子が勝ったの!?のよね!?」「YABAN!!YABAN!!」「サイコーーー!!」「私てっきり西園寺さんの圧勝かと!!」「すごいですわ!!」


「ようし縦口!私たちもすぐに控室へ行ってあいつを迎えて……!」


「待って烈火さん。どうにもこの結果が面白く無い人たちがいるみたい」


 飛んでいこうとする烈火の肩をそっとおさえ、縦ロールは呟いた。


「何だって?」


 烈火は縦ロールの視線を追った。その先には『風紀監視室』がある。……



_____



 その頃。縦ロールの見立て通り、風紀監視室は最悪な雰囲気に包まれていた。

 

「ぎ、ぐぎぎぎぎぎ……!!!」


 壮絶なる表情で高級ハンカチを噛み、溢れんばかりの怒りを見せる綾間。


「東風さゆぅ〜〜!!!私のカンペキな計画をよくもぉ〜〜!!!!」


 綾間はハンカチを地面に叩きつけ、ガラス張りの見物窓へずんずんと大足で進んでいく。

 隣で待機していたさだめが得意の無表情のまま床に落ちたハンカチを進んで拾い、丁寧に内ポケットへしまった。


「さだめさん!!土下座ついでに関係者へプランCを実行するよう無線を送りなさい!!はやくして!!」


「プランCは最悪被験者の身体に悪影響を及ぼす危険性もありますが」


 土下座する素振りもなくさだめは言った。

 綾間は目を白黒させて捲し立てる。


「構いませんッ!!”正義”を執行するのですっ!!!うわああ委員長に怒られるーーッ!!!はーやーくー!!!!」


 はぁ、と分かりやすく溜め息を吐いて、さだめは渋々無線機をポケットから取り出した。


 綾間は壁に付けられたボタンをなにやら操作し、階下へ続く階段を出現させている。


「バトルフィールドへ?」さだめが言った。


「当たり前です!!ルールの追加を告げなければなりませんからね!!あなたも護衛で来てくれます!?」


「……いえ、私はここで引き続き監視と指揮を」


「さだめーっ!あなたはやっぱり反抗的ですねっ!いくら委員長のお気に入りだからって生意気ーッ!!」


「何を言います」


 監視室の壁に大きく書かれた【風紀】という漢字、控える無口な一般風紀委員達を背に、さだめは片膝を付いて綾間へ言った。


「私たちは風紀の執行人、正義に身を捧げる風紀委員……ひいては、全校風紀委員長『病魅昏(やみくら) こはる』様の忠実なる下僕です」



____



「そ、それでは採点結果に基づき、審判を行いま


 やや困惑気味の審判が、思い出したように自分の仕事を真っ当するべく口を開いた時だった。


   「ちょっっと待ったァーッ!!」

 

 甲高い叫び声が言葉を遮った!


「「「!?」」」


 その場にいる者の視線が声の主へと集中する!

 いつのまにか現れていた綾間は、採点結果を表示している電光掲示板を叩きつけ、「才科さん!」と叫ぶ。すると間を置かず表示板の文字がぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、「2 round」という文字が再び浮かび上がった。


「だれが一回勝負なんて言いましたーっ?”事前の打ち合わせ”通り、由緒正しい肉弾戦でラウンド2!を行いますよ〜っ!!!」


「わ、私めはそのような話は一度も……」


 審判が口を挟もうとした矢先、綾間は恐るべき速さでずいずいと顔を近づけると、周りに聞こえないように最大限の無意味な威圧を可愛らしい顔に出して囁く。


「砕盤次 タダシ さん……?これも風紀を守るためなのです。何も考えずに」


 しかしその強制力は絶大であった。


「!はい……」


 審判は愕然と肩を落とし、足の力が抜けて膝立ちになり、ぐっとうなだれて指示に従った。

 審査員たちは既に席を勝手に円状にして集団世間話をする姿勢に入っており、もはやこの場に綾間を止めるものは誰一人いなくなってしまった。


『えー!マイクテス!マイクテス!こちら実況席です!金城大蛇です!ただいま機材が復帰いたしましたので、実況をしようと思ったら決着が既に着いてました件についてお送りを……んん、ラウンド2?』


