第2話「私のお兄様は」
あの日お兄様が流した涙の理由を知ったのは、小学校も高学年に上がった時の事だった。
それまでに違和感はいくつかあった。
武嵐家主催のパーティーで、やけに持ち上げられる私に対し、お兄様に対する親戚一同の態度はとても寂しいものだった。
それに小学生になってから、私には武嵐家で同い年の人間である
児童の不安定期にある獣人には”獣師”の能力を持つ者の帯同が義務付けられているので、そのための彼女らしいのだが……であれば、その役目はお兄様で良いのではと思ったものだ。
とは言っても、帯同者は異性よりも同性の方が不便がないだろうと言われたので、一応その説明に私は納得した。
だが、小学3年生の冬、事件は起こる。
その日、私はお兄様と喧嘩をした。
喧嘩の理由はお菓子の取り合いと言う下らないものだった。
「そのみたらし団子は私のものですわ! お兄様は昨日あんこ餅を独り占めしたではありませんか!」
「お前、それ4本目だろ! 俺まだ2本しか食ってないんだぞ! 最後の1本は俺のものだ!」
「いーえ! 私のものですわ!」
睨み合う私達。すると、お兄様は私のお腹の肉を摘み、口を尖らせる。
「甘いもんばっか食ってるとまた太るぞ、このデブ! ぶよぶよじゃねえか、お前の腹!」
「……な!」
デブは酷いですわ!
私はかちんと来て____
「お兄様の馬鹿ッ!!」
お兄様に掴みかかる。
私とお兄様は一瞬だけ取っ組み合いになるのだが……お兄様はすぐに力負けして、背後の壁に盛大にぶつかる。
頭の中が真っ白になった。
「……え?」
お兄様はぐったりとして動かなくなってしまったのだ。
「……え……なんで……?」
床に倒れるお兄様を私は呆然と見つめていた。
「……どうして?」
私とお兄様____いや、獣人と人間、そこにあった圧倒的な力の差に困惑する。
「……何が起こっていますの?」
小学校に上がる前、私は何度か狂獣化してお兄様に掴みかかる事があったのだが、その時はむしろ私の方が組み伏せられていた。
それに最近の話でも、私は輝子と掴み合いの喧嘩をした事があるのだが、その時は彼女と力がほぼ互角だった。
だから、今の現象が理解出来ない。
これは夢なのではないかとさえ思ってしまう。
「どうされましたか!? お坊ちゃま、お嬢様!」
音を聞いて駆けつけて来てくれた使用人の一人が、床に倒れるお兄様とそれを呆然と見つめる私の様子からすぐに事態を察したようで、電話で救急車を呼んでくれた。
「わ、わたし……わたし……!」
使用人達が事態に対処する中、私はようやく何が起きたのかを実感し、力が抜けたように床に座り込んだ。
「……っ……はあ……はあ……!」
心臓がバクバクとする。手足が震え出し、何より息が苦しい。
私はパニック状態になり、短い呼吸を繰り返していた。
「……はあ……はあ……!」
「大丈夫です、お嬢様。落ち着いて」
「……はあ……はあ……わ、わたし……わたしが……おにいさまを……し、死なせて……!」
「安心してください。お坊ちゃまは無事です。だから落ち着いて」
後に、私は理解する。
獣人の力が急激に強くなるのは、児童の不安定期に入るのとほぼ同時期の話で、それ以前の幼少の獣人には然程人間との間に力の差はないらしい。つまり、小さい頃に狂獣化した私をお兄様が組み伏せていたのも、特別な事ではなかったのだ。
そして、私と輝子が喧嘩をして、私達の間に力の差が出なかったのは、彼女が”獣師”の【抑制】の能力で私の力を制限していたかららしい。
では、何故今回このような事態になったかと言えば____それはお兄様に”獣師”の能力が備わっていなかったからだった。
あの日、私を睨んだ涙目のお兄様。
お兄様は”獣師”にはなれない事を、お父様から告げられたらしい。
雪が融け、桜が咲いて、それが散った頃、お兄様は全てを話してくれた。
「そう言う訳で、俺は“獣師”にはなれないらしい」
「……そんな」
「ごめんな、サラ」
お兄様は申し訳なさそうに私の頭を撫でる。
「一緒に九輪祭に出て、兄妹で世界一を取るとか言ってたのに。今日まで何も言えずに、ずっとお前を騙してた。だから____お前と一生一緒にいる事は……どうやら無理らしい」
悔しかった。お兄様を傷付けてしまった事。彼と共に歩めない事。彼の抱える無念と屈辱に今日まで気が付いて上げられなかった事。何もかもが腹立たしかった。
気が付けば、私は泣いていた。
「どうしてですの! どうしてですの! ずっと一緒にって約束しましたのに! お兄様の嘘吐き! 嘘吐き嘘吐き!!」
そんな言いたくもない罵倒の言葉が口から突いて出てしまう。
やるせない気持ちを、あろうことかお兄様にぶつけてしまっている。
私は最低だ。
「ごめんな、サラ」
泣き止む事のない私をお兄様は優しく抱きしめる。
謝りたかった。慰めて上げたかったし、励ましてあげたかった。
でも、涙に邪魔をされて、それがまたもどかしくて悔しくて、私は泣く事しか出来なかった。
それが小学生の私が味わった、人生初めての絶望だった。
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