第二章 狂気の滲む傷痕

文字通り、手元が狂ってる




 廃屋の中に用意された松野の部屋がノックされた。

 冬休みの間、ずっと松野と前田はここに来ている。

 厚着しながら毛布にくるまり、机を挟んでチェス盤を睨んでいた。心なしか身体が震えている。石油ストーブはついているのだが、部屋を暖めるのには不十分だ。

 返事がない中、扉を開けるとモコモコしている2人を赤城は見つけた。

 1つ、おかしな点があるとしたら、松野の顔に×マークが書いてあって、前田の顔に〇が書いてある。まるで羽子板で負けた方が顔に書くもののようだ。しかし、松野と前田は真剣な顔をしてチェス盤に向かっている。

 隣にすずりと筆、墨汁が置いてあった。あんなもの、どこから持ってきたのだろうか。


「……聞きたいことがあるんじゃが、いいか?」


 松野はかなり険しい顔をしている。目だけ赤城に向ける。


「これが終わってからでもいいか?」


 チェスは松野が白。前田が黒。赤城には戦況は解らなかったが、白の駒が少ないのは見ればわかっていた。要するに、松野が不利だということだ。


「……いつ終わるんだ?」

「負けを認めたときに終わる」


 まるで魔王に立ち向かう勇者が言いそうなセリフを言った。

 赤城はその投げやりに発せられた言葉に妙に納得していた。確かにそうだ。しかし、松野は全くそのセリフが似合わない。


「ふふん、松野。勝てない戦は潔く負けを認める事も賢者の選択だよ」

「……そうかもな」


 と、言いつつも自分のナイトで前田のルークを取る。どうやらまだ諦めていないようだ。


「聞きたいことってなんだ?」


 自分が考える番を終えた松野が、盤面を注意しながらも赤城に言う。


「お嬢ちゃんらの今までの略歴が知りたい。無印は徹底的に回収されていたはずだ。どうして逃れられたのか知りたい」

「略歴? ……なに答えたらいいんだ?」

「今までの学校生活とか、あとは育ちとかじゃ」

「そんな漠然と言われてもな……」


 松野のビショップに狙いを定め、前田はわざとポーンを動かした。松野はその手を見破ったが、その先の手を考えるとどう動かしても悪手だ。眉間にしわが寄る。


「無印がいると解ったのは今から5年前じゃ。それから徹底的に国は動いた。健康診断とか、あとは予防接種とかあっただろう? あとは何かと検診があったり……」


 徹底的に無印の若者たちは、書きそびれた文字を書く作業を暗に行われていた。


「あぁ、あったな。でも俺は医者が心底嫌いだったから、健康診断は徹底的に拒否してた」

「なるほど……」


 赤城はそれを聞きながら紙面にボールペンを走らせる。医者嫌いなのは、おそらくあの森谷という医者の影響があるのだろう。森谷は小さい頃の松野を知っているようだった。


「俺はこの片田舎で生まれ育った。母子家庭だ。母は酷く神経質。俺は幼いときに救急外来に担ぎ込まれ、それから病棟に3か月の入院歴がある。その後、森谷の元で通院している。勝手に通院を怠ったことで森谷とは今顔を合わせづらい。あと……俺はあの獅子丸って看護師が苦手だ。以上」

「通院? あそこは外科だろう? あんな機敏に動けるのに、通院するような何かがあるのか?」

「森谷のところは外科と、他の科を兼任してるんだ」


 その後も赤城は問診を続けた。それとは別に探偵に依頼していた松野と前田の情報も同時に照らし合わせる。嘘を言っているわけではないというのを照合していた。

 その資料を見ると、やはり破天荒な幼少期が窺える。


「前田の方はどうやって回避していたんだ?」

「私は……学校自体休みがちだったから……検診とかも、松野が学校にいないときは私も学校にいづらくて……」


 2人の略歴を見ると、特に松野に関しては、真面目に学校生活を送っているようには見えなかった。前もって通知表を持ってきてもらっていたのでそれを見ながら赤城は話す。真面目に学校生活をしていなかった様子だが、成績は悪くない。偏りがあるが、社会と英語と体育以外、松野は中々の成績だ。体育に関しては『1』がついている。


