普通の大学生ですけど
――あぁ、まただ……
と松野は感じる。
また、こうして何の得にもならない行為をしてしまう。
解っていた。これは、
流石に大の男を担いで急斜面を登るのは、体力のない松野には相当キツイものがあったが、それでもなんとか前田のところまで登った。
男が黒い重そうな箱を
「通報するなって言うからしなくていい。ただ……処置はする」
「大丈夫なの?」
「さぁな」
息を切らしている男の服を手際よく脱がし、腹部と肩の傷の状態を確認した。
傷にも勿論目を奪われるが、その肌に松野と前田は目を奪われた。
一面に腕同様の見事な和彫りがされていた。龍と鯉と桜吹雪。典型的なその筋の人間にしか見えない。
それよりも目を引いたのは、ズボンのところに銃が装着されていたことだ。松野は銃を見なかったことにして一先ず処置を開始する。明らかに警察の人間ではない。銃刀法違反だ。
傷がそれほど深くないことを確認すると、松野は持っていた水で患部の泥を洗い流し、タオルで傷口を圧迫する。「うぅっ……」と男は痛みに顔を歪ませる。
「あんた、追われているのか? 俺らが後ろから殴られたり、撃たれたりしないだろうな?」
淡々と処置を進め、松野は包帯を取り出し、男の創部をきつめに巻く。
「俺……? 女なのか男なのか、どっちなんじゃ……」
質問に答えずに、男は悪態をついて話を逸らそうとした。ついでに痛みからも気持ちを逸らそうとする。
「どっちでもいいだろ。現代社会においては性別の区分なんてものは、性交渉のときくらいしか役に立たない」
「可愛げのない……それに、そんな心配するくらいなら……最初から助けるんじゃねぇよ……」
「いいから答えろよ、危険を犯してまで助ける気はねぇってことだ」
「へっ……ハッキリしてていいじゃねぇか……どうだろうな? まいたとは思うが……」
男はゆっくりと身体を起こした。痛みで顔が引きつり、冷や汗が出ている。失血量もそれほど多くはないとはいえ、このまま放置していいものかどうか松野は考えていた。前田は戸惑いながら松野を見つめる。
処置が終わると、松野はつけていたビニール手袋を外した。そして血液のついているそれを、その辺に捨てる。
「お前……医者か看護師か?」
「違う」
「包帯にビニール手袋……手慣れた処置…………医療従事者だろう?」
「別にそうじゃない。手が汚れるのは嫌だからビニール手袋を持ち歩いているだけだし、包帯は自分が怪我をしたとき用に持ち歩いていただけだ」
松野は軽度の潔癖症、お及び若干の強迫性障害を患っていた。
松野にとっては血液がウィルスを媒介する汚い物であるという認識は、医学系の本を読んだときについた固定観念でもある。
「包帯はきつく巻いたから、数十分したら一度緩めて、まだ出血しているようだったらまたきつくまいてほしい」
この見るからに怪しい男を見逃すかどうか、2人は迷っていた。
銃の所持を認めてしまったところを、見なかったふりをして、もし警察に言及されることがあったら言い逃れできるだろうかと松野は考えていた。
考え事を遮るように、ガサガサガサ……と、松野と前田の後ろから、物音が聞こえた。
3人に緊張が走る。
イノシシは3人を見つけると警戒する姿勢を取った。「マズイ」3人は咄嗟にそう思っただろう。
そのとき3人が一瞬でとった行動は以下の通りだ。
男は動けない。イノシシの突進を受ければ打撲、あるいは骨折をするだろうと考えた。
前田は硬直する。最近のニュースでイノシシに指を噛みちぎられたというニュースを思い出していた。
松野は男のポケットから銃を取り出し、安全装置を外し、銃口をイノシシに向けた。
3人とイノシシとの距離は数メートル。
イノシシは時速40キロメートルで走るらしい。助走の時間を考えても突進してくる時間は恐らく2秒に収まる程度。裕に1メートルを超えようというイノシシに、突進などされたら大怪我をするのは必至。
松野は狙いを定めると、イノシシが走り出した直後と同時に引き金を引いた。
ドォン!!
