第2話「ユカイ誘拐れいじょーかい!?」

第二話「ユカイ誘拐れいじょーかい!?」



 住宅街を静かに通り抜けていくハイエース車。その内部は今まさに犯行現場となっていた!


「むぐ、むぐぐーーっ!!」


「こら、暴れるな!!」


 猿轡をかまされながらも後部座席で大暴れの限りを尽くす令嬢。サングラスの男が抑えようとしているが抵抗する力がかなり強いらしく、かなり手こずっている。


「オイオイ、おめーの力は少女以下かよぉ」


 運転しているニット帽をした小柄の男は、助手席をたまに覗き込んでは苦戦するサングラスをからかっていた。


「うるせぇよ!こ、こいつ、なんて力だ!?」


「むぐぐ……!!」


 サングラスは冷や汗をかいた。腕を抑えられた姿勢のあやが、ぐぐぐと身体にありったけの力を込め、次第に拘束を解き始める。

 このままではまずい、とサングラスが遂に拳を握り込んだ。刹那!


「大人しくしてろ」


 低いバリトン声と共に助手席から令嬢の脳天へ、何か冷たいものが突きつけられた。


「……!」


 サングラスはあまりの剣呑さに喉を鳴らす。それは脅し用の偽物ではない、本物の拳銃であった。


「……」


 微かに残った理性がそうさせたのか、流石のあやも銃を見た途端にぴたりと暴れることを辞めてしまう。


「静かになったな。そうだ、それでいい。君は極めて安全だ。私の言葉に従っているうちは、だが」 


 右目にある大きな傷跡が特徴の、他の二人よりも一際恐ろしい雰囲気を醸し出している男は、黙り込んだあやの頭を優しく撫でて諭した。


「ひゅう」運転席のニット帽は口笛を吹いた。


「流石です。ボス」サングラスの男は尊敬の眼差しを向ける。


「無駄口を叩くな……計画は滞りなく進まなければならない。そうだ、猿轡を外してやれ」


 傷跡はそう指示をすると、銃を胸元へ戻した。

 サングラスは指示に従いながらも、猿轡の結び目にかける手はどこか躊躇い気味である。後部座席であやと格闘した張本人である彼は、未だにこの令嬢の底力を警戒せずにいられなかったのだ。


「いいんですか?こいつ、とんでもない声量で」


 もはや猛獣の類に対する扱いである。


「構わん。彼女には口を使う仕事が残っているからな」


_____


「あやさん……」


 その頃、東風さゆは一人取り残されていた。

 先程までさんさんと降り注いでいた陽光は、気まぐれな暗雲に隠れて影を地面に塗りたくっている。

 冬の肌寒さを微かに残した春風が、立ち尽くす彼女の全身を通り抜けた。先ほどまで心中に渦巻いていた焦りや喜び、期待と不安のような感情はとっくに吹き飛んでいて、今あるのは強い喪失感だけだ。


(助けたい……けど、私に何ができるんだろう)


 はじめにさゆの心に浮かんだのは、目の前で連れ去られた早乙女あやを助けること。しかし彼女はすぐにかぶりをふって、己が無力であるという現実と体面した。

 一応……この辺りの道は入り組んでいるから、車の通れるような道だけを使うにはどこへいくにも遠回りをしなくてはならない。近道を使えば、ハイエースが去っていった方向にある大通りまで先回りこそできるだろう。

 だが、そうして追いついたとして、その後は?


(それに、まだ誘拐って決まったわけじゃない。遅刻寸前だったし、マイペースな彼女に合わせての行動だったのかも)


 さゆはそう思い直し、再び駆け足になって、学園に向かう直線の道へ向き、地面を蹴った。


(でも、このまま登校して、もしもあやさんがいなかったら、私の学校生活はきっと……)


 そうして走り出したさゆはまず驚いた。何にというと、自分自身にだ。


(いや、そうじゃない)


 本人の意思とは真逆の方向へ彼女の足は走っていた。学園とは反対の、ハイエースが向かった大通りに!


(助けにいかなきゃ)


(友達を見捨てるような友達を)


(私は知らないから!!)


_____



「あなた達っ!!身の程を弁えていますのっ!?」


 手足は未だ縛られているものの、猿轡を外されて喋れるようになったあやは、軽蔑の眼差しを車中の人間に送りながら鋭い口調で言った。


「へへへ、口だけは達者じゃねえか」ニット帽は笑う。


 一度こうなってしまえば、財閥のお嬢様といえども型なしである。


「おい、そこにある嬢さんの鞄から携帯電話を出すんだ」ボスである傷跡が口を開いた。


「分かりました」


 サングラスはあやが持っていた茶革の学生鞄を手に取る。「触らないで下さいまし!」と激昂する令嬢に構わず、留めの金具を外して鞄を……開いた。


「に”ゃ”ぁ”」


 その瞬間!


「うわっ!?」


 口を開けた鞄の闇から金属ドリルで黒板を引っ掻き回すがごとく不快な鳴き声が聞こえたかと思うと、サングラスの視界は生暖かい体温と共に真っ暗になった!


