子供の脳下垂体と交換して若返ったんだ




「なんでこんなことに首を突っ込んでいるのか、教えてくれない? それにあの如何にも組の人間ですみたいな重症人は誰?」


 森谷は手袋とマスクと帽子、ゴム手袋を外しながら、松野に質問した。

 答えたくなかったが誤魔化し切れないと悟り、松野は事のあらましを森谷に説明すると、森谷は特に驚いた様子もなく、それを聞いていた。


「実は俺が使っているライター、煙草を吸う人間にしかつけられないんだぜ」


 森谷が突拍子もないことを松野に言うと、前田と平坂は「そんなわけねぇだろ」という顔をして森谷を見た。

 しかし松野は「そうなの!? なんで!?」と、真面目に驚く。

 森谷は先ほどまで持っていたライターをヒラヒラと松野の前に見せる。松野は興味深々にそのライターを見つめて目を輝かせた。

 前田と平坂は唖然とした顔をして森谷を見つめていた。


「貸して! やってみたい!」


 無邪気に、且つ強引に奪い取ったライターをつけようとするが、松野は親指に力を込めても一向にライターは押されない。半ばまでは行くのだが、どうしても『カチッ』という音がしない。


「ほんとだ! すげー!! どうなってるんだ森谷!」


 感心したようにライターを見つめる松野を、全員が見つめていた。森谷は笑いながら更に言葉を続ける。


「このライターには体内に蓄積されたタールとニコチンを検出し、認識したら押せるようになっている最先端技術のライターなんだ」

「すげー技術の無駄遣いだな!」


 信じ切っている松野を面白がって笑っている。森谷は悪魔のような顔をしていた。

 次はどんなことを言ってやろうかとニヤニヤしている。


「あと俺は、脳の脳下垂体を子供の脳下垂体と交換して若返ったんだ。本当はよわい100を超える爺さんなんだぜ?」

「森谷、最先端すぎるって! 俺もやりたい! それやらせて!」


 大はしゃぎする松野を見て、森谷は腹を抱えて指をさして笑いだした。笑い転げるという表現はこういう時に使うのだろう。前田も平坂も呆れた表情をして黙っている。

 その中で松野だけは何がおこっているのか解らない様子だった。


「何だよ……森谷、なんか面白いことでもあったのか……?」


 怪訝な顔をしている松野を、絶望的な顔をして見ている前田と平坂。


「あはははははははは………はぁ……はぁ…………あーあ。羽、さっき言ったことは全部嘘だ」


 あっさりネタばらしをすると、松野は不思議そうな顔が、般若のように厳しい表情になる。


「はぁ!? おい森谷! 俺で遊ぶな!!」


 また涼しい顔に戻って煙草を吸う森谷。観察対象を観察する目で怒っている松野を見つめる。

 松野はやはり森谷が嫌いだった。


「ふーん。厄介なことになったね。本当に猜疑心がなくなっちゃったんだ。羽みたいな疑心暗鬼人間にとって少しはいいかもしれないけど、大変だろうな。面白いけど」


 吐き出された煙は上へ登っていく。それを松野は怒りながら右手で払った。


「これのこと知ってるのか? 森谷」


 自分の腕の「さいぎしん」を包帯の上から指さしながら松野は言う。


「知ってるよ。医師免許持ってる人間の中でも、特定の人間しか知らない国家機密だけど」


 そこで「さすが森谷」と思ってしまった松野は悔しい気持ちに包まれる。


「なんで知ってるの?」

「俺がエスパーだからだ」


 また人を小バカにしたような口調で松野に言う。


「エスパーなんかいるわけないだろ。医者のくせに非現実的だな」


 意外な言葉に面食らったのか、森谷はますます興味深いといったような顔をして松野を見つめた。


「ふーん。疑う余地もないことはそもそも『疑う』よりも『間違い』だと認識されるのか。これは実験のし甲斐があるな」


 ポキポキと指を鳴らして、森谷は吸い終わった煙草を灰皿に押し付ける。


「ふざけてないで、どうして知ってるのか教えてくれよ」


 その質問に対して面白くもなさそうに、森谷は松野の目を見て話し始めた。


「子供が生まれたら、一週間以内に戸籍謄本とかを持って、各県立病院に診察に行かされるだろ? あの時、各県の県立病院の院長がそれぞれの資料を見て、国が管理しているデータベースと照合しながら、どういう人間になるべきなのか決めて、文字を書くことになっているんだ。家系でその人間の運命はほぼ決められているようなもので、悪い家系からは悪い人間しか育たないようになっている」


 あまりにも酷い話に、松野と前田は顔をしかめる。しかし、松野の質問に答えていない。それをもう一度松野は問う。


「だから、それをなんで森谷が知っているんだ? 一介の外科医じゃないのか?」

「俺はそのときの県立病院の院長と仲が良かったからな。色々裏事情を酔った勢いで話す駄目な奴だった」


 医者と医者との間でのことであっただろうが、あまりにそれは杜撰(ずさん)だと、そこにいる誰もが思っただろう。

 森谷がこれを知っているという経緯はなんとなく理解できたが、松野はそんなことよりも文字が消えてほしい一心だった。


「これ、外科手術で皮膚ごと落としたらこれは消えないのか?」

「……それはできる」

「なんだ、できるのか!? じゃあ、すぐにここの皮膚全部剥がしてくれ」


 思っていたよりも簡単な解決方法で、松野は安堵する。


「おすすめできないね。一度書かれたものを強引に物理的に消すと、精神が壊れる恐れがある」

「え、なんで?」


 一瞬期待した分、落胆が隠せない。森谷は自分の唇を自分の指でなぞりながら説明を始める。


「前に全身火傷、ないし怪我やらでその文字が欠損したり、全部剥がれた人を見たことがあるけど、どの人間も精神科病棟に入れられてたよ。全身火傷の人間は、ただ単に火傷が原因で壊れた可能性もあるけど」

「…………」


 松野はそれを聞いて、少し考えるように手を口に当てて考えだした。


「学説は多々あるが、なんでそうなるのか解らないんだ。そのペンを開発した人間も、確か100年前だからもう死んでる。明らかにならないまま、でも効果は確かに存在している」


 カチカチと、時計の秒針の音が院内の静寂を刻んでいく。松野が考えている間、その音だけが空気を振動させる。


「それ、オリジナルのペンで書かれたものだろ? 今は複製品のペンで透明なインクで書かれているから見えないようになっているが」


 涼し気な顔で、前髪をかき上げながら流し目で松野を見る。しかし、松野はそんなこと全く見ていなかった。


「森谷も書いてあるのか?」

「ある。額に『野心』って書いてあるらしい。専用のグラスをかけて自分を鏡で見たことがある。あと背中にいくつか書いてあるらしい。生憎見えないんだが」

「確かに、野心家ではないけど……」


 見えないだけで、額に文字が書いているのを想像するとやはり滑稽だ。


「国はとにかく、従順な人間がほしいんだ。でも必要悪もあるから、そのバランスでうまく日本経済は回ってる」


 大人の事情は痛いほど松野は解っていた。


「………………そんなの、酷すぎる……」


 松野が暗い顔をすると、森谷は真面目な顔をしてその表情を見つめた。


「……ちょっと羽と2人で話したいから、お2人さんは出て行ってくれないか?」


 と、前田と平坂を外に追い出した。

 松野と森谷が2人きり。獅子丸は赤城と奥の部屋にずっといる為、会話は聞こえないだろう。

 さっきまでのふざけた雰囲気を払拭し、森谷は真剣な顔をして松野を見つめた。



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