第3話「最悪の別れ」
俺が“獣師”になれないからと言って、紗良と完全に縁が切れる訳でもないし、妹との関係はぼちぼちと続いた。
小学校を卒業する頃には、色々な事に対する心の整理も付いていて、彼女と別々の道を歩む事にもこれと言った無念を感じる事も無くなっていた。
と言うか、俺と紗良は仲が良すぎたのだと思う。聞く所によると、世間一般の兄妹と言うのはもっとずっと素っ気ない感じなんだとか。
将来を誓い合うなんて夫婦みたいな事もしないだろうし、いつまでも恋人みたいにベタベタとしないものだ。
だから、丁度良かったのだと考えよう。俺達は健全な関係になれたのだと。
紗良は獣人と”獣師”のための最高の設備が整った全寮制の学校に進み、俺は地元の私立学校に入学する予定だ。
ここからの人生、俺達は完全にバラバラだ。
まあ、ここ1年近くは以前のように一緒に居る事も無くなっていたし、紗良の俺に対する態度も冷めてきていた。悲しい事に、やや見下したような言動を取られる事もあって……正直な話をすると、既にバラバラな俺達なのである。
とは言っても、明確な別れと言うのは寂しいものだ。
「……お兄様、明日には実家を離れますので」
「ん? ああ、知ってるよ。頑張ってきな」
別れの前日、ダイニングルームで紅茶を飲んでいた俺に紗良はわざわざ別れを告げに来てくれた。
紗良は俺の前に座ると、「ねえ」と尋ねる。
「お兄様は今後どうするおつもりで?」
「どうするって、普通に進学していく訳だけど」
「そう言う事では無くて。将来の夢と言うか、目標と言いますか」
何だろう。少しだけイラついているのだろうか。若干口調が強めだ。
「別に、特にそう言うのは無いな。と言うか、それが普通なんじゃないのか。
獣人の名門である武嵐家に生まれたのであれば、ほとんどの場合は獣人が運動能力を競う世界一の祭典____九輪祭を目指す。
武嵐家の者はそのために敷かれたレールの上を走るだ。
紗良もその一人。
だから、彼女の人生観と一般人の人生観は大きく異なる。
俺ぐらいの歳の少年ならば、将来何になりたいとか、具体的に考えている方が珍しい。
俺がそれを指摘すると、紗良は露骨に不機嫌な表情を見せた。
「腐っていますわね」
「……は? 腐っているって?」
紗良は答えず、ダイニングルームのとある一点を見つめていた。
彼女の視線の先には壁があった。
俺が以前、紗良にぶつけられて気を失った場所だ。
「懐かしいよな。あの時は死ぬかと思ったぜ」
「ええ……お兄様が死んでしまうと……私、パニックを起こしてしまいましたわ」
「それが切っ掛けで、春の終わり頃にお前に真実を告げたんだよな。俺が”獣師”にはなれない事を」
懐かし気に俺は語る。
紗良は俺のことをじっと見つめていた。そして、何を言い出すかと思えば____
「あの一件で、私は理解したのですわ____お兄様は私に勝てないって」
「……え?」
言い方にいつも以上の棘があり、思わず間抜けな声を出す。
「仮に殴り合いになったとして、お兄様は私に一方的にボコボコにされますわよね?」
「……」
急に何言ってんだ、コイツ。
「その気になれば、力でお兄様を従わせる事が出来る。口答えしても、平手打ち一つで黙らせる事が出来る」
「……おい」
「まあ、実際にそんな事はしませんけど。でも、心の中では思っていましたわ。この人、私には敵わ____」
「おい!」
俺は思わず、テーブルを叩いた。
「……もしかして、喧嘩売ってるのか」
俺が凄むと、紗良は少しだけ身体をびくっと震わせたが、テーブルを叩いた俺の手首を握ると、手の平に力を込め始める。
「……ッ」
「お兄様、私がこのまま力を込めたら……お兄様はどうなりますでしょうか?」
ぞわりとした恐怖を感じる。
紗良ならば、このまま俺の手首の骨を折る事など造作もない。
……本当に……何なんだ、コイツ!
「哀れなお兄様。力でも立場でも私に敵わない。優秀な妹と比較され続ける落ちこぼれの兄。惨めだとは思いませんの?」
「……くっ」
身体が震える。だが、負けたくない。引きたくはない。
恐怖を押し殺し、俺は無言で彼女を見つめる。
視線がぶつかると、僅かに紗良の瞳が揺らぐのを感じた。
「やってみろよ、サラ」
「……っ」
「何だ、ビビってんのか」
「……バカバカしいですわ」
そう言って、紗良は俺の手首から手を離す。俺は心の中で安堵の吐息をはいた。実際、俺はかなりビビっていた。
「失せろ、サラ」
それから俺はしっしと彼女を追い払う仕草をする。
「失望したよ。心の中ではとんでもねえ事考えてたんだな。お前の事、好きだったし、尊敬もしてた。だけど、全部間違いだったようだな」
「……」
「ありがとよ。わざわざ教えてくれて。おかげで、全然別れが悲しくない。お前が消えて、俺はハッピーだ」
「……そう」
紗良は目を伏せて、それから静かに俺の前からいなくなった。
「……最悪だぜ」
一人きりになったダイニングルームで俺は呟く。
実は少しだけ信じていたのだ。紗良が対等な存在して俺を認めてくれている事を。兄として慕ってくれている事を。
だが、どうやら事情が違ったらしい。
紗良は力の差を背景とした歪んだ認識で俺に接していたのだ。
そう思うと、彼女が俺に向けてくれた笑顔も、親愛の言葉も、全てが嘘のように感じる。
「……ちっ……何が仲の良すぎる兄妹だよ」
紙の様に薄っぺらい、一晩で千切れてしまう程の、空虚な関係だ。
まあ、兄妹の仲なんて、普通はそんなものなのだろう。
「……あんな妹、もうごめんだ」
最悪な別れをしたその日、俺は脳内から愛していた妹の記憶を洗い流すように涙を流した。
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