第3話「独り身歴が長い人間のスマホ解錠パスはきっと自分への激励の言葉」
第三話「独り身歴が長い人間のスマホ解錠パスはきっと自分への激励の言葉」
「えーーーーーっと…………………」
東風さゆが身を挺して行った救出劇は、意外にも呆気なくその幕を閉じた。
後ろ手に縄で縛られ、足をぴったりと閉じ、サングラスの険しい視線を左から、早乙女あやのなんとも言えない視線を右から受けて、さゆは進退極まっていた。
颯爽と車内に侵入したまでは良かったのだが、この狭い空間で大の男が相手では、体育がちょっと得意なさゆも流石に無力である。結果、この誘拐グループの戦果を一つ増やしただけとなってしまった。己の身体という戦果を。
「次から次に面倒事が起きやがる……はぁ、はぁ」
サングラスは息を少し切らして、拘束したさゆを睨みつけながら、ようやく背もたれに深く背中をあずけて落ち着いた。この女はあやに比べれば遥かに御しやすかったものの、事前に想定していた以上の力仕事の連続ですっかり体力を消耗してしまった。
「すすすすみません……!!」
「何しにきましたの?」
「うぐっ!」
俯きながら落ち着かない様子でひたすら謝り続けるさゆへ、あやは右隣から言葉のナイフを容赦なく突き刺した。
「……あやちゃんごめんね……とにかく行かなきゃって事でいっぱいで」
さゆは申し訳なさそうにあやを見て言う。しかし実の所、一つ安堵もしていた。
(良かった、まだ何もされてないみたい)
それはせめてもの救いである。絶望的な状況に変わりはないものの、自らがここへ来たことによって、あやが本来受けるはずだった行為を少しはこちらへ引きつけることができるかもしれない。
東風さゆは『友情』というものに対して少し狂気的ともいえるほどの情熱を待った人間だ。だからこそ、さゆはたとえ身代わりになってでも、友人であるあやを守りたかったのである。
「私なら大丈夫ですのに……」
「ボス」
その時、運転作業に戻っていたニット帽が握ったハンドルから片手を離してさゆを指差し、目線だけは前方から逸らさないまま、隣に座る傷跡へと話しかけた。
「縛ったのはいいけどよ、この娘の方はどうするんだ?完全に計画外ですぜ」
「難しく考える必要はない。何もせずに手柄が二つに増えた、ありがたく受け取ろう。それに制服を見ろ、この早乙女財閥の娘ほどではないにしろ、きっと安くない額が家族には払える筈だ」
「流石ボス!強欲だぜ!」ニットは口笛を吹いた。
(えっ?私お金持ちって勘違いされてる!?)
ボスの言葉にさゆは非常に動揺した。彼女は確かにお嬢様学校のれっきとした生徒ではあるものの、金と権力にものを言わせた大多数と違い、優れた学力のみでその門をくぐり抜けた例外であったからだ。
極めて迅速に訂正が必要な事柄だとさゆは考え、怖かったが、頑張って声を出してそれを伝えようと口を開いた。
「あ、あのぉ。私の家ってその、全然裕福とかじゃな
「ボス、やっと引っ張り出せました。こいつの携帯です」
そんなさゆのか細い訴えを無慈悲に遮ったのはサングラスであった。あやのブラックボックスバッグから遂に目的物を探し当てたらしく、彼は達成感に満ちた表情でボスにピンクのスマートフォンを差し出した。
「わたちのかばんっ!?」
「よくやった」
傷跡はスマートフォンを受け取り、電源ボタンを押して起動させる。しかし数秒後、彼の眉間に小さな皺が一つ刻まれ、手が止まった。
「……ロックか」
傷跡はキーパッドが表示された画面をあやに見せた。
「暗証番号は」
「教えませんわ」
「じゃあ解錠パスは?」
「5!9!6!3!ごくろーっさんっ!」
「よし良い子だ」
「はっ言ってしまいましたわっ!?」
傷跡の狙いは当然、家族への脅迫電話である。彼は画面に耳を付けた。スマホから漏れる着信ベルが車内に流れ、緊張を伴う静寂が小さな空間を支配した。
