第10話

 それから特に何事もなく半日ほど飛行機の中で過ごした後、俺たちは羽田空港へと降り立った。そしてその足で電車に乗り込み、東京都心にある超高層ビル――のすぐ近所にあるちょっと外観が古めな5階建てのビルの前へとやって来た。


「先輩、本当に大丈夫ですか?」

「あたしは平気だよ。ああいう事情があったなら怒るに怒れないし。それに何より、ナポリが全部綺麗に治してくれたから」

「そうですか。それなら良かったです」


 隣に立つ先輩が薄く微笑んだのを見て、俺は一安心する。何はともあれ、死ななくて良かった。こういうときには自分の訳のわからない力もあって良かったと素直に思うことができる。


 しかしとばりに斬られてしまった服は俺でも再生することはできなかったため、今は空港の売店で買った変な感じにデフォルメされているウサギが前面にプリントされているグレーのパーカーと膝丈の黒いフレアスカートといった服装になっている。ちなみに代金はとばりが全額支払っていた。そして俺は相変わらず右の袖が不自然になくなっているままだけどそれはまあいいだろう。俺は遠慮がちに後ろに立っているとばりとアムリタに目を向けて言った。


「ここの5階が破怪師協会の本部ってことになってる。最盛期よりかは随分人が減ってるし俺も基本ここに来ることはない。けど任務にでも行ってない限り会長は多分いるだろう。連絡したら返事返ってきたし」

「あの……その……本部ってこんなに……」

「ショボい……」

「昔はもっとあっちにあるやつみたいな高層ビルにあったんだぞ。人がいなくなったからこっちでもいいかってなっただけだ……と思う」


 お世辞にも豪華とは言えないビルの外観を見て、相合傘をしているとばりとアムリタが率直な感想を漏らす。


「もう一回言うけど、会長がどういう判断を下しても俺は何も言えないし、何も言うつもりもないからな」

「は、はい……」

「じゃあ行くぞ」


 こうして俺たちは、やっぱりちょっとショボいビルの中へと足を踏み入れた。


 *


 狭くて急勾配な階段を上がり、5階のフロアに繋がるドアを開けると、端正な顔立ちであり、ワイシャツに黒ネクタイを結んだ長身の男性――破怪師協会現会長、久島くじま晴冬はれふゆが社長椅子で優雅にコーヒーを飲んでいるのが見えた。


「失礼します」

「待っていたよ。ナポリとめいあ。それと住谷さん。僕が破怪師協会会長の、久島晴冬だ」


 俺の声を聞くと会長は立ち上がり、アムリタの元へとゆっくりと近寄った。


「君が――アムリタちゃんだね」

「うん……」


 アムリタが会長から怯えたように目を逸らしながら首肯する。それを見て、会長は言葉を続ける。


「今まで人を殺したことはある?」

「ない……」


 それからしばし無言の時間が続き、やがて会長が軽く笑い、沈黙を破った。


「そうか。じゃあ……そうだな。君たちに一つ、話をしよう」


 会長はアムリタの返事にそう返すと、アムリタから離れ、再び社長椅子へと腰かけた。そして床を足で蹴って一回転した後、話を始めた。


「アムリタちゃんのような人間に危害のない魔怪は珍しいけどいないわけじゃない。だけどそれは、人間に対して友好的であるとのイコールにはならない。そして僕たち破怪師の役割は魔怪を殺すことだ。これがどういうことを意味するのかと言うと――」

「待って下さい! 魔怪だからって殺すなら俺も先輩も――」


 言ってから、しまったと口を抑えた。右斜め後方からとばりの視線を感じる。何も言えないからなとかっこつけて言ったのに何か言ってしまった。なんてことだ。


「落ち着け。僕はまだ何も言ってないだろう。要は人間の味方となり、人間を守ってくれればいいんだ。だからアムリタちゃん、君も破怪師になれ」

「え……」


 会長の言葉を聞き、アムリタは目を見開き、信じられないといった表情で会長を見つめた。


「言っておくけど、他に道はないよ。なるのか、ならないのか、ここで決めるんだ」

「なる……!」

「わかった。なら、今後は人間と共に人間のために頑張りたまえ」

「ほんとに……いいの……?」


 とばりが唖然としながら会長に尋ねる。会長は再び椅子を回転させ、再び口を開いた。


「僕にもね、かつて友達だった魔怪がいたんだ。でも……魔怪だから殺された」


 その言葉を聞いて、心臓を握り潰されるかのような痛みが襲い、呼吸が荒くなる。周囲にそれを悟られないように何とか再度呼吸を整えて、再び会長の方へと目を向ける。会長は一瞬だけ俺を見ていたような気がしたが、すぐにアムリタと目を合わせ始めた。


