序-②

 袖口の広い動きやすそうな黒い服とロングスカートを纏った聖女は、軽い身のこなしで馬から降り立った。

 

 彼女は一度深い溜め息を吐いてから、紅と碧、色の違う瞳で君を真っ直ぐ見ながら口を開く。


「……随分とボロボロだな。頭を打ったりしていないか?」


 彼女は呆れ半分、心配半分くらいの気持ちが感じ取れる声を発しながら、君の前に膝を付いた。

 凛とした眼差しを動かしながら、君の体を観察していく。


「レ──、あねさん、どうして……」

「ん? どうしても何も、馬と共に出て行って馬しか帰って来ないんだ。何かあったと思うのが普通だろう? とりあえず、あのは村の者に任せてきたから安心してくれ」

「いや、そういう事では」

「……? まぁ何はともあれ、緊急事態なのは間違いないだろう? まずはお前の治療からだ」


 君が『姐さん』と呼んで慕う彼女の名は『レヴィ』。

 王都を中心に広く信仰されている『クロ:ロス教団』に所属している修道士だ。


「──主よ」


 彼女が短く唱えると、君の下の地面に長さの違う二本の針が伸びて円形の陣が展開される。


 それは教団の修道士のみに扱える特殊な医術。

 時を司る神の力の一部を使い、怪我の場合は怪我する前の体に、病気や毒など、体内の異常の場合は発症する前に


 光が君を包み込む中で、絶え間なく異常を知らせていた危険信号が徐々に鳴りを潜めていく。


「ふぅ、ありがとうございます。……相変わらず不思議な力ですね」


 陣の消滅と共に、何の障害もなくなった君はゆっくりと立ち上がり、衣服に付着した土埃を払う。

 身体だけでなく、衣服に負った損傷もになっていた。

 君は改めて、自分の衣服に異常がないか確認していく。


 この機動性を重視した衣服は君の一張羅だ。

 紺色を基調とした色合いと首に巻いた同色のマフラーが、暗がりでは目立ちにくくし、非常に落ち着く。

 上下ともに収納スペースが充実していて、様々な物が詰め込まれている。

 それらも一通り確認するが、特に異常は無いようだ。


「今更、驚く事でもあるまいよ。この奇跡で何度お前を癒した事か」

「あ、そうか。……そう、っすね」

「……まだ本調子ではないか? 何だか、いつもと様子が──いや、そういう時もあったな。それはさておき、さっさと資材を乗せ直すぞ」


 何か言いかけたレヴィだったが、急に話を切り上げて散乱している資材の方へと足早に向かった。


「姐さん? 何をそんなに焦っているんすか?」

「わからないか? 恐らく、魔物が近くに潜んでいる。馬の様子も落ち着きがない」

「マジ、っすね……」


 君が半信半疑で馬の方を見ると、確かに馬はしきりに首と耳を動かして『見えない何か』の気配を探っている。


「まだ奴らはこちらの様子を伺っているようだ。気付いていないフリをして相手が仕掛けて来るのを迎え撃つ」

「り、了解っす!」


 返事はしたものの、君は体に緊張が走る事を抑えられなかった。

 魔物が近くに潜んでいると分かっていながら、敢えて気付いていないフリをする。簡単に聞こえてしまうが、なかなかの胆力を要求される行動だ。


「さて、まずは倒れた馬車だな。外観が少し歪んでしまっているが足回りは……問題なさそうだな」

「完全に横倒しになってますけど……、どうします?」

「ん? 無論、起こす」


 レヴィは言うが早いか横転した馬車の幌を掴んで力任せに持ち上げ、あっと言う間に馬車を正常な状態で立たせてしまった。


「……相変わらずっすね」

「これぐらいは造作もない」

 

 特に息を荒げたりする様子の無い事から、本当に容易であった事が伺えた。

 その様子から、君は彼女の事をを改めて意識する。


「どうした? さっさと資材を積み直すぞ?」


 レヴィは手に付いた汚れを掃いながら、君に向き直って得意げに微笑む。

 ブロンドのショートヘアが、そよ風を受けて揺らめいていた。

 服の上からでも彼女の身体の細さは見て取れる。

 この身体の何処から、先程のような怪力が生み出されているのか。

 彼女が崇める『神』の加護、と言うにはあまりにも極端な能力だ。

 君は彼女には申し訳ないと思いつつも、神のいい加減さに呆れてしまう。


「……おい、ウェイク」


 不意に、レヴィが作業を中断して君に声を掛ける。


「あ、はい。どうし──」


 レヴィは君が応答し終わる前に行動を開始した。

 腰に下げているホルスターから『メイス』──棒の先端に鉄製の突起が付いた殴打武器──を取り出す。

 続けて流れるようにメイスを振りかぶり──。


 

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