第8話「ドゥーシャへの謝罪」

 三つ子の魂百までとは言うが、俺は自分の成長しなさを呪った。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!! やらかしたああああああああああああああああああああああああ!!」


 ドゥーシャと別れた後、俺は自室のベッドの上で悶絶していた。


「ガキの頃と何も変わっていない! まるで成長していないぞ俺!」


 俺が全て悪い。


 当然、ドゥーシャは何も悪くない。


 俺が紗良に抱いていたコンプレックスやトラウマを彼女にぶつけただけだ。


「ごめんよお、ドゥーシャ! ごめんよお!!」


 可哀想な事をした。


 下宿先の住人に訳も分からず怒鳴られるなど、恐怖以外の何ものでもない。


 ただでさえ色々と訳ありな事情を抱えていそうなのに……俺は何てことを。


「どうすっかなあ」


 謝るのは確定事項として……いつ謝るかだ。


 すぐに謝りに行っても、怖がるだろうし……何か、俺が情緒不安定な人っぽく映りそうで、それはそれで彼女は不気味がるかも知れない。


 ほどほどに気持ちが落ち着いた頃に、頭を下げに行こう。


「いや、馬鹿なんだからよお、何も考えずに謝りにいくのが最善だぜ、俺よお」


 結局のところ、俺には勇気がない。それだけなんだろう。


 俺はその日、使用人に夕食を自室に運んで貰って一人で食べた。夕食の席にはドゥーシャがいる筈なので、俺は彼女を避けるためにそうしたのだ。


 でも……。


「いや……これはアカン奴や」


 謝るのは明日にしよう。その考えが頭を過った時、俺は危機を感じた。


 恐らく、今謝らなければずるずると謝罪が先伸ばしになると思う。


 だから、今謝りに行こう。


「……よし! いくぞいくぞいくぞ!」


 俺は自室で謎のジャンプを繰り返した後、勢いのままにドゥーシャの私室へと向かった。


 勢い。そう、勢いだ。勢いが大切なんだ!


「……し、しつれーしまーす」


 だかその勢いも、ドゥーシャの私室の前で失速した。俺は忍び込むように部屋へと入る。


 すると____


「んんっ! はあっ! はむっ! ごめんなさいごめんなさい! はむはむっ! んぅ! ごめんなさい! ごめんなさい! んんぅ!! おいしいよお! おいしいよお!」


 俺は目の前の光景に絶句した。


 どう説明したら良いのか。そして、何故彼女がそんな事をしているのか。全く分からない。


 だから、ただ、目の前の事実をそのまま伝える事にする。


 ドゥーシャはベッドの上で布団に抱き着きながら、狂ったようにそれを噛んでいた。しかも何やら謝罪の言葉を述べながら。


 その行為に何の意味があるのかは分からない。


 ただ、何と言うか……凄くいけないものを見た気分になってしまう。


 どうしよう。


 彼女はその行為に夢中になっていて、こちらの存在に気が付いていない。


 今なら、何も見なかった事にして引き返す事ができるが。


「はむっ! ごめんなさいお兄様! はむっはむっ!! んぅ! ごめんなさい、お兄様! お兄様! お兄様! お兄____」


「あ」


 ドゥーシャがこちらに気が付いたようだ。彼女と視線が合ってしまう。


「うひゃあ!!」「うわあっ!!」


 そして、俺達は同時に叫び声を上げた。


「こ、こ、これは……これは……違うの……違うんです!」


「……お、おう……何が違うのか説明しなさい……」


「こ、これは……そ、そ……その……」


 ドゥーシャは真っ赤になり、それから、涙目になる。


「……う……うぅ……うわぁ……うわああ!!」


 そして、泣いてしまった。


「うわああ……ごめんなさい……きらいにならないでえ……わたしのこと……きらいにならないでえ゛!」


「お、落ち着いて……嫌いにならないから……落ち着いて!」


 俺はそろりそろりとドゥーシャに近付く。そしてその頬に手を添えて上げた。すると、ドゥーシャは一旦は泣き止んで、しゃっくりを上げ始める。


「ごめんな。俺、ドゥーシャに辛い思いばっかりさせて。こんな筈じゃないのに」


「……ううん……違うよ……そんな事ないよ……武嵐君にはいっぱい……いっぱい、うれしいを貰ってるから」


 しばらくすると、ドゥーシャは落ち着きを取り戻した。


 しゃっくりも止まり、今はゆっくりとした呼吸を繰り返している。


 恐らく、ここがベストのタイミングだろう。


「さっきはごめん、ドゥーシャ。怖かったよな、訳も分からず怒られて」


 俺は頭を下げてドゥーシャに謝る。そんな俺を見て、彼女は慌てた様子で口を開く。


「そ、そんな! き、きっと私が何かいけない事を口にしたんですよね? だから、お兄様は怒って____」


「いや、ドゥーシャは何も悪くないよ。悪いのは俺だ。ごめん、ドゥーシャ」


 平謝りする俺にドゥーシャは首を横に振る。


「……いえ、悪いのは私です。お兄様は何も悪くありません。だって、何の理由も無しにお兄様が怒る筈ありませんから」


「本当に気にしなくて良いから」


「……では、何故……怒ったのですか、武嵐君? 私……理由が知りたいです。武嵐君の怒りの訳を」


 真っ直ぐな瞳で俺を見つめるドゥーシャ。


 と言うか、さっきから俺への呼び方が”武嵐君”だったり”お兄様”だったりで頭がバグりそうなのだが。


 さて、それはそうと……どう答えるべきか。俺は迷った挙句____


「……んー……アレだ、男の子の日ってやつだ」


「え? あ……そう、なのですか……?」


 ドゥーシャは困惑の表情を見せたが、次第にうんうんと頷き始める。


「な、成る程……男性にもそう言う日があるのですね。すみません、デリカシーがなくて」


 何か納得されてしまった。


 本気で勘違いしそうなので後で訂正する事にしよう。


 俺は咳払いをして、今一度ドゥーシャに向き合う。


「俺と仲直りしてくれるか、ドゥーシャ」


 そう言って右手を差し出すと、ドゥーシャは遠慮がちに握手を交わしてくれた。手の平に彼女の温もりを感じる。


「えへへ……仲直り、ですね」


「ああ、仲直りだ」


 そう言って笑い合う俺達。仲直り、完了だ。


「……はあ……良かったあ……ドゥーシャと仲直り出来たぜ」


 さて、取り敢えずは一件落着だ。


 万事スマートにはいかなかったが、ちゃんと謝罪する事が出来て、ドゥーシャとも仲直りだ。


 安堵して、俺はベッドに腰掛けて脱力する。


 すると、右手に何やらぬめりのようなものを感じた。


「ん」


 自身の右手を見てみる。どうやら俺は涎塗れになっているドゥーシャの布団を掴んでいるようだった。


 俺は手の平にべっとりと付いた涎を凝視する。


 ふと、ドゥーシャと目が合った。


 俺がドゥーシャの顔と彼女の涎で濡れた俺の手の平を交互に見つめていると____彼女は顔を真っ赤にして、また涙目になり始めた。


 やばい……これ……何か言うべきだろうか?


 でも、何をどう言えば良い?


「……うぅ……うわあ……!」


「……ド、ドゥーシャ?」


「……うわぁ……ああ……もう、お嫁にいけないよお゛!!」


「お、落ち着こうか、ドゥーシャ!」


 そうしてまた泣き出したドゥーシャを俺はなだめるのだった。

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