まるで龍と虎の戦い




 そこは山の中の辺鄙へんぴな場所にあるホテルの廃屋だ。

 物々しい香りと、煙草の香り、そして酒の匂いが入り混じっている。


「戻ったぞ」


 入った瞬間に、非常に柄が悪く、誰かしら身体のどこかにタトゥーを入れている男たちが、一斉に赤城と松野と前田を見た。


「兄貴!」


 全員が起立し、一礼をする。その男気溢れるその様子に、「おぉ」と松野は感心し、前田は怖がって松野の後ろに隠れた。


「その血は……!」

「かすり傷じゃ。このお嬢ちゃんたちに助けてもらったんじゃ。奥で話をするから、静かにしていろ。解ったな」

「「「うっす!」」」


 全員が元気よく返事をすると、松野たちを舐めるように見定める。あれは誰なんだという好奇心の目だ。その視線に気づいていたが、松野はそれを一瞥すらせずに赤城の背中を見つめていた。

 奥に入っていくほどに薄暗さが増していく。電気はかろうじて通っているようだ。廃墟であることを忘れるほど、内装はまだ綺麗なままだった。

 一階一番奥に、応接室のような大きい部屋が設置されていた。赤城はそこに入り、電気をつける。中には大きい赤いソファーとテーブル、真っ先に目が行くのは数多くの酒瓶だ。

 赤城がラジオのスイッチをONにすると、そこからニュースが流れ出す。


 ――現在、我が国では深刻な少子化の問題があり、政府は……――


 ラジオのナレーションは淡々と大規模な問題を温度のない声で話している。

 赤城は少し辛そうにソファーにゆっくりと腰かけ、腹部を押さえた。松野たちも向かいのソファーに座る。

 松野は座るなり脚と腕を組み、足を投げ出す。前田は品行方正に姿勢を正して座った。

 赤城は対照的な2人を見て、少し呆れる。


「お前ら、恋人同士か?」


 赤城が冗談交じりにそう言うと、どうでもよさそうに2人は答えた。


「そうそう、らぶらぶラヴィーなラヴァーなんだよ」

「そうなんですよ、新婚なんです」


 2人は顔を見合わせて、笑い出した。「気持ちわりぃわ、マジで」と言いながら松野はヘラヘラと笑っていた。前田も口に手を当てて上品に笑う。

 赤城はそのノリについていけない。本当に恋人かと信じかけたそのときに松野から否定が入った。


「恋人な訳ねぇだろ。女同士だし、普通の友達」


 赤城には最近の若者の冗談のセンスが理解できなかった。ただ、一見してみれば松野は男にも見えなくもないし、美男美女のカップルに見えなくもない。


「くだらねぇ話はいいから、核心に迫る話をしてくれ」


 組んだ足を戻し、背もたれから前のめりに身体を乗り出し、自分の膝に肘をかけ指を組んだ。

 どこからどう見ても偉そうだ。

 赤城は痛みでそんなことも気にする余裕もなく、赤城は放し始めた。


「あぁ……何から話し始めるか…………」


 赤城は天井を仰いだ。上には上品な照明がついているのが目に入った。


「……日本で生まれてきた人間は、必ずあのペンで失うものを書かれているんじゃ」


 赤城は具合があまりよくなさそうだったが、松野たちに説明を続けた。


「必ず? でも、俺らは書かれていないんだろ?」


 松野は文字を見る専用のふざけた眼鏡をかけ、赤城を見つめた。赤城には何も書かれていないようで、何も見えない。

 しかし、ふざけた眼鏡をかけながら見たところ、ここにくる道中、すれ違う登山の人たちには必ず何かしらの文字が書かれていた。服の下にあったとしても、特殊なインクを検知して見ることができるようで、身体のどの部位に何が書いてあるかはっきりと見えた。

 信じられない気持ちで松野も前田もいっぱいだったが、認めざるを得ない。


「20年前に国立病院に勤めていた医師が怠慢だった。それが発覚し、国の裏の人間が『無印事件』と呼んでいるものだ」


 20年前と言えば、丁度松野と前田が生まれた頃だ。


「あんたはなんで書いてないんだ?」


 ふざけた眼鏡をかけて赤城を見ても、赤城には何の文字も見えない。


「……わしは、昔その国の裏で働いていた…………わしが国からペンを盗って逃走したんじゃ。職務質問を受けた後、それが原因で国の雇った殺し屋に見つかり、殺されかけたってわけよ」

「よく逃げ切れたな?」


 大して興味もなさそうに、松野は自分の爪をカリカリといじりながら相槌を打つ。


「……なんとか逃げ切ったんじゃが……途中で動けなくなっちまった」


 そこを運悪く、松野と前田が発見してしまったという訳のようだ。


 ――銀のプロビデンス事件の被害者たちが追悼の儀を今年も行うことが解りました。場所は東京渋谷区の……――――


 ラジオの話が乾いた空気を振動させる。


「国は、首相も天皇も国の裏の人間に秘密裡にコントロールされているんじゃ。立役者を作る為に、わざと犯罪者を作り、それがビジネスになっている。自分の手を汚すことなく、国を動かし、人を動かし、もてあそんでいる……」

