第10話「ドゥーシャの事」

 亡命____ドゥーシャはそう口にした。


 ……ここで話を切り上げるべきだろうか?


 過去を詮索するような真似は止めて。


 それとも____


「ドゥーシャ……良かったら、お前の事、色々と教えてくれないか。俺、お前の事何も知らないなって思って。ああ、でも……話したくなかったら、無理に話さなくても____」


「いえ」


 ドゥーシャは俺の寝間着を後ろから引っ張っていた。まるで俺を呼び止めるように。


「聞いて欲しいです。聞いて下さい」


「……話してくれるのか?」


 俺が尋ねると、背後でドゥーシャが頷く気配がした。


「私はソビエトのとある家系に生まれました。元は貴族の家系で、そのせいもあって、西ロシアのスパイなんじゃないかって疑われることもありました。それで、私が物心つく前に、両親は万一の事を考えて施設に私を預けたそうです」


 ドゥーシャは寂しそうに語っている。


「すごく寂しい思いもしましたけど、時々両親が私の元に来てくれて……少しだけどお話もしてくれて……うれしかったなあ。……全然会えなくても、お父様もお母様も私を愛してくれている。嬉しかったなあ……嬉しかったなぁ……」


 嬉しそうに語るドゥーシャだが、聞いているこっちからすると切な過ぎで胸が締め付けられる。


「……でも……内戦と粛清で全てが……無茶苦茶に……なりました……」


「……ドゥーシャ? 大丈夫か?」


 背後でドゥーシャは震えていた。


「辛いならもう話さなくていいぞ」


「いいえ……聞いて欲しいです、お兄様」


 涙声になりながらも、ドゥーシャは続ける。


「スパイ疑惑で家族はみんな……処刑されました。それだけじゃなくて、治安悪化によって、各地で略奪や人攫いが横行して……私もその被害に遭ったんです」


「……人攫いに遭ったのか」


「はい……大陸東部で幅を利かせる人身売買組織の麒鳳チーフェン集団に捕まって……私は南の方へと連れ去られました。でも、運良く逃げ出す事が出来て、だけど行く当てもなくて……そんな時にお父様の言葉を思い出しました。困ったら、日本の米澤家を頼れって。古くからの親交があるそうで」


「それで、日本まで来たのか。……大変だったろ」


「はい、ダルニー市から歩いて移動して……空腹で倒れそうになりながら、最終的に対馬海峡を泳いで日ソの国境を越えました」


 いや、待て。


「え? 対馬海峡を泳いで国境を越えたのか? お前、その時幾つだ?」


「3年前なので9歳ですね」


「9歳!?」


 まさか、9歳で対馬海峡を泳ぎ切ったのか。


 早熟の獣人だとしても、相当優れた運動能力だ。


 不可能ではないが……信じがたい行為と言える。”獣師”のサポートどころか、ろくに食料もなく、疲労も溜まって健康状態が最悪だった筈なのに。


「日本に到着して……それからも大変でした。私は日本語も英語も出来ないので、話が全く通じませんでした。どうにかロシア語の通訳を得たんですけど……私の使うロシア語はちょっと特殊だったらしくて、通訳に一苦労でした」


 ドゥーシャは一息ついて、今度はやや明るい口調で話し始める。


「でも、米澤家に来てからは、すごく良くして貰って。日本語もそうだし、それ以外の勉強も家庭教師を付けて貰えて……今のお父様には本当に感謝しています」


「……そっか、良かったな」


 波乱万丈の人生だ。最終的に安全な生活を手に入れられたと言うなら、万々歳だろう。


 それはそうと。


「お前、もしかして2、3年でそこまで日本語喋れるようになったのか」


「はい……そうですけど」


「いや、凄いな」


 外国人特有の訛りが全くないのが驚きだ。しかも、そこそこに難しい言葉も使いこなせている。


 俺が褒めると、照れ隠しの様にドゥーシャは俺の背中を両手で擦り始める。


「い、いえ、そんな事全然ないです。漢字とか全然分からないし。文章だって、絵本ですら読むの疲れちゃうし」


「いやいや、すげえよ。だって、無茶苦茶ぺらぺらじゃん。それをたった数年でってのはすげえよ」


「も、もおー……褒め上手なんだから!」


「いやいや」


 恐らく、聴覚認知機能に優れているのだろう。獣人に時々いるタイプだ。


 と言うか、対馬海峡を泳ぎ切る能力と言い、実はかなり優れた能力を持つ獣人なのではないだろうか。


 もし、九輪祭を目指したら……もしかしたらがあるのかも知れない。

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