 バトルフィールドにあるスピーカーがノイズと共に喋り始める。実況席内では先ほどまでの混乱は既になく、生徒会長が一人マイクに向かっていた。


 その声で、さゆはハッと我に返った。


(((あれ?いきなり風紀委員の人が降りてきたと思ったら、ラウンド2?肉弾戦……?よく分からないけど、まだ勝ってない……?西園寺さんも困惑してるみたいだし、えーーっと……??)))


 さっきまでの堂々とした態度はどこへやら、さゆは次々と起こる出来事についていけず、目を回してその場で立ち尽くしている。


「じゃあ私は怖いのでこっちで見てますから!!がんばれ〜っ👍」


 散々やりたい放題の限りを尽くした綾間は急にそう言い残すと、戦いの影響が出ないバトルフィールドの隅へちょこまかと逃げるように移動し始めた。そして西園寺を横切る間際、


「西園寺さん、”アレ”の使用を許可します。私が委員長に怒られないように頑張ってください」


と、周りに聞こえない程度の小声で告げた。


「綾間……様。私は、彼女とは……もう」


 西園寺は震える唇を噛んだ。しかし、意見は許されない。


「期待していますよ」

 

 綾間の声は威厳に反して冷たかった。そしてるんるんとステップを踏んで行ってしまった。


「……」


 取り残された西園寺。彼女はお茶飲み対決で負けた事実をまだ呑み込めずにいた。

 万全の状態で、事前に細工をしてまで、公正な審判のもと、敗北を喫するなど……。


 許せない。そんなことはあってはならない。

 だが直接肉弾戦でさゆを叩きのめすことは、いかに夜な夜な嗜虐的欲求を彼女へぶつけている西園寺にとっても、いささか気が引けた。というよりも、今まで直接的に他人と拳を交えた経験など無いのだ。


 しかし……。


「……」


 西園寺は観客席の方へチラリと視線をとばす。風紀監視室ではなく、一般席に座る月露にだ。


「……」


 ざわめく群衆のなか、彼女はいた。いつもと変わらぬ冷たい目線をフィールドに落とし、冷静に状況を俯瞰している。


 今は腕に帯をしていないが、月露はクラスメイトであり、新一年の風紀委員でもある。


 思えば彼女が全ての発端だった。


_____


__



(((月露さんは……私の後ろめたい感情も、さゆさんへの狂気的な愛も全て知っていた)))


 ある時我慢できず、更衣室でさゆのロッカーを開けて中を漁っていた姿を撮られた私は、写真の削除を条件としてひとつの”計画”を持ちかけられた。その時だ。月露が「風紀」の腕章をしているのを初めて見たのは。


 新入生であるさゆを精神的に追い詰めることが風紀にとってどんな意味があるのか分からないが、写真の件もあり、その行為自体に得体の知れない背徳感があったこともあり、私は中心人物として加担したのである。


 それが、このような後退りできない状況を招くとは……。


__


____



「さゆさん」


 少しの逡巡の後、西園寺は覚悟を決めた。テーブルから立ち上がり、奥歯に取り付けた薬を密かに噛み砕きながら、さゆの前まで歩いていく。


「どうやらラウンド2のようです。いささか強引で申し訳ありませんが、お手合わせお願いします」


「物分かりが良いでっすね二人とも!さあさあラウンド2ですよ〜!!審判は私でーす!!」


 綾間は嬉しそうに飛び跳ねた。


『おおーっと!!もはや実況席ですら状況の把握が追いつきません!!学園長はもう起きないと判断して保健室へ搬送いたしましたので、とにかく実況解説はこの金城が務めさせていただきます!!』