という大きな音が山に響き渡り、鳥が一斉に木々から飛び立った。
銃弾はイノシシの頭部に見事命中。頭蓋骨を貫き脳を破壊し、そのまま内臓を侵食。イノシシに致命傷を与える。
しかし、すぐには絶命しない。
松野は慈悲の一発を更に撃ち込んだ。イノシシの鼻の辺りに命中し、銃弾が再度脳を侵す。これで確実に即死するだろう。
松野はすぐさま銃の安全装置をつけなおした。
「…………」
イノシシが倒れて数秒後、誰も何も発しない。
絶命したイノシシを見つめて考え事をしていた松野は前田の顔を見て、数回瞬きをした。
「イノシシって……どうしたらいいの? 食べられる?」
「えーと……いや……ちょっと解らないかな……」
男は松野を凝視していた。
――信じられない。色々な面で信じられない
自分から銃を
銃は、そんなに漫画やアニメのように簡単に当たるものではない。数ミリ銃口がずれただけで、とんでもなく銃弾の方向は逸れてしまう。
それを的確に狙い、撃ち、まして撃つ時に肘を軽く曲げ、安定するように膝をついて両手で撃った。
明らかに銃の扱いに慣れている。「一体、何者なんだ」と男は思う。
それに、さち子と呼ばれた女も、その様子にすぐに順応してもう落ち着いている。
普通、こういうときは「きゃぁあああ!」とか、悲鳴をあげて腰を抜かすのが女ってものじゃないか。
この場で一番混乱しているのはこの男だった。
「これ、ここに放置したら銃殺されたってバレるよな? あと、銃に俺の指紋ついてるから拭いておかないと……」
松野は前田に確認しながら、ハンカチで銃から指紋をふき取り始める。松野は考えていた。もう、ここまでしてしまったからには見て見ぬふりをするわけにはいかないと。
「……正直、関わりたくないけど……イノシシを銃殺しちゃったから……あんたも俺も同罪だぜ。このイノシシをなんとかする方法を一緒に考えてくれ」
親指で軽くイノシシをさしながら、松野は男に話しかける。
「お前……何者なんだ……?」
松野は無表情な顔をして男の顔を見つめる。数秒の間をおいてから、答える。
「何者って……普通の大学生ですけど……」
「嘘をつくな! 国の差し金か!?」
男は大声を出すと腹部の傷が痛んで、それ以上、
松野は面倒くさそうに男を見つめる。包帯を巻いたところから再度出血を確認し、やはりきちんとした処置が必要だと再確認する。
「国の差し金? 何言ってるのさ……?」
心底呆れた顔をしている松野を見て、男は
「イノシシをとりあえず落とすってのは?」
前田がそう提案すると、松野は独り言なのか返答なのか解らない口調で話し始めた。
「落としてもなぁ……銃痕が消えるわけじゃないし……さっさと白骨してくれればいいんだけど……
そもそもイノシシを動かすには相当な力が必要なはずだ。
松野は最善の策を思いついていた。それは、おとなしく通報するという方法だ。それなら、この男は捕まるだろうが自分たちには被害は被らない。
「なぁ、なんで通報されたくないんだ?」
男に問うと、男は口を閉ざした。明らかに話すつもりがない態度。
「答えないなら通報するよ。俺らまでえらい目に
松野が自分の携帯電話を取り出し、通報するそぶりを見せると男は焦りだす。
「おいてめえ! わしを脅そうってのか!?」
腹部の痛みをこらえ、松野と前田に怒号を飛ばす。前田は驚いて身体をビクつかせ、松野の後ろに隠れるようにした。
しかし、松野は冷ややかな眼差して男を見つめる。
「あぁ? くたばり損ないが何言ってやがる」
男はその態度に面食らった。
今まで自分が恫喝した人間、特に女子供はこれで完全に怯え、言うことを必ず聞くようになったのに。
大体はそういうプログラムがされているはずなのに。
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