ブラックジョークのレベルが高い




 2人を連れて、隠れ家についたときに心配していた『家族』に紹介するべく赤城はドアを開けた。

 本当は、廃墟などは立ち入り禁止と記されていない建物であっても、監督不在の建物の中に無断で立ち入ったり、潜んだりすると軽犯罪法に抵触するのだが。と、松野はぼんやりと考えた。

 だが「さぁ、これから国に立てつきましょう」と考えている人間に軽犯罪法も何もないものだと松野は考える。


 ホテルの一階エントランスには柄の悪い男たちが30人程度いた。

 前田は完全に松野の服の袖を掴んで怯えていた。松野は涼しい顔をして眺めている。


「お前らよく聞け。こいつらはわしの命の恩人じゃ。そして、一緒に戦う仲間になった。丁重に扱うように。おら、自己紹介せえ」


 急に自己紹介と言われておろおろとしている前田を見て、松野は自分から自己紹介を始めた。


「松野羽織。山で倒れていたこの人の処置をして、イノシシを撃ち殺して助け、肩を貸して車まで運び、運転してここまで連れてきた。えー……」


 言葉に詰まった。


 ――自己紹介って、何を言ったらいいんだろう。趣味とかかな


 などと考える。

 しかし、もっと重大なことを言わなければならないと思い立つ。


「あのふざけたペンで右腕に、こう書かれた」


 松野は右腕を上に掲げた。『さいぎしん』と書かれている腕だ。男たちはざわめく。赤城は何の説明もまだしていないからだ。


「せめて漢字で書いてほしかったが、そういう問題じゃない。俺は大学2年生、これから就職活動もあるし、何より疑う心がないままこの先の生活はできない。だから、これを消す液剤を国からぶんどって、これを消したい。協力してくれ」


 松野は頭を下げた。赤城は驚く。あれだけ横暴、傍若無人の限りを働いていた松野が頭を下げるなんてことがあるのかと。

 松野は頭を上げるともう一言付け加えた。


「先に言っておくが、俺は女だ。こっちのやつも女だ。こいつは俺の友達の前田さち子。高校からの友達だ。同じ大学に通っている」


 前田は松野がそう言い終わった後に「よろしく……お願いします」と小さな声でお辞儀をする。


「お前ら、この松野とかいう女には気ぃつけろ。どえらい狂暴な女じゃ」


 赤城が笑いながらそう言うと、松野は横目で赤城を一瞬睨む。

 松野の視線は赤城の言葉に笑う男たちの目を、一人一人追っていた。見えるだけの男たち全員に松野は目を配った。

 この行動は、上下関係を印象付ける。

 犬などは自分よりも上の者と知覚していると目を逸らす傾向にあるのだそうだ。本能的に目を逸らしたら負けだということを松野は解っていた。アラクレ者の中、自分を弱い立場だと思われる訳にはいかない。

 松野が一人ひとり目を見ていくと、目を逸らさない人間は数人しかいなかった。その男たちの顔をなんとなく覚え、松野は前田に帰ることを促す。


「一先ず、俺らは帰る。連絡先を教えてくれ」


 携帯電話を取り出し、松野は画面を見る。時間は午後4時に近い。本当は鉄塔を見に行く予定だったが、これでは無理だ。早々に下山し、家に帰ることにした。


「あぁ、わしの番号は……」


 言われた番号を入力し、かけると赤城の携帯電話が鳴った。それを確認すると、携帯をしまい、一礼すると出口に向かう。


「おい、送ってやれ」

「はい!」


 1人、若そうな男が走り出る。前田は松野の陰になるように歩くが、松野はその男を見た。

 茶髪でピアスを沢山あけている爽やかな男だ。悪く言うならば軽薄という言葉が浮かぶ。


「送りますよ! どこですか」

「ありがとうございます。最寄りの駅までお願いしてもよろしいですか」


 松野の丁寧な物言いに、赤城はまたしても顔をしかめる。

 自分よりも明らかに下の男にあんな風に接する意味が解らなかった。わしに対してはあれだけ乱暴な口をきくのに、と赤城は複雑な気持ちになる。


「任せてください! 俺、平坂ひらさか勇太ゆうたって言います!」

「よろしくお願いします」


 廃墟を出て車へ向かう。車の台数は少なく、停めてある車両は違法改造バイクと高級車がほとんどだった。どんな仕事をしたらこんなにお金が潤沢にあるのだろうと松野は考える。暴力団だし、覚醒剤とか詐欺などだろうか。