 観客席では急なルール変更に不満を零す群衆もいたが、他ならぬ風紀副委員長が声を大にして宣言したルールである。

 それに、「ラウンド2なんて燃えますわ!」という思考に至る観客も多く、最早戦わざる追えない雰囲気になっていた。


「西園寺さん……」


 さゆは哀しげに呟いた。いつの間にか目の前の西園寺に対して、敵意よりも同情が勝っていることに気付く。

 するとそんな彼女の寂しげな声色に同調したのか、どんよりと曇っている空が冷たい涙をまばらに落としてきた。


 雨だ。


「さゆさん」


 西園寺は言う。


「ごめんなさいね」


 西園寺の諦めたような呟きと同時に、綺麗な黒髪とよく似た暗黒色の黒曜石が、鎧となって彼女を爪先から全身にかけて包み込んだ。

 

「えっ」


 さゆは驚いて後退り、一瞬にして変わり果てた西園寺の姿を見て呆気にとられた。

 なんと禍々しいのだろう。

 端麗かつ高貴な彼女の容姿は、まるでマグマを人体の上から雑にひっかけ、急激に冷やして固めたがごとし歪な造形の鎧に覆われた騎士へと変貌したのだ。

 

「どうして、変身を……?」


 そうだ。

 容姿もそうだが、何より驚くべきは”お嬢様”ランクであるはずの西園寺が変身した、という事実である。



『知りませんの?私たちお嬢様の中に存在している超然的なチカラ”お嬢様パワー”……これらを一定以上持っていると、戦闘用の衣装に変身できますのよ。ここが強者としてのラインですわね』



 縦ロールがそう言っていたように、戦闘衣装への変身は”強者としてのライン”。

 その難しさはさゆにも分かる。少なくともお嬢様ランクの人間にはどれだけ努力したって不可能なのだ。


 しかし西園寺は、変身してみせた。


「西園寺さん、どうやって……!?」


「私にも譲れぬ事情があるのです」


 西園寺が右手を伸ばすと、掌に馴染むように暗黒色のランスが現れた。彼女はそれを手に取り、地面を蹴る。


 さゆは攻撃に対応しようとしたが、既に一手遅れた後だった。


(((速い!?)))


 西園寺は既にランスを振るっていた。


『おおーっと!?!?西園寺選手が変身したかと思うと、すぐさま攻撃に!!さゆ選手はーーッ!?』


 湿りつつある土が思いっきり踏み抜かれて砂埃となって舞い、大気に充満しつつある細かい霧に混じって二人の姿を覆う。


 やがて煙が晴れ、彼女らの輪郭が次第にはっきりとしてきた。

 ランスはさゆの下腹部へ当たっていた。

 が、”それだけ”であった。


「……!」

 

 西園寺は小さく驚き、瞳孔を絞った。手応えから、さゆへダメージや衝撃が一切通っていないことが分かる。


「……あ、あぶな……」


 さゆは両手を前に出し、よろよろと後退りしようとしている。


 そして次の瞬間。


「ひゅっ?」


 彼女は自らの身体の違和感に大きく困惑し、顔を真っ赤に染めた。


「ッ!?」


 西園寺から吹っ飛ぶように離れて距離をとり、自分のスカートを上からはた、はた、と叩く。


 やはり、無い。


「〜〜〜〜ッ!!!」


 さゆは声にならない悲鳴を上げた。


『さゆ選手ッ!?西園寺選手の攻撃を受け止めましたが、何やら様子が変です!!どうしたので……え、なになに?さゆさんの能力?えっ!?”身につけた服を一枚犠牲にしてダメージを無効する能力”ッ!?』


 観客席にざわめきが走った。

 甲冑の奥で西園寺がピクリと反応する。


『それなんてエ○ゲッ!?ええと!ええと、ということはですよッ!!今のさゆさんのあの恥じらいはまさか……!?』


 実況席の大蛇は立ち上がって熱狂した。観客たちの視線が、スカートを抑えるさゆへと一斉に集中する。


(((う、うう……まさかそこから消えちゃうなんて〜〜っ!!)))


