先輩の羽

第31話

 狐の魔怪討伐から2週間後、俺はかつては養蚕場であったらしい田舎の廃墟で巨大な桑の実に蚕の成虫の羽を生やしたような魔怪と対峙していた。魔怪は羽があっても飛べないのか、重そうな身体を引きずるように這っている。しかし羽はただの飾りかというとそんなことはなく、絹糸のような白く艶やかな細糸がレーザービームのように両羽から放たれ続けている。


「そっちが糸使うってんなら、こっちも使わせてもらうぞ」


 俺は突き出した左手の手首を右手で抑える形で構え、こう叫ぶ。


闇影禍霊髏あんえいかれいろ!」


 魔怪とは真逆の漆黒の無数の糸が、空気を漂う塵を写し出しながら、左手から瞬く間に放たれた。そうして黒い糸が白い糸を包み込むと同時に、魔怪の白い羽にボールペンで無秩序に書き殴ったかのような無数の黒線が差し込む。


「終わりだ」


 俺は動きを止めた魔怪に近寄ると、桑の実状の硬い胴体に向けて、右足を大きく振りかぶった。


極嶽譜骸砕ごくがくふがいさい!」


 かかと落としの要領でその声と同時に振り下ろされた右足は、あらゆるものを粉砕する巨槌の如く、魔怪の実を押し潰し、突き破った。そうして魔怪は間もなく動かなくなり、徐々に全身を灰のように溶かして消えた。


「……終わりましたよ」

「よ、よかったぁ……」


 物陰からなんか虫が嫌いだとか悪寒がするとか何とかという理由で俺に戦闘を押し付けてきた先輩が全身をブルブル震わせながら出てきた。遠くから破怪銃を撃つぐらいはできなかったのかよと言いたい気持ちを抑え、俺は「そうですね」と苦笑いした。


 *


 翌日、家に帰ってのんびりムリムちゃんの配信を観ていたら傍らに置いていたスマホが大きな音を鳴らし着信を告げた。


「先輩?」


 画面に表示された小橋めいあという名前を見て、俺は電話に出た。


「ナポリ……たす……ぇて……」

「先輩!?」


 先輩は今にも途切れてしまいそうなかすかな声で、俺に助けを求めてきた。


「家に……きて……」

「家に行けばいいんですね!?」

「は……やく」


 そして通話が切れる。


「今度はなにやったんだよあの馬鹿天使は!」


 俺はテレビの電源を切り、すぐさま玄関を出た。


 *


 自宅の最寄り駅からバスに乗り込み住宅街まで向かい、やがて赤い三角の屋根が特徴的な小さな一軒家の前までやってきた。この家はこっちの世界では住所不定で職業不詳で無戸籍である先輩のために会長が購入したものらしい。


 インターホンを押してドアノブに手を掛けると、鍵はかかっておらず整理整頓された三和土と複数の部屋へと繋がっている廊下が見えた。


「先輩いますかー?」


 声を張り上げて尋ねるも、返事は聞こえてこない。どこにいるんだと思って廊下を歩いていると階段からとぼとぼとした音が聞こえてきた。


「な……ナポリぃ……」

「先輩!?」


 階段から先輩が降りてきて、俺の目の前に立った。それはいい。いいのだが。


「何ですかその羽は!?」

「なんか朝起きたら……生えてた……」

「なんだそりゃ!?」

「なんか頭がぽやぽやするよぉ……助けてナポリぃ……」

「助けてって言われても……本当に天使だったんですね……ちょっと後ろ向いてください」


 胸元がだらしない感じになっているパジャマ姿の先輩の身体を掴み、くるんと回転させる。するとパジャマを突き破って背中から大きな白鳥のような翼が2対生えていた。


「ひゃあん!」


 触るとまさに鳥の羽のように滑らかで、ちょっと力を入れればポッキリ折れてしまいそうな危うさを感じさせた。それになんだか妙に色っぽい声も聞こえてきた。


「まさか人間から天使に戻ったんですか」

「あたしにもわかんないよ……戻ったにしても身体おかしいし……輪っかもないし……」


 と先輩は蕩けた表情をしながら寝ぐせだらけの髪の毛を指さした。そこには特に天使らしいものは見当たらなかった。


「なんでこんな中途半端に……」

「なんでなんでしょうね」


 先輩にもわからないなら、俺にもわからない。世の中はいつだってわからないものだらけだ。先輩が俺に抱き着いている理由もわからないし、先輩がなんで俺を好きなのかもわからない。それでも、少しくらいならわかることもある。


「ずっと一緒にいて……」

「わかりました」


 それは、そんなことを言われて即答してしまうほど、俺にとって先輩は大切な存在だということだ。

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