第2話

 林を抜けると丁度夜が明けたものの残念なことに3時間くらい飛行機を待たなければならず、適当に他の魔怪を探したりしながら待ってようやく乗れた。ちなみに魔怪はいなかった。出歩いている人もいなかった。


 8時間くらい乗ってその間爆睡し、目覚めたら羽田空港に着いていたのでそこから合計2時間くらいモノレールとか新幹線に乗ってようやく夕方くらいに自宅に帰宅することができた。空はちょっと暗い。


 玄関のドアを開けリビングに飛び込みソファーに座ってリモコンでテレビの電源を付けるや否や、俺は金髪でピンク色の瞳が非常に可愛らしい推しのクリームパン系VTuber「繰夢くりむムリム」ちゃんの昨日の配信アーカイブの視聴を始めた。


『キイャャャャァァァアアアアアアアアアアアアア!!!!!』


 ちなみにホラゲ配信をしていたらしく、彼女の持ち味であるキンキン声――否、超音波を大量に摂取することができた。これをリアルタイムで味わえたらどれほど良かっただろうか。次こそは絶対リアタイしてやると誓った瞬間、インターホンがピンポーンと音を鳴らして来客を告げる。


「また来たのか……まあいいけど」


 俺はインターホンのモニターに映る人物を確認した後、名残惜しいがアーカイブを停止させてYouTubeのアプリを閉じると、玄関へと向かった。


「えっと……な、ナポリ……。元気にしてた……?」


 ドアを開けるや否や、どこかぎこちなく微笑んだ茶髪のショートボブで飾らないシンプルな服装の女の子――実際には俺より6歳年上なのだが童顔であるため年下にしか見えない、ついでに結構とんでもないレベルの秘密もあったりする――である小橋こはしめいあ先輩が髪と同じくらいふわふわっとした声で俺にこう言ってきた。


「先輩は……まあ、元気そうですね」

「うん……。あたしはいつも元気だよ……」

「……そうですか。とりあえず中にどうぞ」

「お、おじゃまします」


 本当にそうかなぁいや絶対違うよなぁと思いつつも、俺は先輩を部屋の中へと招いたのだった。先輩は履いていた茶色いローファーを丁寧に三和土に置くと、俺の後ろをぺたぺたとついてきた。なんかペンギンみたいだ。


 *


「えっと、まずは竹の魔怪の撃破、おめでとう」

「まずっていう時間じゃ全然ないですけどね」

「でぁっ……!」


 先輩はリビングと襖で隔たれたり繋がったりする寝室にある俺のベッドの上で枕を胸に抱えながら祝いの言葉を口にした。それはまあいいのだが、問題なのは先輩がそのベッドを使いさっきまで惰眠を貪っていたということである。


 一応擁護してあげるならば、先輩も昨日まで魔怪討伐に行っていてかなりお疲れであったみたいで、任務終了後そのままの足でここに来てそれまで一睡もしていなかったらしい。ちなみにどんな魔怪と戦ってきたのかと尋ねると「なんかうねうねもじゃもじゃしてて戦うとお腹痛くしてくるやつ」とのことだった。なんじゃそりゃ。


「な、ナポリだって……あ、あたしの――」

「あれは――仕方なかった。うん」

「そっかぁ……ふーん……仕方なかった、かぁ……」


 先輩はそういうとベッドから起き上がりリビングまで来るとなぜかカーテンを閉め始めた。確かに日が沈み始めてきたのでちょうどいいけれどもなぜ今閉める。


「一体何をする気だ」

「あんな秘密を隠しておいて、あたしを脱がせて、あんなことをして。それでも、仕方なかった。で済ますんだね。やっぱり……」


 透き通っている天然水のような声を氷のように固まらせつつ、先輩は着ていたカーディガンのボタンを外し、丁寧に畳んで床に置いた。そして中に着ていたブラウスのボタンにも手を掛け始める。だから何をする気だ。


「だからそういう言い方はやめてくれ! あれは先輩を守るために――」

「仕方なく……?」

「仕方な……く……つーかそういうこと言うために来たんじゃないだろ絶対! 一体今日は何の用なんですか!」

「バレた……?」


 先輩は薄く微笑んだ、というかニヤけ面で俺を見た。そして再びベッドの上で横になり始める。服装が乱れに乱れまくっているが特に気にはならない。一応言うが決して一度脱がせたからだとかではない。先輩はなぜかいつも俺の前ではなぜかガードがゆるゆるになるのである。なぜか。めいあ七不思議の1つである。


「一体どこからが本気でどこまでが冗談なのかわからないんですよ先輩は……」

「全部本気」

「え」

「だったら……どうする?」

「はぁ……どうもしませんが、とりあえず内緒にはして欲しいですね」

「ナポリがそうして欲しいならそうしてあげようかな……」


 先輩は不機嫌そうになりながらもそうしてくれるみたいだった。助かる。


「ところで今日は――」

「今度は2人で一緒に倒しに行けって……!」


 そろそろ本題に入りたいと言おうとしたら先輩がなぜかやたらと嬉しそうに本題を切り出してきた。そして持ってきていたピンク色のポーチから綺麗に折り畳まれた1枚の紙を取り出して渡してくる。


