第28話
「残念ですがマイちゃんは今日お休みでここにはいませんよ」
それから先輩とレストランで海鮮丼を食べた後、ギフトショップでTシャツやらぬいぐるみやらを見て過ごしていると、銀髪丸眼鏡でぶかぶかのパーカー姿の幼女が冷ややかな声で喋りながらこっちまで歩いて来た。
「そうか……まあでも構わない。今日はお前に会いに来たんだからな」
「私に、ですか」
「何びっくりしてんだよ。お前が言ったんだろ。またショー観に来てくれって」
「それはそうですが、なぜマイちゃんではなく私に」
「な、ナポリ! この子誰なの……!?」
ルイも先輩も別ベクトルでびっくりして目を丸くしている。とりあえずまずは先輩の方に説明するとしよう。
「こいつはさっきのイルカです」
「え?」
「こんにちは。ルイちゃんです」
俺が言うと、ルイは私がそうですと言わんばかりに先輩に頭を下げた。
「ルイちゃん……? え、さっきのイルカの……?」
「はい」
「いやいやいやいや……」
「私は人間の姿になれるイルカなのです」
「うるぇぇぇぇぇ……!?」
先輩が周りの目を気にしてか口元を両手で抑えながら絶句した。そしてすぐに俺の袖を掴んで耳元に口を寄せてきた。
「ねぇ……! この子ってまさか……!」
「今からそれを確かめます」
俺はそう言いながら、右手に握りしめていた魔壊弾を先輩に見せる。そしてそのまま俺はルイの小さな手を両手で握った。人間の温もりと柔らかさを持つ、普通の人間の手だった。
「……何のつもりですか」
「この人は俺の先輩の小橋めいあさんだ」
「質問に答えて下さい。今ここで大声出してもいいんですよこのロリコン」
「何ともないのか」
「何か硬いものを当てられている気がしますが本当に意味がわかりませんよこの変態」
俺は手を離す。ルイの手には痣も傷もなく、痛みを感じている様子もない。このことがルイは魔怪ではないという紛れもない証明になった。だがそれでも漂う気配は人間とは異なるものであるからやはり人間ではないのだろうが。
しかしだ。それでも、俺はこいつを。
どうにかしなければ、気が済まない。
「どこか人目につかない場所はあるか」
「仮にそういう場所があったとしてそこで私をどうするつもりですか」
「いいから答えろ」
「それはまあ、あるかないかで言えばありますが」
「連れていけ」
「……わかりました」
「ちょ、ちょっとナポリ……! もしかして……でも魔壊弾が……」
俺がルイに命令したところで先輩が慌てた様子で言ったので俺はこう返した。
「大丈夫です。手段はいくらでもありますから」
*
「スタジアムの裏側にある待機場です。次のショーまであと1時間半くらいありますが、それまでは無人となっています」
ルイは俺と先輩を先程ショーが行われていたスタジアムのステージ裏にある待機場という名の生け簀のような複数のプールがある場所へと招いた。
「それで、一体私をどうしようというのですかこの変態ロリコン」
「ろ、ロリコン……? ナポリ……?」
さてと……早速俺をロリコンだとかほざいてるが、どう始末してやろうか。
結論から言えばこいつをなりふり構わずボコボコにすること自体は容易い。だが万が一にもそのことが従業員なり来場者なりにバレてしまえば一巻の終わりだ。そもそも魔怪以外の存在を傷つけてしまうことは俺の道義に反する。しかしそれはそれとしてこいつをどうにかしなければ――そうだ。あれがあったではないか。
中学の頃鈴と共に考案した、あのふざけた
「な、何をするんですか……! まさか本当にロリコ――」
そうして露になった奴の白くなだらかな腹に、俺は両手に風の力を込めて繰り出す。
「
風にそよがれ動きが活性化された手指は、無垢で幼い子供の肌を嵐の如く撫で続ける。
ぶっちゃけて言えば、めちゃくちゃ高速でくすぐるという低俗なことをしているだけである。あまりにも使い道がなさすぎて鈴と再会していなければ存在自体を忘れていたかもしれない能力だった。まさかこんなところで使うときが来るとは思いもしなかった。
「ちょ……! やめ……ひゃぁぁぁぁっ! はあああひゃひゃはひゃひゃひゃあ!」
初めて奴の動揺した声と悶えた声と、爆笑した声を聞いた。俺はそれを聞き、えも言われぬ征服感に心が満ちていく。
「は、ひゃはははははあひゃはあひゃはあ!」
「これが俺の復讐だ!」
「ひゃ! やめ、やめえええ!」
「苦しいだろ! もっと苦しめ! 俺はお前のせいで先輩に迷惑掛けまくったんだぞ! その苦しみをお前にも味あわせてやる!」
「あ、あたしに!?」
「な……なんのはな……ひああああっ!」
「お前が俺をロリコンだの変態だの罵ったせいで些細なことでそれがフラッシュバックして大変だったんだよ!」
「わかった……! わかったからやめえええええええっ!」
「やめねえよ! 俺の気が済むまではなあああああああああああああ!!!」
「あっ……いゃっ……ひゃぁぁぁぁっん!」