「もうあんな悲劇を二度と起こしたくない。だから僕は会長になったんだ。アムリタちゃん、君はどうか生きてくれ」

「……うん」

「それじゃ、細かい手続きは僕の方でどうにかしておくから、しばらくはのんびり過ごしてくれ」

「あの……ありがとうございます」

「いいんだ。人手が増えるに越したことはないからね。じゃ、僕からの話は以上だ。今後とも世界のために頑張りたまえ」


 そうして会長の判断を聞いた俺たちは踵を返し、本部を後にしようとした。


「俺たちはこれで」

「あ、ナポリくん。ちょっと」

「……なんですか」


 会長に俺だけが呼び止められ、足を止め、振り返る。会長はにっこりと微笑みつつも、どこか陰を感じる表情で俺を見ていた。


「よくやったね」

「ありがとう……ございます」

「これからも頑張って。君は特別な存在なのだから、ね」

「……はい」


 会長に励ましと受け取っていいのかもわからない言葉を受け取り、階段を下りる際、破怪師の女性とすれ違ったが特に挨拶もなく、お互い無言で通り過ぎたのだった。


 *


「あの……色々と……すみませんでした」


 外に出るや否や、とばりが俺と先輩に頭を下げてきた。それを見たアムリタも、同じように頭を下げる。


「俺も悪かったな。撃ったり殴ったりしちまって」


 向こうにだけ謝らせるのもどうかと思ったので、俺も謝った。事情があったとはいえ、先輩を傷つけたことは正直許せない気もあるけど、それはそれとして、だ。


「もういいよ。ところで、2人はこれからどうするの?」


 謝られた先輩がたどたどしくとばりとアムリタに向かって尋ねる。


「ひとまずは氷嶺島に戻ろうかと思います。少し、アムちゃんと観光してから」

「東京……見ていきたい」

「気をつけろよ。ナンパとか」


 日傘を差した上でコートのフードを深々と被っているアムリタは絶え間なく人が行き来している東京においても、人目を引く存在なのだと移動中に嫌というほどわからされた。何よりアムリタは控えめに言っても美少女と言って差し支えない容姿である。それにとばりも幼さはあるものの顔立ちは整っている方だし、そこは少し心配になる。


「大丈夫です。私は天才少女ですので」

「街中で刀振り回したりするなよ。普通に捕まるから」

「私を何だと思っているのですか」

「俺の腕を斬り飛ばした奴」

「それは……本当にごめんなさい」

「もういいって。再生したから」


 自分でも何言ってんだと思いつつ、復活した右腕を眺める。袖は無いけど、傷はひとつとしてない。しれっと言ったけど、やっぱり普通に考えてたらおかしいんだよな、これって。


「それは……いえ、そういうことにしておきます。では、また何かあったときはよろしくお願いします」

「またね」


 そうしてとばりとアムリタは相合傘をしながら東京の街へと繰り出していった。と思ったら早速渋谷辺りを拠点にしてそうなチャラ男が近づいてきてる気がするが大丈夫だろうか。まああいつらなら自力でどうにかできるだろう。多分。


「という訳で先輩、これからどうします?」

「えっ!? どうするって……」

「理由はちょっとアレではありましたが、せっかく東京に来たんですからどこか行きませんか?」

「うぇえ!? そんないきなり……」


 先輩の方へと向き直りそう言ったら、なぜか先輩が目をぱちくりさせながら慌て始めた。別に何も変なことは言ってないような気がするのだが。それから先輩はしばらくもじもじした後、ゆっくりと口を開けた。


「スカイツリー……がいいかな」

「わかりました。じゃあ早速向かいましょうか」

「う、うん……!」


 こうして俺たちも、東京の街を歩き始める。


 改めて、先輩を助けられて良かったと心から思う。


 こうして先輩と並んで歩ける日が、いつまでも続きますように――とエピローグっぽくまとめようとしたところで、ただならぬ妖気のような気配を近くに感じ取る。


「マイちゃんは本当に服を買うのが好きですね。そのうち破産しますよ」

「いいのいいの! お金はあるときに使わなきゃ! それにルイちゃんだってもう少しおしゃれした方がいいと思うなー! せっかく可愛い顔してるんだし!」

「私はいいんですよ。こういう服で」


 気配がする方へ顔を向けると、長めの黒髪に数えきれないほどの白いメッシュが入っている奇抜な髪型をして地雷系の服を着た小柄な少女と、銀髪で丸眼鏡を掛けている少女が歩いていた。


 まさか彼女らも――いや、もう考えるのはよそう。任務はもう、これで終わったんだから。


「わー見てナポリ! すっごいでっかい!」

「そうですね」


 俺は先輩の笑顔を見て、つられて笑った。


 そして来月、まさかあんなことが起こるなんて、この時は思いもしなかったのだった。

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