 開いて中身を確認すると、確かに来週破怪師神野ナポリと共に氷嶺島ひょうれいとうに住まう魔怪を討伐せよという旨の内容だった。


 氷嶺島――本土から遠く離れた場所にあって、年中真冬の北海道みたいな気候の離島だ。離島なのでぶっちゃけド田舎ではあるのだが、その割に魔怪の目撃情報は多く、俺も何度か討伐任務で行ったことがあるが、流氷とオーロラが綺麗でホテルも豪華だが物価がとんでもなく高いということが記憶として残っている。


「氷嶺島……また離島か……」

「アザラシ!」

「え?」

「あ、いや、アザラシいるかなって……」

「流氷の上で寝てたの見たことありますし、今の時期なら普通にいると思いますよ」

「そっかぁ……!」


 ぱぁっと顔を明るくする先輩を一瞥してから、何で俺には届いてないんだよと思って読んでいると、先輩が本任務のリーダーとなっており、リーダーが全メンバー(俺しかいないのだが)に内容を通達せよと書かれていた。


「2人での任務って久々ですね」

「そうだね」

「最近ずっと単独での任務ばかりでしたからね。人手不足かなんか知りませんけど」

「実際そうみたいだよ……。最近は才能ある人もなかなか見つからないみたいだし、新しい人は来なくて今いる人は死んじゃって、生き残ってる人も限界感じて辞めてって感じの悪循環が続いちゃってるって……」

「先輩は辞めませんよね?」

「ナポリが辞めないなら辞めない」


 重い空気をかき消そうと軽いノリで聞いたら、真面目な顔でそう即答されてしまったので何も言えなかった。絶対に辞めさせないという圧力をひしひしと感じ、若干肌がピリピリとする。


 そして絶対に死なせないという思いも、同時に伝わってきた。


「俺も同じですよ」


 だから俺も、気恥ずかしくなりつつも真面目にそう返した。


「じゃあ……キス、して……?」

「ところでどんな魔怪なんですかね。どんな任務でもずっと1人でやらされてきたのに、2人で行けってなんか相当ヤバい気がしますが」

「人間集めてデスゲームみたいなのやってるんだって。だからキスして欲しい……」

「デスゲームのゲームマスター……となると相当な人数喰ってそうですね」

「キスして」

「準備と対策はしっかりした方が良さそうですね」

「キスしてって言ってるの!」

「だからなんでそうなるんだよ!?」


 訳がわからなかったので流していたが大声で叫ばれて無視できなくなったので思わずツッコんでしまった。先輩の顔を見ると不機嫌そうに頬を膨らませ、真っ赤に染まっていた。目が合うとビクッと一瞬身体を震わせて、俯いてからの頭突きをかましてきた。そしてそのままの姿勢で口を開く。


「相手は多分……いや……かなり強い。もしかしたら、今まで戦ってきたどんな魔怪よりも。あたしね、ちょっとだけ怖いんだ……。あなたとじゃなきゃ行きませんって会長に言ったくらいには」

「ちょっと待って巻き込まれたの俺?」

「もしこれで最期おわりになっても、良かったなって思いたいの。死んでも後悔しないように、やりたいことをやっておきたいの」


 その言葉を聞いて俺は――


「だから……して……」


 先輩の頬を右手で全力で掴んで、先輩の顔を俺の正面に引っ張り上げた。


「ふぃたいふぃたい!」

「キスはしません」


 俺はそう言って、先輩の温かくて柔らかい頬から手を離した。


 紛れもなく、生きている女の子の、生きている温かな感触だった。


「な、なにするの!」


 先輩が若干目を潤ませながら口を開いたが、俺はその声に声を重ねる。


「まず1つ。俺を勝手に危険な任務に巻き込まないで下さい。俺と一緒が良かったにしても、せめて事前に言って欲しい。つーか言え。絶対言え」

「ご、ごめんなさい……」


 いつも元気(自称)な先輩が落ち込んだ様子で、枕を胸に抱えて顔を埋めた。


「次に――」

「ちょっと待って……恥ずかしくて死にそう……」

「死なせません」


 俺は先輩から枕を奪って(元々俺の枕だが)、先輩にはっきりと告げた。


「先輩は、俺が守りますので」

「ナポリ……!」


 先輩は感銘を受けたかのように立ち上がり、そして。


「キスして……!」


 やっぱり、そう言ってきた。なんでだ。


「嫌です」

「なんで!」

「今はちょっと」

「今は……ってじゃあ今じゃないならいいの……?」

「そんなこと言ってねえよ馬鹿!」


 結局それから2時間弱、こんな風にキスをせがまれ続けたのだった。


 やっぱりこの先輩は、どこかおかしい。俺も大概おかしいがもっとおかしい。


 だからこそ、俺がそばに居なければ。なんだかんだ言いつつもやっぱりそう思ってしまうのだから、人間というのは面倒臭い生き物だなと改めてつくづく感じるのであった。

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