「なななななナポリ! 何があったのかあたしにはよくわかんないけどさ、許してあげよ? ね? あたしはナポリに迷惑掛けられたなんてこれっぽっちも思ってないから!」
「なぜ今まともな先輩面をする!? まあ……先輩が許してあげてというなら許してやりますが……」
俺は手を止め、くすぐり地獄からルイを解放してやる。ルイは大きく息を切らしながら所々濡れている床にぺたんと座り込んだ。正直もっと崩壊させてやりたい気分ではあるがこれ以上やると何だか先輩も崩壊しそうなのでやめておく。
「こんな……こんな辱めを受けたのは……生まれて初めてです! 見損ないました! このクソロリコン!!」
そして怒りを隠さず涙目になりながら俺をこう罵ってきた。
「そうかよ。だったらもう俺に二度と構わないでくれ。構ってくれるのはムリムちゃんだけで結構だ」
見損ったのでもうあなたとは関わりませんというのであればこちらとしても願ったり叶ったりだ。ムリムちゃんに同じことを言われたら傷つくが。
「嫌です」
「俺だって嫌だよ」
「違います!」
ルイが大きな声を上げながら俺の服の裾を掴む。何なんだよと思いつつも、俺はそれを振り払えなかった。
「ロリコンとか変態とか好き勝手に言ってしまったのは謝ります。ですからこれからも私に構って下さい」
「何で俺がお前に構わなくちゃならないんだよ」
「他に構って下さる方がいないからです」
「ここにいっぱいいるんじゃないのか。ムリムちゃんとか他のイルカとかトレーナーとかいくらでもいるだろ」
「それはそうですが、皆私をアイドルドルフィンのルイちゃんとしか見てくれません」
「だから何だってんだよ」
「だから、スパゲたんがありのままの私と接してくれて、嬉しかったんです」
「スパゲたん……ナポリタン……? それにムリムちゃんって……」
「ややこしくなるので今はちょっと」
先輩が訝しげに俺を見ているがこのことを懇切丁寧に説明してしまうと話がごちゃごちゃになりそうなのでとりあえず今は黙っててくれとハンドサインで頼んだ。気を取り直し、俺はルイに向き直る。
「お前のおかげでムリムちゃんに会えたのは嬉しかったし感謝してる。だけどお前自身に会えたことは嬉しくも何ともない」
「わかっています。そんなことは」
「そうか。それじゃあな」
感情も落ち着いたので俺はスタジアムの表側まで行きそこから立ち去ろうとした。が、ルイに後ろから抱き締められて動きを止められる。そして背中から声が弱弱しい声が聞こえ始める。
「お父さんもお母さんも死んじゃって、お兄さんも遠くに行ってしまって、マイちゃんみたいなVTuberにもなれそうになくて、私にはもう何もなくて、誰もいないんです。私をイルカではなく、人間にしてくれる人には、もう会えないかもしれないんです」
まったく、下手くそな言葉選びで情にでも訴えたつもりか。俺を散々おちょくっておいて最後はこれとか、やっぱりガキだな。
「スマホ」
俺はそいつの手を掴んで振り返り、今にも泣きだしそうな幼い顔を見て言った。
「持ってません」
「持ってないのかよ!」
「マイちゃんは持ってますが」
せっかくかっこよく決まったと思ったのに見事に腰を折られた。辱めを受けるとはこういうことか。
「仕方ないな……」
俺は懐から破邪の札を一枚取り出し、壁にそれを押し当てて裏側にペンで家の住所を書き記した。そしてそれをルイの額に張り付ける。やはり魔怪ではないのか、痛がりも苦しみもせず額からそれを剥がしてぼんやり眺めていた。
「休みの日は大抵ムリムちゃんの配信を見てるから基本家にいる。気が向いたらお前の相手もしてやるよ。俺がいるときに家まで来れたらな。いない日に来たら知らん」
そして今度こそ「じゃあな」と言って俺は表に出て客席の方へと降り、スタジアムを後にした。先輩も慌てて俺を追いかける。
「ありがとうございます」
そんな弾んだ声を遠くで聞き、俺と先輩はやがて横並びになり歩く。
「ねぇ……なんで住所教えてあげたの……?」
「人間になりたがってる奴は、放っておけなかったので」
俺は先輩の質問に素直にそう答えた。あんなこと言われたら構わない訳にもいかないだろう。先輩はそれを聞き、はっとした後「そういえば」と続けた。
「なんであんな子と会ってたことあたしに言わなかったの……。それにムリムちゃんとも会ったとかって……」
「説明しないとダメか?」
「ダメ!」
と強い声で言われてしまったので、俺は先輩にムリムちゃんはマイちゃんでありマイちゃんはここにいるカマイルカであるということ、ここのイルカは人間に姿を変えられるということ、ルイとムリムちゃんは後輩と先輩の関係であること、この前のオフ会で会ってひと悶着ありそれから今回の状況に至ったことなどを懇切体音に説明した。そして「よくわからない……」という返事が返ってきた。
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