第23話「夏の帰り道」

 道着から普段着に着替える。


 その後、先生に見送られ、俺と紗良は屋敷に帰る事になった。


「……」「……」


 道中、無言の俺達兄妹。両者に会話はなく、互いに付かず離れずの微妙な距離を保っている。


 ……いや、ちょっと待て! わざわざ一緒に帰る必要なかっただろ!


 先生が俺達を一緒に見送った所為で、その流れのまま同時に帰路に就く事になってしまった。


 くっそ気不味いわあ!


「……負けましたわ」


 俺がそわそわとしていると、紗良はふとそんな事を口にする。独り言のようにも聞こえるが、俺に向かって話し掛けているのだろう。


「腕、落ちていませんのね」


「それは格上の者が口にする言葉であって、お前の台詞じゃないだろ」


 俺がそんな事を言うと、紗良はむっとした表情でこちらを見る。


「格上? ならば、もう一度、ここでどちらが強いか試しますか? 本気の取っ組み合いで」


「俺を殺す気かよ、じゃじゃ馬が」


 俺は平静を装いつつ、紗良に軽口を叩く。内心、ビビっていたが。


 獣気術がいかに実戦重視の武術とは言え、本番においてその技量が完全に実を結ぶとは限らない。無論、人間の力で獣人を制圧した実績を持つ武術ではあるのだが、敵わなかった例も多いのだ。


 俺はそれなりの獣気術の熟練者だ。だが、例えば、今この距離で紗良に本気で殴り掛かられたら、俺はその拳を避ける事は出来ないだろう。そして、例えば、その殴打を頭部に受ければ死亡する事だってある。


 獣気術に限らず、武術とは得てしてそのようなものなのだが。


「じゃじゃ馬? もしや、今、私の事をじゃじゃ馬と仰いましたの?」


「じゃじゃ馬だろうが。帰省した翌日に下宿人の女の子と取っ組み合いの喧嘩なんぞしてからに」


「……う」


 紗良は何も言い返せず、そっぽを向く。


「……つーかよお……お前ら、何であんな喧嘩をした翌日に仲良くなってる訳? ふざけやがって」


「あら」


 俺が拗ねたように言うと、紗良は含みのある表情を見せる。


「その様子だと、私とドゥーシャさんが仲睦まじくしている事が面白くないようですわね」


「……ちっ」


 今度は俺が舌打ちをして、そっぽを向く。


「しかも……”ドゥーシャさん”ってお前……誰の許可を得てドゥーシャの事を愛称で呼んでんだよ」


「誰って、本人がそう呼んで欲しいと仰ったのですが?」


 さらっと答える紗良。


 くそっ! ああ言えばこう言いやがって!


「俺の許可を取れ!」


「何でですの!?」


「俺がドゥーシャのお兄様だからだ!」


「訳が分かりませんわ!」


 そうしてしばらく睨み合いをする俺と紗良。最終的にどちらからともなく視線を外す。


「……はあ……全く……それにしても、暑いですわね。喉が渇きましたわ」


 日に日に激しさを増す夏の日差しにげんなりとする紗良。ふと、立ち止まり、公園の自販機を指差した。


「ジュース、買いますわ」


 そう紗良は口にする。


 お、これは紗良と別れるチャンスか。


「じゃあな。行ってらっしゃい」


 そう言って、俺は紗良と別れて一人家へと帰ろうとするのだが____


「貴方、女性を待つ事も出来ませんの?」


「は?」


「良いから、行きますわよ」


 紗良と別れる事が出来る良いタイミングだと思ったのだが、どうやら彼女は俺を解放してくれないらしい。


 紗良に率いられ、俺は公園の中に足を踏み入れた。


 紗良は自販機にスマートフォンをかざすと、ボタンを押して缶ジュースを購入する。


 彼女が購入した缶ジュースは2本。その内の1本を俺に投げ寄越した。


「奢りですわ」


「うわっ」


 突然投げ付けんな馬鹿! びっくりするだろうが。


 危なかったが、俺はどうにか缶ジュースを受け止める事に成功していた。ラベルを見ると、モノは俺が夏に愛飲するサイダーのようだった。


「お兄様、それ好きでしたわよね」


「ああ」


「子供舌ですわね」


「はあ? お前、サイダーは文豪も愛した命の水だぞ」


 そう言って、俺は口を尖らせながら、缶ジュースを開ける。すると、中から液体が思い切り噴き出した。


「うわっ」


 思わず顔を背け、上体を逸らす。しかし、液体は頬と上着を濡らしていた。


「……くっそお……おい、お前が投げ寄越したからだろうが」


 俺は紗良に目くじらを立てるが____


「……ふふっ」


 そんな俺を見て、紗良は笑っていた。


 その楽し気な、子供のように無邪気な笑みに、俺は思わず黙り込んでしまう。


 ……可愛い。


「どうかされましたか、お兄様? 突然、黙り込んで」


「あ、いや……別に」


 もしや、見惚れていたのだろうか。


 紗良のあんな顔、久しぶりに見たから。


「……くそっ」


 思わず悪態を吐いてしまう。


 紗良に対して可愛いなどと思ってしまった自分が悔しかった。


「ねえ、お兄様」


「なんだよ」


「折角ですので……ベンチで休憩していきませんか」


 そう言って、紗良は木陰の中にある公園のベンチを指差した。

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