「詳しい話は解らないスけど、赤城さんを助けてくれてありがとうッス!」


 平坂は車のキーを押して車を開けた。高級車が並ぶ中、平坂が開けたのは古そうな車で、その車にはステッカーがベタベタと貼られていて、本人の幼稚さを松野は感じる。更に車の中には明らかにセンスの悪い置物がたくさん置いてあった。

 前田は「この車、乗りたくないなぁ」と考えていた。しかし歩いて下山するのはかなりの時間がかかる為、甘んじてそれを受ける。


「いえ、大したことはしていません。よろしくお願いします」


 後部座席の方に座ろうと開けると、中は散らかっていた。そしてキツイ芳香剤の香りがする。思わず2人は顔を歪ませるが、それを悟らせないように乗り込む。


「大学生なんスよね? 若いなぁ! 俺今年でも27ッスよ。いいなぁ。っていうか、羽織ちゃん、女の子ッスよね? 『俺』って言ってたッスけど。可愛い名前と顔してるんスから、もう少し――――」

「おい」


 平坂の言葉を遮って松野が声をかける。

 前田はものすごい勢いで目を背けていた。松野の先ほどまでの敬語は、平坂が気安く下の名前を呼んだところで、すでに移動する車から数十メートル後方に置き去りになっていた。


「気安く下の名前を呼ぶな。あと、俺にくだらねぇ指図するんじゃねぇ」


 体躯、年齢、力、どれをとっても平坂は松野に勝てるはずであるにも関わらず、平坂はそのドスのきいた声に気圧されて震えた。怯えた様子で


「はいっ……! すんませんでした!」


 と反射的に謝罪をしてしまう。

 これで完全な上下関係が出来上がったのはお分かりになったと思う。平坂は松野にもう抵抗することは出来ないだろう。


「松野、落ち着いて」


 流石に仲裁に前田が入るが、平坂は完全に委縮している。


「俺は落ち着いている。落ち着いてないように見えるのか?」

「…………確かに、松野が乱心だったら今頃平坂さんにヘッドロックかけている頃だろうから、落ち着いているような気がする」


 それを聞いて平坂は尚更緊張する。

 こいつはヤバイ。そう直観で感じさせる。そんな人間と友達になれている前田という女も、おそらく只者ではないと平坂は考えた。


「おい、人様を狂戦士バーサーカーみたいに言うな。人聞きが悪い。法律を守って今まで生活してきているだろうが」

「松野は睨んだだけで相手が石化するから有罪」

「お前をデッサンの石膏像にしてやろうか?」


 前田と松野の会話が恐ろしく、平坂は口を挟む術もなかった。冗談だということは解るが、ブラックジョークのレベルが高い。

 平坂だけが気まずい思いをしながら、駅に到着する。


「おい、あんた」


 松野に話しかけられ、平坂はビクリと身体を震わせる。


「さっきは悪かったけど、あんたも決めつけられたら腹立つだろ。組の人間なんてろくな人間じゃない。赤城だってあんな様だった。その下の人間なんてもっと大したことない。ってな」


 涼し気に松野が言うと、平坂は声を荒げた。


「兄貴はすげえ人なんだ! 俺は確かに大したことないかもしれねぇけど、兄貴はすげえんだ!!」


 必死の目でそう訴える平坂を一瞥いちべつし、車のドアを少し開けた。平坂の方を振り返って真っすぐ見つめ返した。

 目を逸らさない。真っすぐ松野の目を見てくる。信念をまとった目だ。


「そういうことだ。軽々しく人を型に嵌めて考えるな。俺もあんたらを悪い人間だと型にはめて考えない」


 松野と前田は車から降り、前田は平坂にお辞儀をして去って行った。

 平坂は呆然と暫くその後姿を見ていた。

 訳の分からなさに、完全に絶句するしかなかったが、しかしどこか憎めない。そんな化物クリーチャーだと思った。



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