第8話

「アザラシ、可愛かったね」

「そうですね」

「そこは先輩の方が可愛かったですよチュッチュ……とか言うもんじゃないの……」

「俺がそんなこと言ってもキモいだけでしょうが。第一寒すぎてそんな感情かき消されてました」

「それはまあ……うん……。そうだけども……」


 とりあえず今は他にやることもなかったので、震えながら流氷やらアザラシやら何やらを見たりやたらと値段が高い食事を堪能したりした後、ホテルにチェックインしたところだ。ちなみに部屋はキングベッドの2人部屋である。


 最も先程までただでさえ極夜で視界が悪い上、5メートル先の視界すらもまともに確保できない程の猛吹雪が発生していたため、大して情報なんかは集められなかった。これ以上外に出ると本当に命が危なくなりそうだったから、チェックインの時間も予定よりかなり前倒しにした。


「もう……真っ暗で、星綺麗だね……」


 吹雪が止み、窓から見えるやたらと綺麗な星空が顔を覗かせているのを見て、先輩が呟いた。


「極夜ですからね。むしろこれが普通って感じだと思いますよ」


 そう、これが普通。だから吸血鬼にとっては願ったり叶ったりの場所だ。それと先ほどまで町を回って疑問に感じたことがある。


「こんな狭い町で行方不明になったりするもんなんですかね?」

「あたしも思った……行方不明って言ってもすぐに見つけられそう……他の町に行くにしてもすごい距離あるし、誰にも気づかれないように移動するのは無理そうだなって……」


 さすがの先輩もこの違和感には気がついたようで安心する。それにとばりが天才少女と呼ばれる程の実力者であるならば、失踪したところで強力な魔怪特有の妖気を辿ってすぐに見つけられる気がする。先ほど他の町へ行くための方法を調べてみたが、自家用車でもない限りは飛行機か長距離バスかの2択だったし、追跡も容易そうだった。


「まあ、今日1日でいるとかいないとか判断するのも早計ですし、とりあえずしばらくは情報収集ですかね」

「そうだね……」


 吸血鬼の魔怪――アムリタは、どうして高校生のふりをしているのか、デスゲームをしているのか、一体どれほどの強さなのか。わからないことは多い。だからそれを一つずつ解明していけば、自ずと消息も掴める、と信じたい。


「それじゃもう夜更けですし、今日はもう寝ましょうか。ずっと夜な気がしますけど」

「う、うん。おやすみ……」


 スマホで時間を確認すると、まもなく午前0時を迎えようとしていたので俺がそう提案すると先輩はやたらと大人しく、既にベッドに入っていた俺の隣に来て布団の中に足を潜らせていく。


「だ、だって! いざこういうことになると……むごむご……」

「むごむご?」

「な、なんでもない! おやすみ!」

「ああはい。おやすみなさい……」


 なぜか先輩が怒ったような声を上げて布団の奥底に潜っていった。なんなんだよこの前も一緒に寝てただろと思いながらも電気を消して仰向けになり。枕に頭を預けた。


 *


「今何時だ……? もう7時!?」


 スマホの画面を見て目を疑い、相変わらず真っ暗であるものの雪はすっかり降り止んでいる窓の景色を見て時間の経過を実感した。


「せんぱ……あれ?」


 そして布団に目をやったとき、先輩がそこにいないことに気づいた。


「どこ行ったんだよあの馬鹿!」


 俺は半ギレになりながら持っていたスマホで先輩に電話を掛けた。電話は3コール程で繋がり、俺は先輩の声が聞こえてくるのを待つことなく口を開けた。


「先輩一体どこ行ったんですか。そんなに俺と寝るのが――」

『おはようございます。神野ナポリさん』

「なっ……!?」


 電話口から聞こえてきた声に、俺は耳を疑った。その声は先輩のわたあめのようにふわふわとした声ではなく、外の冷気をそのまま声として形成したかのような、冷え切った声であったからだ。


『驚きますよね。だって小橋さんに電話掛けたら出てきたのが私だったのですから』

「なんでお前が先輩のスマホを持ってるんだ! 住谷とばりッ!」


 そう、その声の持ち主は先輩ではなく天才少女――住谷とばりの声だった。とばりは俺の声に対して声色を変えることもなく、言葉を続けていく。


『私が何か隠しているんじゃないかって思って私に接触してきたんですよ。仲良くなりたいからって言うので連絡先を交換してあげたのですが、まさか初めての連絡が私を疑うメッセ―ジというのは少し傷つきましたね。何か隠していたというのは事実ですが』

「何を隠していたんだ!」

『貴方に言う理由はありませんし、それを貴方が知る必要もありません』

「ふざけるな! 先輩をどこにやった!」

『当の本人から貴方を巻き込まないようにと言われています』

「いいから答えろ!」

『私の足元に転がっていますよ。私には勝てないと言ったのに。案の定返り討ちでしたよ。それにしても馬鹿な方ですね。最後の最後まで、貴方には手を出すなと言っていたんですから』