 大蛇の邪な予想は当たっていた。ダメージを無効化する際に消える服は無作為に選ばれ、さゆの意思とは無関係なのだ。

 実際、彼女は今スースーしていた。

 

(((で、でも戦わなきゃ!うう、でもでも、激しく動いたらスカートだから……その……)))


「ハァッ!!!」


 どこか熱気を帯びた西園寺は、飛びかかるようにさゆへ向かってランスを繰り出す。


「きゃっ」


 繰り出されたランスを、さゆは寸前で転がって回避した。西園寺は目の部分にある隙間から危険な視線と、明らかに荒くなっている吐息も隠さず、逃げる彼女をさらに追い立てる。


「あはは、あははははははは!!このまま!大衆の前で、私の手で、ふふ、ふふふ……!!!」


 西園寺は黒曜に包まれた手を満足気に握りしめ、己の中に満ちるお嬢様パワーと、目の前で羞恥を晒そうとしているさゆへ恍惚としていた。


「力が湧いてきますわ……!!アレのおかげでしょうか……ふふ、ああ、心地いい、これがお嬢様ッ!!」


 西園寺の薙ぎ払いがさゆの横腹を大きく打ち据え、数mも吹き飛ばした。ダメージはまたもや衣類を犠牲に無効化したが、今度は右の靴下が消える。


『あーーっ!分かっていません!!!靴下は先に脱がしたら……す、すさのっ!?お前いつから背後にッ!?や、辞めて!手刀は辞めて!ウワーッ!!!』


 不意に実況席からの声が止んだ。さゆは吹き飛ばされた先で土に塗れながら転がり、手で前をガードした体勢で仰向けになった。


「うう……」


 雨が強くなってきた。容赦なく降り注ぐ大きな雫に打たれながら、さゆはゆっくりと立ち上がる。


 強い。


 能力で攻撃を無効化して立ち上がれても、相手への有効打が無いのであれば意味は無い。


 勝てるビジョンが、浮かばなかった。


_____


 その頃、観客席。


「よっし、こっちも奥の手だな」

 

 烈火が言った。


「どうするつもり?」


 腕組みして縦ロールはきいた。横目で見れば、烈火は折りたたまれた紙を懐から取り出している所だった。


「無法には無法だろ?」


 烈火は何かを大きく振りかぶる。


 その手の先にあったのは”燃える紙飛行機”。

 

「受け取れ!さゆ!!」


 燃える紙飛行機は屋根のある観客席の範囲から悠々と飛び出し、降りしきる雨の応酬に見舞われた。

 だが燃える紙飛行機は逆に、背負う業火の勢いを更に強め、バトルフィールドにいるさゆへ一直線に向かった。


_____



「さゆさんッ!あなたは”お嬢様”になるべきじゃなかった!庶民のまま慎ましく暮らしていれば!こんなことになることも、私の前に現れることもなかった!私の心をかき乱すこともッ……!!」


 西園寺は距離を取ったさゆにランスを向けて荒々しく空を切り、震えた声で叫ぶ。

 それに対し、さゆはゆらゆらと覚束無い足取りで立ち上がった。そして、思いっきり言い返す。


「なりたいものになるべきじゃない人なんて、いないよッ!!」



 その時だった。


 ふと、西園寺の視線が、さゆの姿から少し上空へ移動した。何か……飛んでいる?