「典型的な陰謀論に聞こえるけど……マジっぽいな」


 前田にとってはとてもすぐには信じられない話だったが、疑う心を失った松野はそれをすぐに信じていた。

 前田にとってはそれが信じられないことだ。あんなに疑い深い松野が、こんなに素直に人の話を信じるなんて。


「でも、日本各地で子供が1日に何人も生まれるし、必ず文字を書くにはペン1本じゃ足りないだろ。それに、他の人は文字見えないじゃん。これ、そのうち消えるのか?」


 松野の右腕はしっかりと『さいぎしん』と黒い文字が書かれている。


「基本的にペンのコピーを使っているんじゃ。このふざけたペンはオリジナルのNo.ゼロ。コピーのペンのインクは透明なものを使っている。明らかに文字が書かれていたらどう考えても不自然じゃからな」


 オリジナルのペンで書かれている松野は、せめて透明なペンだったら良かったのに、などと考えながら自分の右腕を見つめた。

 達筆とはいえ、平仮名で『さいぎしん』と書かれているのは、ダサい。

 まるで、言葉の意味を解っていない外国人が、日本語の訳の分からないタトゥーを入れてしまうようなものと同レベルに見える。


「なるほどな……」


 ――国の問題は少子化だけではなく、国の財政難も大きな問題として……――


 無機質なラジオの声が流れながらも、3人は会話を続ける。松野はラジオの音が気になって話に身が入り切らない。

 灰皿には何十本もの煙草が立てられている。これはもう、煙草のサボテンだ。


「で、俺が知りたいのはその特殊な液剤の入手方法なわけだけど、あんた、目星ついてんのか?」


 松野が一番気にしていることを、率直に問う。このままでは日常生活で無理が生じるに決まっている。なんでも「そうなんですか」と信じていたら、身がもたない。

 国の陰謀よりも、まず自分のことが心配だ。


「オリジナルのペン用の液剤は国の中核。国の管理している実験施設内じゃ。国の中核に殴り込みの喧嘩せんといかん」


 口で簡単に言うが、それが困難であることであることは2人は理解していた。

 松野は明らかにがっかりしたような顔をして、うなだれた。

 どうするべきか、しばしの間考える。

 国とは強大だ。法は絶対的で、犯すことは許されない。


 ――次のニュースです。3年前の銀のプロビデンス事件の被告人の裁判が今日、東京地方裁判所で開かれます。教祖の竹原梅夫被告の裁判に注目が高まっています……――――


 ――暴力団の検挙率が上がっています。暴力団と国の摩擦が激しさを増し、各地で逮捕者を出しております。逮捕された組員の裁判は順次行われており、裁判所に組の人間が集まるという事態も……――――


 ――高崎駅無差別殺人のあった場所には、今も追悼の献花がされております。今でも高崎駅では当時の3倍の警備員を……――――あれは酷い事件でしたね。犯人の少年が少女を誘拐した上、駅で無差別殺人を……――二度とそのような事件が起こらないよう徹底した……――


 ニュースキャスター同士がそう話し始める。

 松野はあまりに話に集中できないので、ラジオを止めた。


「うわ、おい。これなんでこんなに汚ぇんだよ。手が汚れただろうが」


 自分の人差し指の腹を向けてくる松野に、赤城は何と答えていいか解らない。


「それは……汚れじゃねぇ。若返りの液剤だ」


 赤城は適当な嘘をついてみる。


「まじかよ!? なんでこんなとこについてんだよ。……っていうか臭いよこれ。品質改良の余地しかねぇぜ」


 松野は信じ切っているようだ。前田は分かっていた。

 それはただの煙草のヤニだ。


「松野、それ……煙草のヤニじゃない?」


 前田がそれを言うと、松野はハッと我に返ったように指をソファーの端に擦り付けてヤニをとろうとした。相当に手が汚れるのが嫌いらしい。


「こんなんだぞ!? 疑う心をなくしたまま生活なんかできるか。あっという間に食い物にされるわ。絶対にそれを手に入れる」


 松野は厳しい目を赤城に向ける。


「あんた、最悪な言葉を……しかも平仮名で、更にいうならこんな目立つところに書いてくれやがったな」


 嫌味を言うと赤城は悪びれない様子で煙草の煙を吐き出した。にらみ合いとなる。


「お前が信じねぇっつーから、お前の望み通り腕に書いてやったんじゃろうが。自業自得じゃ」


 今にもまた掴み合いの喧嘩が始まりそうだ。

 まるで龍と虎の戦いのようだと前田は思った。



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