 その言葉を聞いた瞬間、俺の中にある何かが弾けた。


「どこにいるんだ」

『ですからそれを貴方が――』

『がっこー……!』

『な……! まだ意識が――』


 刹那、通話が切れた。最後に聞こえたのは先輩の声だ。何とか絞り出したといった感じだったから、一体先輩の身に何があったのかは考えるまでもない。まだ死んでいないことがわかっただけまだ良かったが、それも時間の問題だろう。


「こういうことがあるから何かやるなら絶対言えって言ったんだよあの落第天使!」


 スマホで学校の位置を調べる。幸いここは氷嶺島の小さな町の中だ。一体どの学校なのかは簡単に目星がついた。


 躊躇ってはいられない。俺は急いで着替えると肌を突き刺す澄みきった空気に包まれている外に出て軽く足踏みをした。そして脚に意識を集中させる。


「――疾風迅雷」


 そう呟くと、文字通り脚に電撃が走る。脚を刃物で何度も切られるような感覚が襲うが、先輩を守るという意思でそれに堪え、踏み固められた白い地面を強引に蹴り飛ばす。


 雷鳴轟く疾走は、暗闇に閉ざされた無人の町を瞬く間に駆け抜ける。幸いここなら周りを気にする必要は一切ない。だから勢いがついてきたところで両足を踏み込み、勢いよく宙へ飛び上がった。そうして街灯の光が雪に反射してオレンジに包まれている氷の町の空から学校のグラウンドを、先輩を見つけ、そこに向かって力を放出して降り立つ。雪が積もっているので着地の衝撃も緩和され、ダメージも軽減できた。この力を使うにはうってつけの場所だなと力を使ってから思う。


「え……電話を切ってまだ1分も……一体どうやって……」

「出来れば俺も使いたくなかったんだが、先輩の為には、な」


 雪で軽減したとはいえ骨折してるんじゃないかというくらいのとんでもない痛みを脚に抱えながら、突然の来襲に目を丸くしているとばりに向かって言った。そしてとばりに悟られないことを願いながらズボンを捲り、直接冷気に当てられ始める脚に手を当てて治癒を促す。今不意打ちされたらさすがに分が悪いので、話をして気を逸らそう。


「どうして、こんな……」

「お前が言ったことをそのまま返してやるよ。お前に言う理由はねぇし、お前が知る必要もねぇ。そもそも俺も何でこんなことできるのかよくわかんないんだけどな」


 脚の痛みが治まったことを実感すると、改めて冷静に周囲を観察する。左側には積もっている雪よりも少しだけベージュがかった色の四角くて5階建ての建物。右側にはボールが道路に飛んでいくのを防ぐためにある10メートルほどの高さのある緑色のネット。そして正面には唖然としているとばりとその足元で倒れているめいあ先輩。先輩の周りの雪は、かき氷のシロップというにはあまりにも残酷な程、どす黒い赤で染まっていた。俺は思考ごと停止して固まっているとばりを素通りし、先輩の元へと急いで向かう。


「先輩……! まだ息はある、か……良かった……」


 肩から腰にかけての斜めにコートとその中の服ごと刻まれている深い切り傷、腹部を貫く刺し傷、顔にあるアザ。どこからどう見てもひどい状態だが、今なら、俺なら、どうにかできる。露わになっている傷口に触れながら抱え上げ、グラウンドの隅へと先輩を移す。そしてしばらく先輩の傷に触れ続ける。しばらくすると出血も止まり、傷も塞がった。意識はまだ戻らないが、これで死ぬことはなくなっただろう。


 あとは。


「先輩を傷つけたのは、お前か?」


 棒立ちになっているとばりに問う。


「だったら……何なの……」

「そうか。それなら良かった。間違っても無実の人間を傷つけたくはないからな」


 俺がそう言うと、とばりははっと我に返ったかのようにどこからともなく日本刀のような剣を取り出し、その切っ先を俺へと向けた。


「警告です。これ以上吸血鬼の魔怪の件に足を踏み入れないで下さい。さもなくば貴方も同じように切り裂きます。私はこれでも、天才と呼ばれている破怪師ですので」

「やっぱり、吸血鬼について何か知っていたんだな」

「引いてください」

「俺はそいつを倒すためにここに来た」

「引いてよっ!」


 とばりが初めて声を荒げて刀を振るい、そこから放たれた衝撃波が俺の横を高速で通り抜ける。刀から衝撃波、か。いかにも凄腕の破怪師らしい力だ。


「あなたが小橋さんのことや自分のことを隠しているように、わたしにも隠したいこと、隠さなきゃならないことがあるの! だから!」


 涙声になりながらとばりが俺に向かって刀を構えた、と思った瞬間、俺の右腕が背後に転がっていた。それに気づいた後、右肘から先が消えていることに気がついた。


「あああああっ!」


 痛い痛い痛い痛い痛い。人から傷つけられることがこんなにも痛いとは。わかっていたが、これほどまでに痛いとは。腕が切断されることが、痛い痛い痛い。


「これでもう貴方は戦えません。わかったら、早く帰ってください! アムちゃんに、近づこうとしないで!」

「いいや、まだ戦えるッ!」


 俺は消えた右肘から先に全身全霊を込めた。すると瞬く間に斬られた右腕と全く同じものが断面から生えてきた。こんなことしたのはワニの魔怪に喰われかけてから5年振りだ。あの時の方がもっとひどかったが。