「お嬢ちゃん、体育は嫌いなのか?」

「体育? あぁ、嫌いだ」


 体育は嫌いなくせに、やけに攻撃的な上、反射神経も悪くない。赤城は首をひねった。


「その割に、随分機敏に動くじゃないか」

「……周りに過敏なだけだ。俺は、無意味なことが嫌いだ。力でどうにもできないことは、道具を使えばいい。人類はそうやって発展してきた」


 協調性があまりないから、チームで行うような体育はおそらく向いていなかったのだろうと赤城は考え、納得した。


「俺からも聞きたいことがあるんだけど、いいか? チェック」


 チェスの近況は松野が一転して攻めている。いつの間にか次々と前田の駒が減っていっていることに赤城は気づいた。


「ぐぬぬ……」

「さち子、お前も諦めが肝心だぞ?」


 赤城はその無邪気な様子を見ていた。とても組の人間を一喝したりしていたようには見えない。黙っていれば普通の二十歳に見える。


「そもそも、どうしてそのペンを盗もうと思ったのさ? そんな命がけであんたみたいな人間が、人類の未来を悲観してやったとも考えづらい」


 赤城は紙面に書く手を止めて、松野を見た。松野は赤城を一瞥し、そしてすぐに盤面に視線を戻す。


「俺らはあんたのことよく知らないし、あんたの組のこと教えてくれよ」

「……そうだな……わしは2代目なんじゃ。元々は……わしは上木かみきという苗字じゃ。赤城組に入り、組長になったときに赤城に苗字を変えたんじゃ」

「へぇ」


 大して興味もなさそうに松野は真剣に盤面を見つめる。あと5手先まで前田が気づかなければ、確実にチェックメイトできる。しかしそれを悟られないようにしなければならない。


「わしは昔……国の、いわゆるペンに関わる裏の部分の政策に関わっていた。元国の人間じゃ」


 赤城は心底言いづらそうに告白する。


「えっ、そうなんですか?」


 前田は驚き、盤面から注意が逸れる。


 ――いいぞ、このままなら勝てる


 松野はそう確信した。


「そうじゃ。だから内部事情にもそれなりに正通している」

「なんで国を裏切ろうと思ったんだ?」

「それは…………」


 口を閉ざし、思い出したくない過去を思い出そうとすると下唇を噛み切れんばかりに噛みしめた。

 言いたくない。赤城は思い出したくなかった。のことを。


「別に、言いたくないなら言わなくてもいい。俺もさち子も言いたくないことの1つや2つある」


 酷い顔をしている赤城を見て、松野は適当に思い出させるのを遮った。赤城はそのように言う松野の言葉に、安堵する。


「に、してもなんで組なんだ? 知り合いだったのか?」

「そうじゃない。組の一部は国の裏と癒着して汚い仕事を請け負っていた。その代わりに見返りがあったんじゃ。金や、あとペンによる恩恵がな。わしと同じ思想を持っていた赤城組の初代赤城は、組全体でわしと共に国を裏切ったんじゃ」


 裏社会と組の癒着だなんて、良くある話だろうなと松野は考えていた。


「ペンによる恩恵ってなんだ? 奴隷でも与えられていたのか?」

「違う。自分の中で不要な感情や感覚を意図して捨てることで、自分をいいように変えることができる。古来、オリジナルのペンで書かれた文字を隠すために、その上から刺青をしていたんじゃ。その名残は今でもあるな」