「なな、なんだっっ!!?何か飛び出てきやがったっ!!」


 顔に何かが飛びついてきている!ひどく不愉快な感触に悶えながらサングラスはそれを力づくで引き剥がすと、目を開けてその正体を確かめた。ぼやけた焦点が次第に合ってくると、子供が戯れに書いた落書きのような姿の猫らしき生き物が、掴んだ手の先で暴れているのが分かった。


「は”に”ゃせ”!!」


「なんだこいつ!?」


「あ、あなた……!!」


 あやはその猫らしき生物を見た途端、くちびるを震わせて言葉を漏らす。彼女の声が聞こえたのか、対する猫も振り向いて視線を令嬢に移すと、同じように震えた。

 

「おじょお……」


「ねこ……」


 見つめ合う二匹。


「なんだよこいつお前のペットかよ!」


「おじょお!!」


 サングラスが手を離してやる必要も無く、猫はあやの元へ勢いよく跳んだ。そして……


「おじょおーーーっ!!!」


「うわキモっ」


 寸前でいきなり身を躱して避けたあやを通り過ぎ、いつの間にか開いていた窓から車外へ断末魔を上げながら退場していくのだった。


「え?」


 サングラスは困惑した。あやをチラリと見ると、これ以上無いというほどに無関心な瞳で遠ざかっていく猫を見送っている。やがて姿が見えなくなると、何事も無かったかのように再び軽蔑の視線を車内の人間に向け始めた。

 彼女は言った。


「……さぁ!私の身柄を早く解放しなさい!」


「いやさっきの猫は!?」


「?知りませんわあんな生き物」


 声を荒げるサングラスに、あやは肩をすくめて平然と言い放つ。


「お前知らない生き物鞄に入れてんのか!?」


「まぁ学校で必要になったら困るし」


「十中八九要らんわ!!」


 サングラスは少し察し始めていた。

 この女、何かおかしいのではないかと。


「おい」


 助手席から響く低音。後部座席の二人のやりとりを無表情で見ていた傷跡が、ついに痺れを切らして声を上げたのだ。


「冗談に付き合っているほど我々は暇ではない、そうだろう」


「す、すみませんボス。すぐに携帯を」


「だから触らないで下さいまし〜っ!」


「待て、まずはこの女に立場を知らせてやることが先だ」


 傷跡は威圧的に助手席から片身を乗り出すと、鞄を見られることに未だ抵抗しているあやを間近で睨みつける。

 そのあまりの恐ろしさに、隣にいるサングラスは縮み上がった。

 

「なんですの?」


 しかし、あやは怯まない。


「綺麗な顔だ。穴は開けたくない」


 傷跡は目線を逸らさないまま胸ポケットに右手を入れ、黒光りする拳銃を取り出す。あやの額に銃口を向けた。


「……!」


「玩具では無いと証明しておこうか」


 傷跡は撃鉄を起こす。引き金を引いた。

 その瞬間、数千の風船が一気に破裂するような轟音が車内に響き渡った。


「……」


「これでも震えないか」


 傷跡は感心したように声を漏らした。

 銃弾はあやの右側頭部すぐ隣、座席の背もたれに小さな焼け焦げた穴を作って埋まっていた。


「おわっ!?」


 銃声に驚いたニット帽の運転手はハンドル操作を誤って、車が反対車線へはみ出しかける。


「っ!」

「きゃっ!」


 後部座席の二人は揺れにつまづいて体勢を崩したが、傷跡は何事もなかったようにあやへ銃口を向け続けていた。


「さて、もう一度トリガーを引いてみよう。今度は君の……脚に向けて」


「ボス」


 サングラスは息を呑み、傷跡の残忍さに戦慄する。はったりや脅しなどではない、彼の目は本気だ。


「痛いぞ。歯を食いしばるといい」


 そう言いながら傷跡は、さっきそうしたように撃鉄をゆっくりと起こす。


「……」


 あやは未だ無言のまま。その時ハイエースはようやく住宅街を抜けた。車内の窓から見える景色はがらりと変わり、森のように乱立するビル群が広がる。

 だが今、令嬢の目に映っているのはぽっかりと空いた冷鉄な穴のみだ。

 傷跡はトリガーに指をかけた。


 ……その時!


「てやあああああっ!!!」


 絶叫と共に開いていた窓から、滑り込むように「脚」が侵入した!


「なっ!?」


 サングラスは驚いて目を剥き、傷跡は手に持っていた拳銃を飛来したローファーに弾かれる。

 狭い後部座席にどすんと大きな音を立てて、侵入者……東風さゆは、サングラスとあやに覆いかぶさるようにして着地したのだった。


「がふっ!……いてて」


 呻く二人を下敷きに、さゆは軽く頭を振って衝撃に混乱する頭のもやを取り払う。


「……あなたは……」


 ビルの谷間に隠れていた朝日が、車内を突き刺すように顔を覗かせる。

 令嬢のぼやけた視界には、後光の中手を差し伸べる友達の姿が映っていた。


「あやちゃん」


 薄く目を開けて自分を見つめているあやへ、さゆは言った。


「助けに来たよ!」

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