 それは燃える紙飛行機だった。


 紙飛行機はまっすぐと飛んでいき、背後からさゆの上着……あやから借りた制服へと吸い込まれるように触れる。

 その瞬間、まるでガソリンへ着火された火のように、さゆの身体全体に素早く燃え広がった。


「な、なんですの……!?」


 相対する西園寺からも、観客の目からも、さゆのお嬢様パワーがその上着を中心に爆発的な広がりを見せたのが分かった。


 さゆを取り囲む炎は勢いを強め、彼女の身体全体を包む炎の柱と化す。


 ぐん、と炎の柱は急に真上に伸び、雨雲の広がる空を突き抜けた。周囲の雲を吹き払い、局所的な快晴を強引に作り出す。


 それを合図に炎の柱が上から下まで一気に霧散し、中から現れたのは一人の生徒であった。


「……鳳凰……院……?」


 炎の翼を広げて空を舞う生徒を眩しそうに見上げ、西園寺はそう呟いた。

 しかしそれは違った。彼女は、まごうことなき東風さゆその人であったからだ。

 借りていたあやの上着が変形し、鳳凰院の変身形態と同じ翼を背中に生やしていた。炎を身体の周囲にちらつかせ、陽光を背に受け、思うがままに重力を無視している。

 

 神のようであった。

 

「さゆ……!?なぜ、それは、変身っ」


 くるくると降下して地面へふんわりと降り立った東風へ、西園寺は焦った様子で叫んだ。


 様々な思考が頭の中を走り回る。


 何故変身を?いや、あの燃える紙飛行機はそもそも一体?さゆの能力は衣類を身代わりにする力では?

 何か…‥何かまずい!


 焦燥した西園寺は黒光りするランスを握りしめ、嫌な予感を払拭するために地を蹴った。


「さゆッッ!!!」


 向かってくる西園寺に対して、さゆは無言で右手をかざす。広げた掌の中心から、炎が渦巻いた。


 勝負は一瞬で決した。


 さゆが放った炎は途中で鳳凰のような形となって黒曜石で覆われた西園寺の身体を包みこみ、鎧をドロドロに溶かしてしまった。

 炎が通り過ぎ、残った後にはボロボロの生徒が一人膝立ちで負けているだけであり、さゆはこれ以上敵意を向ける必要すら無かった。


 さゆは勝った。






「ぁ……ありえない!」


 離れて見ていた綾間が声を上げた。


「こんなことありえない!ありえないありえないッ〜〜!!!!こうなったらーーーッ!!!!」


 一時退却しようとする綾間の脚に、どこからか伸びた光の鎖が巻きつく。


「ぎゃっ」


 綾間は転びそうになり手を地面に付こうとするが、その両手さえも鎖によって絡め取られ、無力な芋虫のように全身を瞬く間に拘束された。


 鎖を引いているのは、紀律さだめである。


「さ、さだめっ!?何をしているのですっ!?私は私はっ」


「東風さん。彼女は薬を飲むことを強要されてお嬢様パワーを暴走させられていたのです。そして、すべての黒幕がこの人です」


「何言ってるの〜〜!?!?知らない知らない私何もしらな」


 その時、綾間の近くで不意に土を踏み締める音がしたので首を回すと、さゆが目の前にいた。


 彼女は怒っていた。


「あ」


 綾間の頬が綺麗に撃ち抜かれる。そして、静かにのびた。


 踵を返したさゆは、次に倒れている西園寺の方へ向かう。


「……」


 今の西園寺は、まるで雨に打たれ震える捨て猫のように惨めであった。決闘時と同じ制服姿ではあったものの、それは泥に塗れ、破れ、そして焦げ、とてもお嬢様が着ている服とは思えないほどボロボロになっている。

 彼女は横たわったままぴくりとも動かない。雨に混ざった嗚咽から泣いていることは分かるが、薬の副作用なのか、身体がうまくいうことを聞かないようだ。


「とどめを刺すなら……遠慮せずに。……私は許されないことを……したのです……」


 近付いてきたさゆへ、西園寺は自嘲混じりにそう呟いた。全てを諦めていた。


 さゆは拳を握りしめ、屈み込む。


 そして、震える西園寺を抱きしめた。


「……?……」


 身体の持ち上がる感覚に、西園寺は瞳を僅かに開ける。霞む視界。身体に打ち付ける雨の冷たさ。そして触れるさゆの体温だけが今、彼女の世界には存在していた。

 

「どう、して……?」


 声も絶え絶えに、西園寺は訊く。

 さゆは答えた。


「寒そう、だったから……」

 

