第24話
屋上に上がると、ペペ子が言っていたことをすぐに理解した。
なぜならそこには――。
「鈴……」
「鈴ちゃん……」
鈴が、風が強く吹き荒れている屋上の手すりに身を預け、鈍色の空を眺めていたからだった。眼帯をしておらず双眸が露わになっており、昨日出会ったときのような雰囲気ではなく、ごく自然体といった感じで屋上へとやってきた俺たちに目を向けた。
「上手くいくと思ったんやけどな……あんたらの方が一枚上手やったわ」
「やっぱりお前のせいなんだな」
「せや。デザイア――椿の魔怪と一緒にあんたらをここに連れ込んだんや」
「何のためにだよ」
「ナポリのためや!」
俺が聞くと、鈴は声を荒げてそう答えた。だからどうしてそうなるんだよ。と唇を噛みながら思っていると、鈴が続けて言った。
「いつでもどこでも変なとこに行かされて、まともな学校生活も送れんくて、ボロボロになるまで戦わされて! そんなんずっと側で見させられたら見過ごせんやろ!」
「はぁ……?」
「私は! そんなあんたを助けたかった!」
「んなこと俺はとっくに受け入れてんだよ馬鹿が!」
鈴の勝手な押し付けに、俺は言い返さずにはいられなかった。昂る感情を自覚しながら、俺は口を動かし続ける。
「俺が行かなきゃその変なとこにいる奴が危なくなるんだから仕方ねえだろ! まともな学校生活なんてもんもそもそも知らねえからどうでもいいしボロボロになってもすぐ治るから気にしてねえよ!」
「それがおかしいって言っとるんや!」
「そうだよ! 俺は元々おかしいんだよ!」
俺が開き直ると、鈴は言葉に詰まったように動きを止めた。ややあって、鈴はスカートのポケットから札を取り出し、俺に向かって投げてきた。俺はそれを手で受け止め、握り潰す。
「何の真似だ」
「あんたはずっと、私と一緒にここで学生やってればええんや!」
「悪いが、他に約束した人がいるんだよッ!」
「ああああああああああああああっ!!!」
「なんでこうなるんだよ……!」
鈴が言葉にならない声を上げながら何度も札を投げつけ、俺の動きを制限してこようとする。しかし俺はそれをいなし続ける。
「どうして! 私はずっと! あんたが好きだったのに!」
「お前の気持ちに気づけなかったのは悪かった……けど……それだけだ。俺はこれからも破怪師として生きていく。だからお前の気持ちには応えられない」
「なんでなんでなんでなんでなんでえええええええええええええええ!」
怨嗟に染まった声を上げながら鈴が俺に接近してくる。そうまでして俺をここに留めさせたいのか。俺は彼女の拳を掴み取りながら、歯を食いしばっている彼女の顔を見る。
「どうして! どうして皆私を置いていくんや! 皆どんどん変わって私を置いて行って! 気づいたら私の居場所は無くなってて! 私も変わろうとしたけどやっぱり無理で! どうすればええんや! 私の知ってるナポリはもっと機械みたいで! 喋らなくて! 肯定も否定も何もしてくれなくて! だけどそれでも! すっごくかっこよくて!」
鈴の瞳からは大粒の涙が溢れていた。中学の頃のあんな状態だった俺を、彼女は好きでいてくれたんだろう。けどもうその頃の俺はどこにもいない。
だから、俺は。
俺は。
たとえ彼女を傷つけることになっても。
「先に行かないといけないんだ」
彼女の拳を握りそのまま投げ飛ばす。訳もわからず宙に浮かされて何もできていない彼女の上空を、俺は跳ぶ。そして右側の靴と靴下が急速に濡れていく感触を感じながら、その足を上げて叫ぶ。
「
水を纏った右足は、山を流れる激流の如き威力で鈴の腹部を一蹴した。鈴は俺の一撃に受け身も取れずに叩きつけられる。
「ごめん」
俺は意識を失っている鈴に呟く。すると背後に先輩とは異なる異様な気配を感じて振り返る。そして先輩が慌てて俺に近寄って来る。
「やはり無理だったか」
屋上唯一の出入り口となっているドアを再度開けたのは、生徒でもペペ子でもなく、椿の魔怪だった。
「まあいい。端から期待などしていなかった。奴の魂も――あがああ!」
「疾風迅雷」
俺はその言葉を聞いた刹那、電撃の足で瞬時に近づき、魔怪の首を闇の右手で掴んだ。
「お前はここで始末する。これ以上犠牲を出さないためにも、鈴のためにも。
闇と炎、異なる属性が入り混じる右腕が、魔怪を首から漆黒の獄炎で焼き尽くす。
「があああ、ああああああ!!」
魔怪は必死の形相で首から俺の手を引き剥がそうとするが、闇から逃れることは出来ず、ただただ着物を、身体を、荒ぶる炎によって燃やされる他なかった。当然俺にも相応の痛みが返ってきているが止めることはない。この痛みは、理由はどうあれ友達を傷つけてしまった俺が、受けなければならないものだから。
「ああああああああああああ……」
数十秒後、魔怪の全身が黒い炎に覆われた。幸いここは屋上であり、他に燃えそうなものが存在しなかったのが幸いした。今の自分が出せる最大火力が、生きた椿を容赦なく焼き尽くす。そうしてやがて魔怪がいた場所には、どす黒い焦げ跡だけが残された。
「あああああああああああ!!」
それを見て俺の右手が急激に悲鳴を上げる。恐る恐る見ると、触ったら簡単に崩れ落ちるんじゃないかというほど、黒くボロボロになっていた。
「だ、だいじょ――きゃああああ!!」
先輩が俺の手を見て悲鳴を上げた。
「いたいたいたいたいたいたああああ!!」
先輩には特に何もしてないが、なぜか先輩は痛みをごまかすかのように屋上を走り回り始めた。
「なにやってんすか……」
「わああああああ!!」
完全にパニックになってしまっている先輩を笑って痛みをごまかしながら鈍色だった空を見上げてみると、雲が晴れ青々とした色へと変わっていた。そしてそこには一筋の虹がかかっていた。同時に下にあるいくつもの窓から一斉にざわめきのような音が響いてくる。
「これで終わったか……」
いや、まだだ。俺は自分で言った言葉を自分で否定した。
「ちゃんと話さないとな……」
「ああああああああああああああああ」
俺は綺麗なままの左手で、倒れている鈴の頭を撫でながらそう呟いた。にしても先輩がうるさすぎるのでまずはそっちをどうにかしよう。
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