「なんで……!?」

「わかんないよなぁ……。俺だってわかんねえよ! こんなの!」


 出来れば使わないでおきたかったがここまできたらもういい。とことん使ってやる。


「これでいいんですよね……留子さん……」

「なに……なんなの……妖力……いや……それとは全然……」


 明らかに動揺しているとばりに向かって、俺は叫び、再生した右腕を構える。


焔独楽ほむらごま!」


 刹那、俺ととばりの間の空間に俺の背丈ほどの3つの炎の渦が現れ、地面の雪を瞬時に融かしながらとばりの元へと高速で進んでいく。


「わああぁ!」


 突如現れた炎の渦を、とばりは一心不乱に刀を全力で振るい消した。そうして息を切らした瞬間を俺は逃さず、とばりの懐に忍び込んだ。


電雷衝でんらいしょう!」


 とばりの小さな顎に、電撃を込めた強烈な右拳を食らわせる。とばりはそれに反応することも出来ず宙に身体を浮かばせる。それに合わせて俺も飛び、とばりの身体の上で構える。


闇影禍霊髑あんえいかれいどく!」


 空気を包む漆黒の闇よりも深い黒が、電撃に変わって右手を覆う。その手がとばりに触れた瞬間、とばりの首を絞め上げ、自由落下を越えた勢いで地面へととばりを叩き込んだ。既に焔独楽で根雪も融け、茶色い土が露わになっているので、痛みが緩和されることもない。


「あ……」

「教えてもらおうか。お前は一体何を隠している? 吸血鬼の、何を知っている?」


 闇に覆われた右手は今もとばりの首を絞め続けている。俺の力ではない、別の何かによって。


「いや……」

「嫌なのは俺だ。大切な先輩を傷つけられたんだからな」

「うぅ……」


 このままだと何も言わずに死にかねないと思い、俺は右手の闇を消し去り、代わりに破怪銃の銃口をとばりの眉間に向けた。


「これは所詮おもちゃだが、これくらいの至近距離で撃ったら人間でも痛いじゃ済まない。さっさと答えろ」

「やだ……」

「そこまでしてなぜかばう。お前にとってあの魔怪は何なんだ?」

「うう……」


 とばりは泣いている。泣きたいのは大切な先輩を傷つけられたこっちだというのに。銃を握る右手が引き金に指を掛けろと訴えてくる。


「もう……やめて」


 もういいと、引き金に指を掛けようとした瞬間、とばりでも、先輩でもない声が、俺の耳へと届いた。すぐに声がする方へと振り向くと、白く長い髪と赤い瞳、深々とコートのフードを被って黒タイツを履いている少女――留子さんの家のモニターで見た、吸血鬼の魔怪が、グラウンドの入り口に立っていた。


「アムは吸血鬼の魔怪……アムリタ。あなたは……私を殺すために来た……だったら……私を殺せばいい」

「アムちゃん! どうして! 逃げてって言ったのに!」


 その声にとばりが大きく反応し、声を荒げる。吸血鬼の魔怪――アムリタは、その言葉を聞き、穏やかな表情で首を横に振った。


「逃げるなんて……無理。だってアム達、友達、でしょ? 友達を見捨てるなんて、できない」

「アムちゃん……!」

「友達か、なるほどな」


 そういうことかと理解し、俺は迷わずアムリタに向けて破怪銃を撃った。


「あがっ……!」


 鋭い銃声が響いた刹那、魔怪を破壊するために作られた銃弾がアムリタの脇腹へと命中し、アムリタは顔を歪め、膝をついた。同時にとばりが俺のズボンの裾へとしがみつき、訴える。


「アムちゃん! どうして! どうしてこんな!」

「これが任務だからな。魔怪の方から歩み寄ってくれるのならこれほど楽なことはない。お前も破怪師ならわかるだろ」

「撃つならわたしにして!」

「離れろ」


 俺はとばりを蹴り上げて遠くに飛ばすとアムリタの方へと歩を進める。


「お金ならわたしが出します! 責任だってわたしが全部! 他の仕事だって手伝って欲しいならいくらでも……! だから……だから……!」


 後ろでとばりが何か言っているが、俺は答えず、動けなくなっているアムリタの白い頭に銃を向ける。


「お願いだから……! やめてください……!」

「悪く思うな」

「うん」


 俺が一言言うと、アムリタも一言だけ返した。もう覚悟が決まっているのか、先程歪んでいた表情は既に柔らかくなっており、恐怖の色は微塵も感じなかった。靴裏にこいつの血の感触を感じながら、俺は引き金に指を掛ける。


「どうか来世では安らかに」

「ごめんね……とばり」

「やめてええええええええええええええええええ!!」


 日が昇らない早朝の氷の町に、一発の銃声と、少女の悲鳴が響いた。

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