数分が経った。
着信ベルが止む。しかし流れたのは肉声ではなく、「おかけになった番号は、電波の届かない所にあるか……」という合成音声であった。
「おかしいな。君のお父さんに電話が繋がらないようだが」
傷跡はスマホを耳から離しながらあやに問う。
あやは屹然とした態度で答えた。
「出ませんわよ。着信拒否されてますから」
「親父に着信拒否!?」
「な、なんてワルだ!」
先日父親と釣りに出かけた過去を持つサングラスは恐れ戦き、明後日に実家に帰る予定のニット帽はあまりの極悪非道ぷりに戦慄した。
「あやちゃん……」さゆは困惑していた。
「では仕方ない。君の家の者……なんだこの「沼地のドロドン」とか「翻弄されるカプチーノ戦士」とかって」
「メイドですわ。『人造人間最高ショートカット』はお母様ですのよ!」
「人格を疑うな……」
傷跡は呆れ混じりの溜息をつき、あやの母親らしき連絡先をタップしようと指を伸ばす。
「!」
だがその指が画面に触れるよりも先に、スマホ本体が突然激しく震え始めた。
着信があったようで、「♡お父様♡」という文字が画面いっぱいに表示されている。受話器アイコンをフリックする必要もなく、スマホは空中へ、声と立体映像を投射し始めた……。
『……おい。おいあや!!お前また冷蔵庫にあったプッチンプリンのプッチンするところ折っただろ!!ふざけるな!!』
電話越しに威厳ある声はがなり立てた。スマホから投影されるホログラメーションに移っていたのは、和服を着た白髪に角張った眼鏡の、厳しい顔つきをした壮年の男性。
これが早乙女あやの父親、「早乙女 剛海」である。
「あらお父様ご機嫌ようっ♡だって……気持ち良いじゃありませんの♡」
怒りを露わにしている剛海へ、あやはどこか恍惚とした表情で言葉を返した。女の子らしく膝をくっつけ、上目遣いをし、頬を少し紅潮させたその様子は、まるで恋する乙女のようである。
『若干鮮度が下がるんだよ!!しね!!!大体お前は……あれ?』
剛海はそんなあやへ指を差して怒鳴り続けていたが、やがて周りの状況がどこか変であることに気付く。
学校へ歩いて向かった筈の娘が車内にいること、そこへ知らない人間が何人も載っていること、剛海は冷や汗を額に浮かばせ、今の状況を冷静に分析した。
『……ぁあ!!うちのダメバカがまた人様に迷惑をっ!?!?申し訳ありません!!』
その結果、「娘が脅しをかけ、人様の車に乗り込んで学校への送り迎えを強制しているに違いない」という結論に達した彼は、すぐさま雄々しい土下座をもって傷跡たちに謝罪した。
「ダメバカなんて……お父様、朝からそんな♡♡♡♡」
『黙ってろお前は!!!』
「いや、あなたの娘さんは我々に誘拐されて」
突然謝られた傷跡は、やや困惑しつつも剛海の考えを訂正しようする。
『ゆ、ゆゆゆ、誘拐!?!?』
『誘拐』という言葉へ食い気味に反応した剛海は、刹那の沈黙の後、いかにも物好きの類を見るような目つきで車内の男たちを見渡した。
『……な、なんでよりによってこいつを……え、縛りプレイ??』
「なんだよその反応!!自分の子供が誘拐されてんだぞ!?」
サングラスはついに我慢ができなくなり、指を刺して剛海へツッコんだ。因みに彼は姪っ子を溺愛している。
『いやーそれはそうだが……普通狙う?こいつ……』
「お父さ
『あ!見たいドラマ始まるから切るわ!また後で!』
「「「……」」」
「お父さま……♡素敵……♡」
「どうします?」
「少し黙っていろ」
ニット帽は傷跡の声色を聞き、運転ハンドルを握る手を震えさせた。ここまでボスが怒っているところは見たことがない。目的のためには手段を選ばない冷徹な人間であることは知っているが、それが目的を失ってしまった今、何をするのだろうか?
