第22話

「はぁ……ねぇ……ナポリ……どうなってるの……? あたし昨日寝た後のこと何も覚えてないんだけど……!?」

「俺も何も覚えてないですよ……気づいたらなんかここにいて……多分起きたときには既にあの魔怪の術中だったんでしょうね……」

「操られているのはあたしたちだけじゃなくて……この学校にいる人全員なのかもね……」


 俺と先輩は何とか生徒の集団の追跡を振り切り、誰もいない教室を見つけて息を整えながら状況を整理していた。服装が変わっているのでスマホなんかも持ち合わせていないので今がいつなのか、ここがどこにあるのかもわからない。はっきりしていることは、作りやそこかしこを歩いている人間の服装からして学校であることと、生徒や教師はあの椿の魔怪に操られてしまっているのだということだ。


「指定領域内にいる人間を操る……か。はぁ……いつの間に……」

「なんか……椿なのに虫みたいだね……まるで蜘蛛の巣だし……さっき蚕みたいになってたし……」


 蚕みたいにしたのは俺なんだけどと思いつつも、俺は近くにあった机を持ち上げて窓の方へと向かった。


「え、ちょナポリ!?」

「ここが蜘蛛の巣だっていうなら……」


 強引に破壊するだけだと、俺は窓へ机をぶん投げた。普通なら窓を突き破る威力のはずだが、ガラスにはヒビ一つ入らず、机は大きな音を立てて床に落ちた。


「まぁ……この程度で出られる訳がないか」

「えい!」


 俺が倒れた机をまた持ち上げて元の場所に戻しに行くと、今度は先輩が窓の方へと向かって行ったと思ったら窓を勢いよく右拳でぶん殴った。


「いだぁい!」


 しかし教室に轟いたのはガラスの粉砕音ではなく先輩の情けない悲鳴だった。


「机で割れないんですから拳じゃ割れるわけないでしょうが!」

「わかんないでしょやってみなきゃ!」


 手の甲を涙目で押さえる先輩を見てたまらずツッコむが、先輩は多分割れていたらめちゃくちゃかっこよかったセリフを言い放った。机を戻した俺は先輩の手を握ってやる。


「あ、ありがとう……」


 何か説教の一つでもかましてやろうかとも思ったが、涙目の先輩を見てるとそうする気にもなれず、俺は黙って先輩の手を癒した。


「えっと……ナポリ……」

「なんですか」


 先輩は俺をじっと見つめたかと思いきや、目を逸らしてもじもじしたり、手をぎゅっと握り返してきたりしてきた。顔もほんのり桜のように紅潮している。しばらくそのまま魚のように口をパクパクさせ、微かに吐息を淡い桃色の唇から漏らす。


「あ……えっと……あの……」

「もう手は……大丈夫そうですね」

「待って!」


 俺が手を離すと、先輩が掴み返してきた。一体何なんだと思い先輩の顔を見ると、あうあうあうと言いながらじっと俺を見ている。


 そして。


「ナポリのこと、好きですっ!」


 そう言ってきた。


「……今の状況でそれ言うか?」


 突然の告白に、頭の整理もできず思わずこう言ってしまった。まあそれ自体は知ってたけどもっと言うタイミングというものがあるだろう。


「でぁっ! だ、だって……」


 先輩が慌てて手を離し、キョドりながら言い訳をしようとし始める。


「まあ……俺の勘違いじゃなくて良かったですけど」

「えっ」

「好きでもない男の家に呼んでもないのに来るなんてそりゃそうなんじゃないかって思いますよ。他にもキスだの色々ねだってくるし、好きじゃなかったら逆に心配になるレベルですよ」

「ま、待って。全部知ってたってこと!?」

「全部じゃないと思いますけど……察してはいました」

「ああああああああああああ!!」


 俺が答えると、先輩は悶絶し床に倒れ、ゴロゴロと転がり始めた。服装が半袖半ズボンの体操服姿なのでマット運動でもやっているのかと言いたくなる。マットないから痛そうにだけど。


「とりあえず今はあの魔怪を倒すことを考えましょう」

「う、うん……」


 先輩はゴロゴロを止めて起き上がると、近くの椅子に座って机に突っ伏した。


「むがぁ……」


 先輩が悶絶している中、俺は再度窓に向かい、そこから見える風景を眺めた。一見何の変哲もないグラウンドが広がっているものの、そこに生徒の姿はない。それだけではなく、敷地外の道路を走る自動車なんかも一切見当たらなかった。


 ……にしても。


 俺は振り返り、唸り声を上げながら居眠りしている先輩を見た。


 俺のことが好き、か。天使が抱く感情というのは人間とどう違うのか、それとも同じなのかはわからないが、そういう風に想ってくれていたことは素直に嬉しく思う。


 果たして俺が先輩をどう思っているのか、今後どういう関係を築いていきたいのかは自分でもわからないままではあるけど。


「埃ついてますよ」


 先輩のふわふわとした茶髪についていた埃を、指で摘んで取る。


「ありがと……」

「にしてもこれからどうしましょうか」

「同棲……」

「そっちじゃなくて魔怪討伐の方です。これ以上犠牲者を出さないためにも慎重に動かなればなりませんし」

「あぅ……」


 俺が真面目なことを言うと先輩がまた机に顔を押し付け始めた。先輩が言い放った単語は聞かなかったことにする。


 すると突如としてドアが開き、さっきの群衆がここまで来たのかと警戒したものの、入ってきたのは先程俺に答案を渡してきた小柄な数学教師がだった。


「ナポリ。話には聞いていたがまさかこんなゆるふわ美少女とイチャついてたとはな」

「いや、あの、これは、その」

「ちちちちがうんです!」


 突然の事態に二人して慌ててしまう。それを見て数学教師がなぜかくすくすと笑い始める。


「嬉しいぞ余は。数年ぶりに再会した息子がこんなに成長しているとはな」

「え?」

「えじゃない。余を忘れたとは死んでも言わせないぞ。余の顔をちゃんと見ろ」


 教師にそう言われ、教師の顔を正面から見てみる。教師というより生徒にしか見えない程の童顔、低身長、金髪のツインテール、ぱっちりした二重まぶた。服装はシンプルなブラウスにタイトスカートであるがその上に漆黒のマントを羽織っている。


 俺は、この人の顔を、そのマントを、よく知っていた。今ではどんどん遠のいていく記憶でしかなかったが、実際に今目の前でその顔を見て薄れていた記憶が再び描き直されていく。そして俺はその教師の名前を、口にする。


「神野ペペロンチーノ子……?」

「実の母親を赤の他人みたいに言うな。敬意を込めてお母さんと呼べ。ただしどうしてもという場合はペペ子と呼ぶことを許可する」

「ああ……ごめ「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」ん」


 教師――否、ペペ子がそう言った刹那、俺の謝罪をかき消す声量で先輩が絶叫した。

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