____


 この決闘の話題は暫くの間、学園内で台風の目になるであろうと関係者の誰もが予想していたが、意外にもすぐ忘れ去られることになる。

 それもそのはず。風紀委員が裏で動いたことで、校内での噂の流布や新聞部らによる公表が積極的に行われなかったのだ。


 かくして、盛大な決闘を行った東風さゆと西園寺瑠美の両名は、予想よりも早く平穏な生活へと戻っていった。

 前とは、少し違う日常へ。


_____


「いただきます」


 お昼休みの食堂で、さゆはお弁当に手を合わせて言った。

 蓋を開け、箸を手に取る。


「ごきげんよう」


 そうしておかずのミートボールを摘もうとした所で、綺麗な声がさゆの手を止めた。

 顔を上げると、西園寺が豪華なお弁当箱を両手に乗せて立っている。


「あ、西園寺さん!ごきげんよう」


「ここ、いいかしら」


 西園寺はそう言ってさゆの対面に座った。


「珍しいんだね。いつも学食を使ってるのに、周りの人たちも今日はいないし……」


 さゆは辺りをくるくると見回す。

 決闘の日以降、西園寺は取り巻きと行動することが少なくなった。とは言っても彼女のカリスマ性に揺らぎが生じた……ということでは無く、本人の意向である。


「さゆさん」


 弁当箱の包みを解く前に、西園寺は真面目な顔をさゆへ向けた。


「ほえ?」


 丁度ミートボールを口に入れたところだったさゆは、もごもごと咀嚼しながら首を傾げる。

 

「本当にごめんなさい。私、あなたに最低な事をしましたわ」


「……んぐ。いいよ、もう気にしてないから」


 さゆはおかずを美味しく喉に通らせ、声のトーンを少し落として言った。

 正直言って、思い出したくない過去だった。


「謝りたいことがいろいろありますの」


「本当に大丈夫だよ。もう、そんなことしないって約束してくれたんだし」


「……ありがとうございます。でも借りたものは返さないと」


「へ?」


 戸惑っているさゆの前へ、西園寺は今までお弁当箱と思われていた豪華な箱を開ける。中には服が入っていた。


「……え、これって」


 さゆは思い出した。決闘の日より少し前から、自分のロッカーから度々替えの着替えが消失していたことを。


「まずお借りしていた制服と体操服と……ああ!ちゃんと洗ってありますので安心を……それとこっそり撮った写真も……」


「ええぇ……!?!?写真も……?」


 突然暴露された衝撃の事実に、さゆは混乱した。急に、自分を見る西園寺の目が怖くなってくる。


「ここではなんですので、また帰りの際に」


 にこりと微笑む西園寺。

 さゆは背筋を震わせた。


「う、うん……」


 さゆは複雑な気持ちながら、ぎこちない笑みでとりあえず応じることにするのだった。

 敵意を向けられていると思っていた決闘日前と比べれば、マシかもしれない……。

 

「ところで、何か聞こえません?」


「えっ?……そういえばなんか振動音?みたいなのが聞こえるかも」


 さゆが耳を澄ますと、確かに何かが一定の間隔で鳴り響いている。そしてその音は、だんだんと大きくなっていた。


「なんでしょうね。工事でしょうか?」


「さあ……」

 

 その振動音は、小高い音を交えてさらに迫ってくる。ここにきてようやくそれは足音であり、この食堂に向かっているのだとわかった。


 そして。


「早乙女あや復活ッッ!!」


 食堂の扉を盛大に開け放ち、きらきらの健康状態を誇示するかのように大きな声で入室したのは、誰であろう早乙女あやであった。


「あやちゃ……!」


 さゆは立ち上がり、なんと声をかけるか言葉を一瞬探す。しかしすぐにかぶりを振った。


 気の利いた言葉なんて、必要ない。


 嬉しさで目をうるうるとさせながら、さゆは言った。


「おかえり!」





レイニー・シーズン 終わり

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