 刺青をしているのはそういう経緯があったのか……と、松野と前田は考えていた。

 松野は、自分の善意をそうやって捨て、実際に悪事をなんの心の変動もなく行えるというのは、やはりある意味利点ではあるのだろうと考えた。


「あんたも何か、恩恵を受けていたのか?」

「いや……この刺青は、組を継ぐというときの覚悟と儀式で入れただけじゃ。あと他の組の連中も、国を裏切るときに文字を消しているから、今は無印じゃ」

「へぇ」


 その液剤の残りがあったら……と松野は考えていた。


「……まぁ、とどのつまり、あんたはこのペンによる悪い政治をもう終わらせようと、なんらかの動機があって思い立って、オリジナルのペンを持って国から逃げたんだろ。それで一緒に裏切った赤城組に入って、何らかの理由で世代交代して、今はあんたがその長をしている……と」


 前田の動かした駒は、松野にとって有利な、手に気づいていない駒の動かし方だった。

 よし、これは勝てる。

 松野はそう考えていた。


「でも、そのふざけたファンシーなペンを盗っても、何か解決になるようには思えないが……?」


 どうせコピーが出回っているのだろうし、量産品ならもうそのオリジナルのペンは必要ないだろう。松野も前田もそう考えていた。


「コピーはこのペンの構造をX線や光で読み取って作られていた。その過去のデータも設計図も全部破棄した。それに施設内も派手に壊してきたからな。時間稼ぎにはなるじゃろう」


 やることの派手さに松野は感心する。用意周到だ。とはいえ、最善の策でもなかったとは思う。


「時間稼ぎをしたわけか……でも最終的に何がしたいんだ? ペンを盗んで2年もあんたは何をしていた?」


 何気なく聞いた質問に対して、中々答えが返ってこなかった為、松野は赤城の方を向いた。

 なんと言って良いか分からないと言った様子で黙り込んでいる。言わない方が良かったか? と松野は一瞬思ったが、聞かないわけにもいかない。


「国の悪事を何とかして暴露したいんだが……どこも国の息がかかっている。もみ消されるついでにわしも殺されるのがオチだ。それに検察や警察はわしらのいう事と、国のいう事なら国を信じるじゃろ」


 確かに、具体的な暴露の仕方など、考えても考えても出てこない。誰が国と繋がっているとも解らない。下手なことをしたら丸め込まれてもみ消されるのがオチだ。

 しかし、慎重になりすぎても何も進んでいかない。慎重になりすぎる気持ちも解らないでもない。松野と前田もそれについてはいい案も浮かんでこなかった。


「にしても、今の科学技術でできないものなのか? あのふざけたペンを作ったのって、そんな天才的なやつだったのか」

「確かに……国の裏で抱えている優秀な研究者たちがこぞって研究していたが、どうにも上手くいかないらしい」


 松野は筋書き通りの駒の動きに満足げにしていた。しかし、その表情を悟られるわけにはいかない。赤城の話はそこそこにしか聞いていなかった。


「100年前に作られたって言ってたよな? その100年前にそれを作ったテンサイの名前はなんていうんだ? そのときの文書とか……手がかりとかないのか?」


 天才、それともか……赤城は思い出そうとした。確か本部で当時の写真が残っていた。見たことがある。

 松野がチェックをかけようとしたとき、赤城がその名前を思い出し、口にした。


「確か……小宮……なんとかと言ったな」


 赤城に視線を向けていて、盤面をよく見ていなかった松野は手元が狂った。そして本来置く場所ではないところへ置いてしまった。「やってしまった」と松野は思ったが、もう置いてしまったものは変更できない。前田も明らかに予想外の松野の手に驚く。


「松野、どうしたの? まさしく文字通り、手元が狂ってるよ」

「しくった……」


 松野は盤の上を目で追いながら、前田の手を待つまでもなく、負けを認めた。


「悪い、俺の負けだ。手元が狂って信じられない手を打っちまった」

「……やり直してもいいよ?」

「いや、二言はない」


 自分のキングをパタリと倒し、ゲームは松野の負けで終わった。



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