そしてこの触れ難い鋭さを持った沈黙が打ち破られたのは、数分後に発されたあやの一言であった。
「さて、学園にはいつ着くのかしら」
さゆの思考が停止する。
「え」
その一言によって、車内の空気はさらに凍りついた。
あやは勘違いしていた。この車内の人間は全て家の者であり、遅刻しそうな自分を乗せ、目覚ましにすこし刺激的なサプライズを行なっているのだと。しかし、それは当然違う。
「そろそろ遅刻してしまうんではなくて?」
「あ、あやちゃん!さっき誘拐ってこの人たちも言ってたでしょ!?」
「?お父様と話すと素敵すぎて会話の内容を覚えていませんのよね」
「あやちゃん多分嫌われてるのそういうところだと思う!」
「おい」
冷たいナイフの切っ先が、意外にも東風さゆの眼前に向けられた。
「っ」
東風さゆは目を見開いて驚愕した。
持ち手を握っているのは憤怒の表情を顔に出している傷跡だ。
疑問が頭に浮かぶ。なぜ、私なのかと。
その答えは単純明白だった。
「早乙女あや」
「なんですの?」
「君の友達は残念ながら今日で退学だ。君のせいでな」
傷跡は判断した。今ここで早乙女あやにもっとも精神的苦痛を与える行為は、本人を直接傷つけることではなく、隣にいる罪のない友人に刃を突き立てることだと。
そこに理性の勘定など微塵も存在していなかった。あるのはただ、人に対する無慈悲な嗜虐心。
「……」あやは何も答えない。
「ボス、まさか本当に」
ようやくサングラスもボスのやろうとしていることを察し、思わず制止しようと声をあげた。
しかし当然ながら傷跡にそんな言葉は届かず、彼は”実行”した。
「死ね」
「――ッ」
目の前に突き出されたナイフが、一旦後ろへ引き、そして、手首が若干のスナップを効かせ、無慈悲な速度で迫る。
(((もう、だめなのかな))))
あやは目を閉じた。そして、両親や先程できたばかりの友人へ謝罪の言葉を思い浮かべる。
(((ごめんなさい、あやちゃん。私、やっぱり友達なんて作っちゃいけなかったんだ)))
恐怖のあまり喉からの言葉は出ず、代わりに膨れ上がる意識の中で交錯するさまざまな感情を押し退け、ただ謝り続けた。
(((ごめんなさい。お父さんお母さん、みんな、あやちゃん。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……)))
「嘘だろ」
サングラスは驚く。
(((……?)))
予想していた痛みに襲われないため、疑問に思ったさゆは恐る恐る目を開いた。
ナイフは、目の前僅か数センチのところで止まっていた。
傷跡の意思ではない。彼の手首を掴む細い指の意思であった。
「貴様」
傷跡はわなわなと震え、ナイフを握る腕にありったけの力を込めながら、制止者を睨みつける。
「その手、どうするおつもり?」
その制止者――早乙女あやは、片手一つで全身全霊の力を込める大男の腕を完全に止めて、いつもと違う鋭い瞳で傷跡を射抜いていた。
「あやちゃん……?」
一方さゆは、ぴくりとも動かない身体で恐怖も忘れて疑問を呟いていた。彼女の視界に映っているあやは、どこか雰囲気が違う。
……あやは言った。
「この子のお友達を傷付けるのは、困りますわ」
長い髪が無風の車内の中ではためき、逆光が彼女の表情の目元以外を隠す。
つづく。
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